異変
異変が起きたのは三日後の夜だった。
大規模な医療魔法を使用された患者がしばらく目覚めないなんてことはザラで、今回もそれに該当しているのだろうと誰もが気に留めていなかった。
それは同室の僕も同じで、日に日に顔色が良くなっていく様子を側で見ていたしシリウス特有の主張の強い魔力も回復してきているのがわかっていたから余計だった。
このままいけばあと数日で目を覚ますだろうなと僕も医療班の人たちも思っていた。
けれど三日目の夜、そろそろ寝ようかと思っていた頃に低い呻き声が聞こえた。
「シリウス」
ガタリと音を立てて椅子から立ち上がり、いつもより広い歩幅でシリウスの眠るベッドに近づく。
眉間に皺を寄せて身動ぐ姿に覚醒が近い事を悟り、僕はすぐ様部屋を出た。
医務室に向かいシリウスが目覚めそうなことを伝え、次には隊長の部屋へと向かう。もう夜も遅い時間だから兵舎は静かで僕が廊下を走る音がよく響いた。部屋に着いて扉をノックし、中に入ってシリウスが目覚めそうなことを報告する。すると隊長もすぐに立ちあがって一緒に部屋に向かうことになった。
部屋に着いたときにはもう医療班がやって来ていてシリウスの容態を確認していた。想像以上に早い覚醒だったからかまだ意識は朦朧としているものの目は開き、こちらの呼び掛けにも多少は答えられるようだった。
結果としてシリウスの容態は問題無いということになり、その日はそれで解散となった。
人がいなくなった部屋はとても静かだ。ついさっきまで人が何人もいたから余計にそう感じるし、何より今日は新月だ。外は暗く、風の音が聞こえるくらいだ。
新月の夜は魔物が騒がしくなる。本来なら僕も夜警に回るはずだったがシリウスの事もありこの三日は日勤しかしていない。少し意識を研ぎ澄ませば森の方向で魔力がぶつかり合っているのを感じることが出来る。やはり今日は戦闘が多いんだなと思いながら、シリウスの方に顔を向ける。
医療班によって施された魔法によってまた眠っているが、表情は少し曇っているように見える。それがなんだか悔しがっている表情に見えて僕の口角は上がった。
「…なんだ、新月の日に寝てるのが悔しいのか」
この男は戦闘狂ではないが、自分の力を試すのが何よりも好きだ。だから新月という魔物が活発に動き出すのをこいつはいつだって心待ちにしていた。僕からすれば考えられないことだ。
僕はシリウスに対してライバル意識はある。けれど出来れば魔物となんて戦いたくない。僕は本当なら王都でゆっくりと研究員として働きたかったのに、残念ながら火力貢献が出来る魔法の才能があったばかりに辺境の地に赴任してしまった。
疲れるのも痛いのも嫌だ。でもこいつに負けるのはもっと嫌だ。
そんな子供じみた嫉妬心で今ここにいるのだから、僕は僕が思っている以上にずっと子供なんだと思う。
「…早く目覚ませよ。お前がいないと張り合いがないだろ」
ここには僕より強い人なんて沢山いる。学ぶべきことも山のようにあるのに、シリウスがいないというだけで少し物足りない気がするのだ。きっと十歳の頃から勝手に張り合ってきたせいだと思う。もう八年も毎日のように張り合い、喧嘩し、たまに共闘をしてきた仲だ。
僕はこいつのことが嫌いだけど、そうやって切磋琢磨ししてきた時間は嫌いじゃない。もちろん今もありとあらゆることに腹が立つけれど、僕の言葉になんの反論もしてこないシリウスはおもしろくない。
シリウスが静かだとこんなにも日常は退屈なんだ。
「…アル」
「!」
さて寝るかとベッドに足を向けたときだった。
掠れた声で名前を呼ばれて僕は弾かれたみたいに体ごとシリウスの方に向けてベッドに近付いた。
「シリウス、どうした」
ぼんやりと目を開けているシリウスがいた。どうやら医療魔法の効き目が弱かったようで目を覚ましてしまったらしい。
「水でも飲むか。というか起き上がれるのお前」
「いらない」
思いの外はっきりとした声が返ってきた。それに瞬きを一つするも、確かにこの馬鹿ならこれくらいの期間で完治もするなと納得した。
「痛みは?」
「無い。ねえアル、こっち来て」
「もう十分来てるだろ」
「そうじゃなくて、顔寄せて」
「はあ?」
病み上がりだからかいつもより言っていることの意味がわからない。けれどやはり病み上がりだから、という理由で僕は言われたままに顔を近づけた。
それが間違いだったと、僕は後悔する。
「ぇ」
ふわり、いつもと違う匂いがした。濃い花のような匂いだ。
それに意識を取られた瞬間、僕の口は塞がれた。
「!」
驚きすぎると人は硬直するというのを僕はその時初めて知った。
輪郭がぼやける程近くにシリウスの顔がある。柔らかなものが口に触れている。その触れた箇所から、シリウスの体温がわかる。
ああこれは口付けだと、やけに冷静に僕の頭は叩き出した。
「アル、くちあけて」
ほんの少しだけ口が離れて、聞いたことがない声でシリウスが僕に囁く。シリウスが喋るだけで息も唇も触れる。こんなの距離が出来たなんて言わない。何をされているのかも、何をしようとしているのかも僕はわからなかった。否、キスをされたのはわかる。
なぜシリウスが僕にキスをしたのかがわからない。
僕は混乱していた。シリウスが倒れた時以上に気が動転している。
「おねがい」
蜂蜜みたいな声だった。瞬きもできなかった。
「いや、だ…っ」
また距離がなくなった。熱い呼吸が僕の中に入ってくる。後頭部を押さえられて逃げられない。触れた箇所が熱くて、柔らかくて、やっぱり何が起きているのかわからなくて僕はシリウスの肩を押す。病み上がりのくせにシリウスの体はびくともしなくて、その手が煩わしかったのかシリウスの片手が僕の手首を掴んだ。
勘違いじゃないと瞬時に理解出来るほどその手が熱い。
「待っ、シリウス…! おまえ、熱」
「うん、めちゃくちゃ熱い」
唇が離れる。
「熱いから、助けてアル」
シリウスの目が鈍く光る。僕はシリウスのこの目を知っている。
これはシリウスが獲物を狙っている時の目だ。
「! 待、まてシリウス。お前様子がおかしいから…!」
掴まれた手首が引っ張られて背中がベッドに押し付けられる。
見たことがない顔をしたシリウスが僕を見下ろしている。目は獲物を狙うそれなのに、表情は狂気めいて見える程楽しそうだ。
「…うん、今の俺すげえおかしい。おかしいんだけどさ、多分これ利用した方が良いやつだって思ったんだよね」
「…は…?」
「アルはさ、優しいから」
シリウスの手が僕の手首を強い力でベッドに縫い付ける。「そんなんだからパワー勝負でいつも俺に負けるんじゃん?」つい数日前言われた言葉を思い出したけれど、それを悔しがるような余裕は今の僕には無かった。
「俺のこと拒めないでしょ?」
確信、その言葉が何よりも見合う声と顔でシリウスは囁いた。
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