緊張と緩和

「救護班急いで来てくれ!」

「ルーヴ! おいルーヴ聞こえるか⁉︎」


 シリウスの周りに人が集まる。僕はただそれを呆然と眺めるしか出来なくて、目の前で起きた事の理解が出来ていなかった。

 動揺しているんだとわかった。目の前でシリウスが倒れている状態に、最後に炸裂した魔力の濃密さに、今起きていることの全てに動揺していた。心なしか心拍がいつもより早い気がする。呼吸も浅くなっているような気もする。


 限りなく思考が狭められている中、でもどこかで冷静な自分もいた。

 そうか、予測不可能だった事態に気が動転しているのに感覚だけが鋭敏になっているんだ。


 だからよくわかる。みんなの焦っているような声も、乱れている意識も、気持ち悪いくらいの森の湿気も、全部が鮮明に理解出来る。


「おいスタクどうし──」

「この周辺を燃やします」

「は?」

「シリウスを襲ったのは魔物です。多分最後の抵抗で自爆したんだと思います。でも、魔物自体があの小さな虫なんだとしたら爆発と同時にそこら中に散らばってる」


 張られていた水の防御壁の側に小さく蠢く魔力を感知してすぐ様燃やす。よく見なくとも鈍色の虫がそこら中にいるのがわかって思わず舌打ちをした。

 シリウスが巨木を燃やしたおかげで森に光が入った。でもその影響で虫の見分けが付きづらくなってしまっている。この量の魔物を一体ずつ潰していくのなんてあまりに効率が悪い。それならば燃やしてしまうのが一番合理的だ。


「班長、許可を下さい。半径十メートル程燃やします。その間にシリウスを連れて行って下さい。それと、医療魔法が使える人を大至急呼んで下さい」


 周りは騒がしいはずなのに静かだと感じる。でもきちんと状況は把握出来てる不思議な感覚だった。

 班長がじっと僕を見ている。ああ、この人はきちんと僕の言うことを聞いてくれる人でよかったと心から思う。


「シリウスの腹から虫が入っている可能性があります」

「⁉︎」

「あいつの体からあいつ以外の魔力を少しだけ感じます。寄生されているかもしれません」

「…わかった、何人か人を残す。指示を仰ぎながら慎重に行動しろ」

「ありがとうございます」


 続々とやって来る他の班に班長が指示を出しているのを聞きながら目についた虫を残らず消していく。少し意識を集中しただけで夥しい量の虫がいることがわかる。

 ここに到着する前森が騒がしくなった瞬間があった。多分シリウスが巨木を燃やそうとした瞬間だと思う。あの時聞こえた音はもしかして母体を傷付けられることを恐れた奴らのものだろうか。もしそうなのだとしたら考え付かない程の魔物がいることになる。


 燃やすだけで新たな寄生は妨げられるのだろうか。そもそも寄生して何をするつもりなんだろうか。どうしてそんな手段を取ったんだろうか。考えても考えても答えの出ない問いが際限なく頭の中に浮かぶ。


「スタク!」

「!」


 鋭い声で呼ばれてハッと顔を上げる。

 そこには声と同じくらい鋭い目をした班長がいた。


「…ルーヴは任せろ。ここは頼んだ」


 肩を叩かれ、そこでようやく僕は意識をシリウスに向けた。

 青白い顔をしていた。寝ている時ですらいつも少し腹たつ顔をしているのに、今は苦痛に歪んでいる。でもその表情がまだ生きているのだと教えてくれて、途端に息がしやすくなった気がした。

 魔物の残党狩りとシリウスの緊急搬送とで人がどんどん離れて行く。最終的に残ったのは十人程で、その誰もが魔力探知に優れた人物だった。


「集中しねえといるかどうかもわかんねえのがそこら中にいるってのはもうホラーだな」

「まあでもスタクの言う通り十メートルくらい焼けばとりあえずは落ち着きそう」

「よし、じゃあこれ以上被害がデカくなる前にやるか」


 ここにいる誰もが一人で半径十メートルを焼くことなんて容易い。それでもこれだけの人数が止まったのは今が緊急事態だからだ。

 中心部から距離を取って指揮権を持つ人の合図を待つ。


 魔力を練り上げている最中も、火が木に燃え移った時も、今度は森がざわめくようなことはなかった。それに一抹の安堵を覚えつつも、やはり不安は拭えない。

 あれだけ鬱蒼としていた森に空間が出来た。高火力で焼いたおかげか地面は黒く焦げているし、まだ地中には熱が残っていて小火が揺れている。集中して魔力探知をしてももうこの周辺に虫の気配はしなくて一応は収まったのかなと息を吐く。


「…終わったな」

「はい」

「じゃあ俺たちはこのまま残党狩り班に合流する。お前は戻れ」

「え」


 予想していなかった言葉に目を丸くすると先輩は班長がしてくれたように僕の肩を叩いた。


「ルーヴのことが気になるんだろう? あいつと一番付き合いが長いのはお前だ。何があってもいいようにそばにいてやれ」

「、でも」

「先輩命令だ。逆らったら三日間風呂掃除」


 バシン、と結構な勢いで今度は背中を叩かれてつんのめった。

 思うことはあるけれど、それもそうだなと納得する。


「…ありがとう、ございます」

「おー」


 先輩たちは片手を上げてさっさと森の奥へと行ってしまった。

 一人になって大きく息を吐き出した。自分が思っていた以上にこの状況に緊張しているのだとようやく気付く。気付いたら、今度は言いようのない不安がじわじわと湧いてくる。この不安の正体は理解したくないけれど体が兵舎の方に向くと僕は走り出した。


 この世で一番馬鹿なあいつがどうこうなる筈がない。そもそもどうなったところで僕には関係無いし、むしろ顔を見なくなるのであれば清清する。なぜなら僕はあいつのことが気に入らないからだ。常に僕の先にいて、無鉄砲で馬鹿なあいつが僕は嫌いだ。

 だからどうなろうと構わない筈なのに、僕は必死に走っていた。


「し、つれい、します…!」

「うおあ、スタクお前どうした」

「げほっ、シリウス、どうなってますか?」


 兵舎の奥にある医務室の扉を開けると救護班の人が大袈裟に驚いて体を浮かせた。

 肩で息をしながら喋る僕を見てその人は「ああ」と納得したように頷き、緩く笑みを浮かべて見せた。それだけでシリウスが無事なのだと悟り、一気に脱力感に襲われる。


「うおいスタク大丈夫か⁉︎」

「大丈夫、です。ちょっと本気で走りすぎました」


 その場に座り込んだ僕を見て驚いていたけれどすぐに豪快に笑い飛ばされて僕は少し居心地が悪かった。呼吸を整えてから立ち上がるとその人が手に持っていた資料を見せてくれる。


「ルーヴの傷はきっちり洗浄して治療済みだ。確かに体内に虫型の魔物が入り込んでいたがそれもきちんと対処してる。気になるようならお前もこの後行って確かめると良い。お前の魔力探知で引っ掛からないんだったらこちらとしても安心だしな。傷も大体は修復済みだから、まあ一晩寝て様子見ってとこだ」


 資料にはシリウスの体の状態や体内から発見された虫の説明が事細かに記されていた。


「お前は怪我とかしてねえか?」

「僕は大丈夫です。慎重なので」

「そりゃ良かった。じゃあ俺はまだ色々しなきゃならねえんでな、気になることがあればまた聞きに来てくれ」

「はい、ありがとうございます」


 一礼して医務室から出ると今度はシリウスの部屋に向かう。シリウスの部屋といっても、そこは僕に充てがわれた部屋でもある。まだ入隊して数ヶ月も経っていない新人はおろか平隊員には個室なんて充てがわれない。それは騎士団長の息子であるルーヴにも該当するらしく、学園から引き続き部屋も相部屋だ。


 部屋の前に着き一応はノックをするがもちろん返事は無い。「開けるぞ」ドアノブに手を掛けて扉を開けると普段はしない消毒液と鉄の混ざった匂いがした。中に入り、扉を閉めて両端に置かれたベッドの左側に目を向ければそこには眠っているシリウスがいた。

 相変わらず顔色は悪いし、いつもはどういう原理かわからないがつんと立っている髪も心なしか萎びている気がする。

 …だけど、もう死の気配は感じない。


「…シリウス」


 ベッドの側に立ち名前を読んでも当然反応は返ってこない。腹部の傷が呼吸をする度に痛むのか苦悶の表情を浮かべていて、僕はほとんど無意識に杖を抜いた。その先を腹部に向けて意識を集中する。

 淡い光が収束し、シリウスの腹部へとその光を下ろすと歪んでいた表情が和らぐ。

 僕は高度な医療魔法は使えないけれど、痛みを緩和するくらいのものなら扱える。深く呼吸を始めた姿を見て短く息を吐き出して杖を元の場所へとしまう。


「……」


 無事で良かったとは口に出せなかった。そう声に出すのは例えシリウスの意識がない時だとしても羞恥心が先行して無理だっただろう。でも、確かに僕は今ここで息をしているシリウスを見て心の底から安堵したのだった。

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