その日の夜、僕たちは久しぶりに自室で顔を合わせていた。

 とは言っても全く会話をしなかった一週間ももちろん同じ部屋だった。ただきちんとシリウスの目を見るが久しぶりだった。


 学生の時のように勉学に励むわけでもない部屋にはソファとローテーブルが置かれている。対面式になっているそこに腰掛け、向かい側にシリウスが座る。僕は至って怒ってもいなければ不機嫌でもないのだが、何も喋らないからか最初はどこか期待した様子だったシリウスの表情が段々と不安なものへと変わっていき、今は絶望という言葉がぴったりな雰囲気で項垂れている。


 その様子を僕はやっぱり無言で見ながら、ハイルデンさんに言われた言葉を思い出す。

 この目の前で意気消沈している男が、いずれか、きっとそう遠くない未来に一人で王都に戻る。そして父親の元で武功を上げ、周囲からも期待されてそのままエリートコースに乗る。そんな華々しい未来が特に苦労もなく思い描けた。そしてそれは決して夢物語なのではなく、実感を持った現実として有り得る話だと思った。

 その隣に自分がいないということも併せて、本当に現実的な未来だと思う。


「…お前」

「!」


 バッとシリウスが顔を上げる。

 不安に濡れた目と視線が絡まって、その様子があまりにもいつもと違いすぎて思わず口の端が緩んだ。


「あんまり周りに迷惑掛けるなよ」

「だ、だって」

「僕のせいにするな。僕が不機嫌になった理由はお前だ。お前が全部悪い」

「はい、そうです。俺が悪いです。俺の責任です」

「そうだよ」


 息を吐きながら体重を背もたれに預けるとそのまま体が前にズレる。腹の上で指を組むと、シリウスが驚いた顔でこちらを見ているのがわかった。

 僕はそれに何も言わなかった。きっとこの体勢に驚いているなんて事は容易に想像が出来たから。


 人前でだらけるなんてことを僕はここ数年して来なかった。どんな些細なことでも他人にナメられる隙を与えたくなかったからだ。いつ何時でも戦闘態勢でいることがもう随分と前から体に染み付いていたけれど、今日くらいはいいかと天井を見た。


「…僕も意地を張りすぎた、ごめん」

「ぇ」

「明日からはに戻そう。先輩たちにも迷惑を掛けたし、ヤードなんて気疲れで隈が出来てた。明日謝っておく」

「…アル」

「ん、どうした?」


 天井から目線をずらすと風呂上がりのせいかいつもはつんと立っている髪が力なく垂れているシリウスがいた。黒髪とシリウスの目はまるで夜空と星のように見えて、僕はそのコントラストが気に入っていた。


「…なんでもない」


 シリウスが言葉を飲み込んだのがわかった。

 珍しいなと思うけれど、そうさせたのは自分だから特に驚くことでもない。


「じゃあ寝るか。おやすみ」


 多分今、シリウスは焦っている。僕が一週間前の夜のことを何も言わないから。あの日の夜のことは正直に言えば断片的にしか覚えていない。ただその中でも確かに覚えているのはシリウスの目力の強さと燃えるように熱い肌。それと僕を呼ぶ声。


 それらはきっと、簡単に掘り起こしてはいけないものだ。

 このまま無かったことにするのが最適解だと僕の本能が言っている。

 ソファから立ち上がって窓際の席に座っているシリウスの横を通ろうとした時だ。


「っアル」


 手首を掴まれた。

 否、掴むと言うにはあまりに弱い。握られた、という方が正しい。

 熱い、そう思った瞬間僕は腕を振り払おうとした。

 でもシリウスが直前で手首を握り込んでしまったからそれも出来なくて、僕は表情を歪めた。


「離せ」

「一緒に寝よ」

「…はあ⁉︎」

「一緒に! 寝よ!」

「嫌だ!」

「嫌だが嫌だ!」

「ふざけるな意味分からないことを言うな離せこの…!」


 指先まで筋肉で出来ているのかもう片方の手で指を解こうにもびくともしない。突然訳のわからないことを言い出した馬鹿に苛立ちを隠せずにいると手首を掴む力はそのままに小さな声がボソリと呟いた。


「…前は一緒に寝てたじゃん」

「まえ…?」

「学園にいた時は一緒に寝てた! 俺はそのままでも良いって言ったのにアルがワガママ言うからベッド別々にしたの覚えてないの‼︎」

「ふざけるなあれは十三とかそこらまでだったろうが!」

「それでも俺は嫌だったのにアルのお願い聞いたじゃん! だからアルも俺のお願い聞いて‼︎」

「お前僕にお願い言える立場だと思ってるのか…!」


 学園にいた頃も同室だったのは確かだし、一緒に寝ていたことも確かに事実だ。

 だけどあれはホームシックだ何だと訴えて夜な夜なべそべそ泣いているシリウスがあまりに不憫だから提案したものであって、今現在適応される物ではない。


「どこの世界に十八にもなって一緒に寝る男がいるんだよ…!」

「ここにいる」


 あんまり大真面目な顔で言うものだから一瞬体から力が抜けた。

 その隙を待っていたのか掴まれていた腕が引かれてバランスが崩れる。


「…お願い、アル。一緒に寝よ」


 気がついたら僕はアルの膝に乗せられていて、逃げられないように腹部に腕がまわっている。背中があたたかいのはアルが喋った時の吐息が触れたからだろう。


「おねがい」


 ぎゅう、と体に回された腕に力が入る。

 縋るような声で呟かれた言葉に、僕は聞き覚えがあった。


「…やめろシリウス。もうホームシックでも何でもないだろ、お前」

「…アルが一週間も口きいてくれなかったから」


 腹立たしいことに、僕はパワー勝負では絶対にシリウスに勝てない。シリウスは僕よりもずっと体が大きく、全体的に筋肉質だ。それに比べて僕の体は普通だ。至って普通の体型で、普通の筋肉量。だからこんな風に抱きすくめられると、もう身動きが取れない。


「…それはお前が悪いだろ」

「俺が悪いけど! でも、それでも寂しかった」


 シリウスがこうなると僕が抵抗を止めることを知っている。だけどこいつは自分の意見が通るまで力を抜くことはしない。

 だから今もキツいくらいの力が腕には籠っているし、背中にかかる息は熱い。


「…絶対、何もしないって約束するから、だからおねがい」


 ぐりぐりと背中に額が押し付けられる。

 こうなったシリウスは絶対に折れないと僕は知っている。だからいつだって僕が折れて来た。だから今日こそは折れてなるものかと思っていたのに、どうも僕は意志が弱い。


「当然だろうがこの馬鹿」

「!」


 後ろで顔が上がるのがわかった。

 ついでに見えない尻尾が千切れんばかりに振られているのも。


「一緒に寝てくれる?」

「そうしないと離さないだろ、お前は」

「うん‼︎」

「自信満々に言うな」


 溜息を吐きながら後ろを向くとごく近い距離で星と目が合った。さっきまで泥みたいに濁っていたくせに今はまた一等星のように輝いているそれに呆れてしまう。

 でも、おかしいと思っていながらも結局受けれてしまった僕も大概だ。


「アルー」

「何だ馬鹿」

「嫌だ名前で呼んで‼︎」

「声がデカい」

「名前で呼んで!」

「声は小さいのに圧はそのままってどうなってるんだ」


 シリウスは何故か得意げに笑って僕を抱き締めている腕を離すと思考の隙も与えず膝裏に手を入れてきて僕を勢いのまま抱き上げる。


「……おい」

「軽いからヨユー‼︎ てか懐かしいなこの運び方!」

「この年にもなってされるとは夢にも思ってなかったけどな」


 学園で一緒に寝るのが当たり前だった頃、その頃から体格差があった僕は寝る時はこうやってよくベッドに運ばれていた。

 あの頃か危うさがあったのに、今では安定感しかないことに成長すら感じる自分がちょっと嫌だ。


「…やけに機嫌が良いな」

「え、当然じゃない? 一週間ぶりのアルだよ⁉︎」

「お前にとって僕は一体なんなんだ」

「えー…」


 ベッドに下されてすぐさま隣にデカいやつが寝転ぶ。

 体温が高いからと何も掛けずに寝ようとするシリウスに寝具を掛けるのはいつだって僕の役目だったなと思い出しながら寝具を掴んでお互いの肩の下辺りにまで引っ張った。

 頭を置く位置に当然と言うようにシリウスの腕が伸びている。この光景も懐かしいなと思いながら僕はそこに頭を置いた。


「アルは俺にとって空みたいな感じ!」

「空」

「そう、空」

「随分と広大だな、僕は」

「うん。青空でもあり夜空でもあるんだぜ!」

「どういうことだよ」

「そういうこと! とにかく空なの!」

「はいはい」

「あ、真面目に聞いてねえな⁉︎」

「意味がわからないからな。ほら寝るぞ、おやすみ」


 無理矢理会話を切って目を閉じる。

 すると思いの外すぐに睡魔がやって来て、僕は抗うことなく意識を眠りの中へと落っことした。

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