恋の伝道師オネエ、焦る

 朝目が覚めると視界に飛び込んだのはぼんやりと浮かび上がった白色だった。

 それがシリウスの服だと気がつくのには時間は掛からず、抱き締められているという状態もすぐに把握出来た。

 シリウスと一緒に寝ていた時はいつも抱き締められていたなと、ふと思い出した。

 外はまだ薄明るい。完全に夜が明ける前の静かな時間だ。


「シリウス、起きろ」

「んんー」

「シリウス」

「…ある…?」

「ああ、そうだ。朝だから起きよう」

「はぁい」


 学生の頃は最終的に蹴飛ばさなければ起きなかったのに随分寝起きが良くなったものだ。体の上からシリウスの腕が退くと先にベッドを出る。ずっと人肌に触れていたからか、久しぶりにゆっくり眠れたからか頭がすっきりとしていて気分が良い。

 そのまま部屋にある洗面台に向かい洗顔と歯磨きを済ませて部屋に戻ればベッドの上で胡座を組みカクカクと船を漕いでいる姿を見て数分前の感想を取り下げる。


「おいシリウス」

「おきてるぅ」

「寝てる。早く起きて顔を洗って来い」


 やはりこいつの寝起きはいつも悪い。会話をしなかった一週間は寝ているこいつを放っておいて掃除も何もかもを一人でやってさっさと食堂に行っていたからかこの姿を見るのも久しぶりだ。

 のそのそと熊のようにゆっくりと行動し始めた姿を見てから隊服に着替える。その間にシリウスは多少目が覚めたらしく洗面所から出てきた時僕を見て数秒程固まった。


「…おはようアル」


 とろける、という顔があるとするならばきっと今シリウスがしている顔がそうだ。


「…なんて顔してるんだ、お前」

「えー、一週間ぶりに一番にアルに挨拶出来て嬉しい顔」

「してきた期間の方が長いだろ。ほら、さっさと着替えろ」


 八年間一緒に居て確かに挨拶も交わさない一週間は初めてだったが、それがそこまで重大なことには思えない。けれどこれを声に出すとシリウスが拗ねると直感的に理解して僕は掃除へと移った。間も無くして着替えたシリウスも一緒に部屋の掃除を済ませ、時間通りに食堂へと向かえば誰が来たのかと振り返った先輩方がこぞって目を丸くしたのが見えた。

 一拍置いて、歓声。


「ルーヴーーーーーー! ついに冷戦解消か‼︎」

「愛想つかされてなくてよかったなあ!」

「幸せそうな顔しやがって! 俺らも安心だよ!」


 まるで祝砲でも上げたかのような盛り上がりぶりに僕は完全に置いていかれている。

 ありとあらゆる先輩方にこの一週間迷惑を掛けた自覚はあるがまさか朝からこのボリュームで祝われるレベルだったなんて夢にも思わなかった。


 申し訳無かったなと思いつつ今にもシリウスを胴上げしそうな熱気の中を塗って厨房に近づく。すると僕を見つけたビビンさんが今日も風を起こしそうな睫毛を揺らしながらやって来た。


「おはようスタクちゃん! 良い朝ね」

「おはようございます、ビビンさん。今日も素敵ですね」

「ああん! そんなこと言ってくれるのスタクちゃんだけよ! 大盛りにしちゃう!」

「普通で大丈夫です」


 そんないつものやりとりをしながらトレイに朝食が乗っていく。パンとスープとサラダとメインの卵料理、それにフルーツだ。目にも鮮やかな朝食に少し心が浮き立つのを感じる。


「はいおまちどうさま!」

「ありがとうございます」

「ところでスタクちゃん、まさか昨日の今日で素直になるなんて思わなかったわ〜。もしかして、自覚したのかしら…⁉︎」

「? ああ、まあ自覚はしました」

「本当にぃ! やだお祝いにフルーツ」

「ハイルデンさんの言う通りだなと」

「…ぇ」

「あ、フルーツも結構です。それシリウスにあげて下さい、好物なので」

「ちょ、ま、スタクちゃん…! あの酒焼け馬鹿に何言われたのおぉぉぉぉぉ」


 ビビンさんが何か言っているが本当にシリウスを胴上げした歓声にかき消されて何も聞えなかった。朝から元気だなと思いながら隅の方の席に座って朝食を摂る。柔らかく風味の豊かなパンを一口頬張ったところで向かいの席に人が座る気配がして顔を上げると、そこには明らかにほっとした顔をした隊長がいた。


「おはようございます、隊長」

「おはようスタク。もう良いのか」

「シリウスとの関係でしたらもう問題無いかと。ご迷惑をお掛けして申し訳あ」

「いい! いい! 謝るな。あれはルーヴと分かり合えていない俺たちの問題でもあるからな。結局お前に頼らないと本調子に戻せないって言うのは、まあ情けない話だよ」


 僕の前に座って大きな一口でパンを口に運ぶ姿や告げられた言葉には嘘がない。だからこそ余計にハイルデンさんに言われた言葉が自分の中で確かな刻印となっていく。


 ──本当に僕がいないとシリウスは周囲に気を遣わせてしまう。


 これは由々しき事態だった。今はまだ僕もシリウスも学園を卒業したての子供だから、多少の不機嫌を周りの大人がカバーしてくれる。けれどこのまま年齢を重ねるとどうなっていくのかなんて少し考えただけでもわかる。


 シリウスは頑固だ、そして天才だ。更には騎士団長の息子という権力がある。そんな人物が今のまま大人になった時、あいつに意見出来る人物は現れるのだろうか。その可能性は低いと、僕は思っている。

 それならば確かに、ハイルデンさんの言葉は正しいのだろう。


「あの、隊長」

「ん? どうした」


 僕は別にシリウスの世話係に納得している訳ではない。押し付けられたから受け入れただけであって、受け入れたからには責任があるなと思って今日までこういう立場であり続けた。

 それならばシリウスに協調性を教えると言うのも、また僕の役目なのだろう。


「シリウスと班を別にして下さい」


 まずはシリウスが僕といなくても周りと問題なくコミュニケーションを取れるようにしなくてはならない。その為の一番手っ取り早い方法は、僕が離れること。

 強制的に離れれば他の人とコミュニケーションを取らざるを得ないし、何をするにしても実践が一番早い。今回は昨日までのような喧嘩した状況ではないから幾分か円滑に進むのでは、と僕は思っている。


「……は…?」


 けれど目の前の人物はそうは思っていないらしい。

 それまでにこやかだった顔が一瞬で引き攣り、スープを掬ったままポーズが固まっている。

 このリアクションならきっと聞えているはずだが、念のためと口を開く。


「僕を班から外して下さい」

「聞き間違いじゃ無かった…!」


 隊長がこの世の終わりと言わんばかりの顔でスプーンをトレイに落として頭を抱えた。


「あの…?」

「わかった、わかったスタクちょっと待ってくれ、本当にちょっと待って」


 大きな手のひらが喋るなという風に僕の顔の前にかざされる。どうやら果てしなく混乱しているらしい隊長に僕は首を傾げた。僕は今そこまでおかしいことを言っただろうか。


「アル」


 僕のことを愛称で呼ぶのは学生の頃から一人しかいない。

 視線を向けるとまるで貼り付けたような笑みを浮かべたシリウスがいてまたしても僕は首を傾げた。


「お前も変な顔してるな」

「そりゃアルが変なこと言うからじゃん」

「変なこと?」

「…俺と班を変えるって、なに」


 大盛りの朝食プレートを僕の隣に置いたシリウスがそのまま腰掛ける。そこには今まで浮かべていた笑みはなく、怒りすら浮かんでいる真剣な表情に眉根が寄った。


「お前、僕がいないと周りとコミュニケーション取れないだろ」

「…え」

「この先何があるか分からないのに、たかだか僕と喧嘩したくらいで一週間も皆さんに迷惑掛けたんだぞ。僕たちはそこを反省するべきだと思う」

「え、ぁ、…え?」


 食堂はいつも通りざわついている。


「僕たちは八年も一緒にいるせいでお互いが欠けた時のコミュニケーションに問題があると思う。いや、訂正する。僕は全く問題ないがお前が問題児過ぎる。でも僕はこの八年で刷り込まれた経験があるからある程度予測も立てられるし起こりうる被害にも前もって対策が打てる。でも他の人たちはそうじゃない」


 怒っていたシリウスの表情が困惑のものに変わっていく。あわあわと両手を僕に伸ばそうとするけど止めて、自分の方に引き寄せてはまた僕の方に伸ばすという意味のわからない行動をしている。


「だからシリウス」

「や、やだ、それ以上言わないで…!」

「僕たちは離れるべきだ」


 シン、と食堂が静まり返った。


「いやだーーーー‼︎ 絶対! 絶対やだ! なんで仲直りしたのにそんなこと言うの!」


 絶対やだ!

 十八にもなる男の悲痛な叫びが食堂に響いた。

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