間章 彼らの話

ヤード・クリバリー

 雪の妖精かと思った。

 紫の国にはいくつかの街や村が存在する。国土自体は広くないが、山脈が連なっている地形というのもあって場所によって気候や文化が異なる。その国の中でも環境が厳しいとされる町がある。

 標高の高い山の中腹より少し上にある、冬になれば雪で全てが閉ざされる町、ボノム。


 夏でも温度は高くなく、冬になれば流した涙もたちまち凍るとされる極寒の町から、その子はやってきたらしかった。

 癖の無い雪と同じ真っ白な髪に、青空をそのまま切り取ったみたいな澄んだ水色の目。小さな鼻に白い肌ではよく目立つ薄く色付いた唇。同性のはずなのに華奢な体のせいか初めて見た時は女の子なんじゃないかって思った程だった。


「あのっ、名前は…っ?」


 入学式が行われた絢爛豪華な広間。天井があんまり高くて見上げていたら首が痛くなる程だった。そんな場所で同じ年の子供たちがひしめく中、その子だけは内側から発光しているように見えた。あんまりにも可愛い子だと思った。


 少なくともぼくが今まで会ってきた子の中で、一番可愛い子だった。


 だから話し掛けた。緊張して声は上擦ってしまったし、なんならちょっと吃ってしまって格好悪かったけど、誰よりも早くこの子のことを知りたくて話し掛けたんだ。

 するとその子がぼくを見た。ガラス玉みたいな綺麗な目でぼくをじっと見て、それで小さく首を傾げた。短いけどサラサラな髪が揺れるのにもぼくは目が離せなかった。


「人に名前を聞くときはまず自分からだぞ」

「え」


 豆鉄砲を喰らったような顔をしていたと思う。

 一切表情を変えずに、ちょうどいいアルトの声がまっすぐにぼくを貫いた。


「…ヤード・クリバリー」

「僕はアルデバラン・スタクだ。よろしく」


 内心びくびくしながら名前を伝えたら、拍子抜けするくらいあっさり答えてくれたことにちょっと驚いた。そして、ぼくはその時ようやくこの子が同じ男だとわかって目を見開いたんだ。


「え、男⁉︎」

「そうだ。王都に来てからそればかり言われる。僕はそんなに男らしくないのか?」


 アルデバラン・スタクは想像していたような性格とは少し違っていた。

 ぼくはまずこの子は女の子だと思っていたし、性格も大人しくてなんなら気弱でびくびくとしている、ぼくと同じタイプだと思っていた。それなのに人と話す時は目を逸らさないし、声ははっきりとしているし、態度だって、なんというか真っ直ぐだ。

 気が強い子なんだと、ぼんやり認識した。


 ぼくは気の強い子が苦手だった。ぼくは何かを選ぶ時いつも迷いがちで大体最後まで時間を掛けていて、そんなぼくが気に入らないとよく気の強い人たちから詰られていたから。

 だからこの子もそうなんだとわかった時、今までのぼくなら距離を取ろうと思うはずなのに、この時はそうじゃなかった。


 綺麗な青い目に見られていると思うだけで心臓が駆け足になるし、暑くもないのに背中にじわりと汗が出た。もしかしたら顔も赤くなっていたかもしれない。


 初めての体の異変にぼくは全然理解が追い付いていなくて、それからその子と何を話したかは覚えていない。ただいつの間にか入学式が終わっていて、ぼくたちは教官の後に続いて学園の中を歩いていた。

 学園の中も入学式をした広場と同じくらいに広くて、綺麗で、キラキラとしていた。全体的に白っぽくて、柱にはたまに金色で飾り付けがしてある。壁にも凝った装飾がされているし、ぼくにはよくわからないけど綺麗な額に入った絵だって何個も飾ってあった。


 その頃にはぼくのよくわからない心臓のドキドキも治まっていて、初めて見る王立の魔法学園の凄さに圧倒されていた。何もかもが輝いて見えていたし、これから始まる『選ばれた自分』の未来に胸を踊らせていた。期待していた。


「ここが今日からあなたたちのクラスですよ」


 教官の足が止まって、教室の扉をスライドする。途端に感じたのは“圧”だった。

 ふわりと、風も吹いていないのに前髪が浮いた。あれだけ気分が高揚していたのに、崖から落とされたみたいに冷や汗が背筋を伝ったのを覚えている。でも、それに気付いていたのは多分ぼくだけだった。だって他の人はなんてことない顔をしていたから。


 なんで。ぼくがおかしいのかな、なんでみんな普通にしているんだろう。だってこんなにも怖いのに。どうして、なんで、みんな待って。


「うわ! お前すっげえキラキラしてる!」

「は?」


 人に押されながら入った教室で最初に見た光景は、光と光の衝突だった。




 シリウス・ルーヴ。それが圧の正体だった。


 父親は騎士団長、母は大貴族の娘。兄と姉が一人ずついて、二人とも成績優秀で兄に至っては国の中枢を担う才能があるとかなんとかで既に王宮で働いている。つまり、生まれながらにしてのエリート。

 ぼくが初日に感じた圧の正体は信じ難いことにシリウス・ルーヴから放たれた魔力だったらしい。


「クリバリーの年齢でルーヴの魔力を検知できるなんてすごいぞ。お前も優秀な魔法使いになれる」


 圧について教官に聞いた時、ぼくはそう言われた。

 『優秀な魔法使い』という言葉が純粋に嬉しかった。だからぼくはその時はこう思っていた。


「たくさん練習して一番の魔法使いになってやるんだ!」


 ぼくは、多分、優秀だった。

 出身は王都から少し離れた街だけど、王都が近いっていうのもあってそれなりに栄えていた。ぼくはその街で教師をしている親の元に生まれた至って普通の人間で、きっとこのまま両親と同じような大人になるんだろうと幼いながらにぼんやり思っていた。

 けど、魔力測定でぼくの人生はガラリと変わった。ぼくは普通よりもずっとたくさんの魔力を持っているらしかった。

 魔力量も理解力も、身長も(ぼくの両親は二人とも大きい)多分このクラスの中では上から数えた方が早い。だから勉強もわからないところもほとんど無かったし、魔法の実技授業でも出来なかった魔法は無かった。

 ぼくは多分、優秀だった。

 だけどぼくは、自分が胸を張って優秀だって言えなかった。


「一番大きな火球が作れたのはルーヴ君でした。皆さんも頑張りましょうね」

「いいかお前達、魔法使いは体力も必要だ。案外肉弾戦も多いからな。だからお前達もルーヴを見習って体を鍛えていくように!」

「今回の攻撃魔法の応用テスト、実技の部門の最優秀はシリウス・ルーヴ君でした。みんな彼に拍手を」


 敵うわけがないと思った。


 ルーヴは異常だった。魔力量も成長スピードも吸収力も何もかもが異常だった。

 ぼくが三日でマスターする魔法をルーヴは一日でマスターする。三日後には応用できるほど自分の中に落とし込んでる。対人の授業でもそうだ。

 ぼくの方が体が大きいのに、ルーヴは平気な顔をしてぼくを倒す。負けなんか知らないって顔でぼくの上を駆け足で通り過ぎていく。


 誰しもがシリウス・ルーヴを天才だと認めていた。

 あれはバケモノだ。自分たちとは違う。あれは天才だから。だから、自分たちができなくてもしょうがない、それが普通だと思っていた。

 そう思っていたのに、一人だけそうじゃない人がいた。


「おいルーヴ、お前さっきの火球を同時に出すやつ、あれどうやったんだ」


 白くて丸い頭が不機嫌なのを隠そうともせずにルーヴに話しかけていた。それは入学初日にぼくがあまりの可愛さに話しかけてしまったアルデバラン・スタクで、彼もまた優秀な生徒だった。


「スタク! えっとな、あれは火の魔法をグーってやってぽぽぽってやってドーン! だ!」

「……真面目に言ってるのか」

「? うん!」

「お前に聞いた僕が間違いだった」


 たったそれだけの会話を交わしてスタクはルーヴの側から去っていった。

 二人の関係は、そのころはまだただのクラスメイトだったように思う。


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