ヴィズの森②

 森に入っている全班に連絡が行き、国境近くの深い場所にまで足を伸ばすことにして幾ばくかの時間が経過した。広く複雑に枝分かれしている木々のおかげでほとんど陽の光は入ってこず、まだ時間は昼にも差し掛かっていない筈なのに夜が来たのかと錯覚する程辺りは暗い。進み始めてから魔物とは遭遇していない。ただいやに森の中が静かな気がして不気味だった。


 魔物とは本来不規則に同一の個体が発生する。唯一新月の日だけは別個体が同時に発生するのだが、それでも魔物は同一個体以外とは群れることが無い。発生する原因も群を形成する理由もいまだに謎に包まれているが、僕たちが魔物について知っている知識は唯一それだった。

 だから今直面している現象は、正直に言えば理解の範疇を超えている。


 種別も大きさも関係無く群を成す。たったそれだけの字面なら脅威に思う必要はないのかもしれない。だが僕や班長たちが恐れているのは群れを形成しているということに対してではない。


 群れを形成した方が効率が良いという知識を、奴らが得たのかもしれないという未知の恐怖に、僕たちは全身を緊張させていた。

 会話もなく僅かに差す光が作り出す薄ぼんやりとした輪郭を頼りに道なき道を進んでいれば、それは突然現れた。


 否、僕たちが遭遇したのだ。


「なんだ、これ…」


 そう零したのは先輩のいずれか。僕は想定外の存在に目を見開いて視覚から得られる情報を必死に整理していた。そこにいたのは紛れもなく魔物だ。だがその姿はどう見ても巨木で、一見すればおかしいところなんて何もない。けれど溢れ出る魔力がその存在が魔のものだと知らしめていた。


「…植物型の魔物なんて聞いたことあるか、お前たち」


 班長の固い声が訊く。

 僕たちは誰一人として言葉を返すことが出来ず、ただ呆然と聳え立つ巨木を見上げた。


 先程倒した小型の魔物なんて比にならない程の魔力を溢れさせるそれに、僕の直感がこれは異物だと訴えて来る。きっとここにいる全員が同じ意見の筈だ。けれどその誰もがこの状況を理解出来ていなかった。

 唯一人を除いて。


「これ、虫に寄生されてるんじゃね?」


 この緊迫した状況に似つかわしくない呑気な声に全員の意識がハッとする。


「…どうしてそう思う?」

「このうろから濃い魔力が発生してる。それと、多分この木から落ちた実にそれっぽい虫が入ってる。ほら、そこ」


 シリウスが指差したのは巨木の根本に広がった亀裂。言われてみればそこから濃く禍々しい魔力が漏れ出ているのがわかるし、誘導されるままに足元に落ちている木の実を剣で慎重に割けば中から鈍色の小さな虫がいくつも這い出てきた。


「うわあああっ」


 先輩の誰かが悍ましそうに情けない声を上げた。でもその気持ちもわかる。

 これはあまりに気色悪い。


「……──!」


 無言で木の実を燃やした後、その鈍色を思い出して僕は目を見開いた。

 水面に油を垂らしたようなこの色を、僕はさっきこの目で見た。


「シリウス」

「うん。さっきの魔物もこの虫に寄生されてたんだろうね」


 目の色がおんなじだ。

 静かだと思うくらい冷静な声で告げられた言葉に悪寒が走る。

 嫌悪感と同時に、再び弾き出された可能性に思考が急速に開店するのがわかる。それはどうやら班長も同じらしく、固い表情のまま口を開いた。


「──ひとまず各班に連絡。領主殿にもこの事はお伝えする。果実はいくつか持って帰って王都に輸送。この木はこの場で焼く。だが何が起こるかわからん、警戒は十分過ぎる程にしておけ」


 誰もが班長の言葉に頷いた。

 それしか手立てがないと、みんな本能で理解していた。

 植物の魔物からは魔力を感じても攻撃意思は当然ながら感じない。その静かな凶悪さが純粋に気味が悪かった。誰も彼も目に見えてこの不測の事態に困惑しているのに、その重たい空気をものともしない楽しさすら滲んでいる明るい声が響いた。


「燃やすの俺がやっていーですか?」


 この事態にシリウスはただの一ミリも動揺なんてしていなかった。

 楽しさを見出しているのだと、その顔から容易に読み解くことが出来て僕は改めてこいつはとんでもないやつだと思った。


「…構わんが火力には十分に気を付けろよ」

「ダイジョーブです。戦いながらするわけじゃねーからいつもより精度は上!」


 やはり呑気に笑ってみせるシリウスに班長の顔から僅かに緊張の色が抜けて軽く口角が上がった。


「ならよし。ただ周辺の警戒が終わってからだな。本当に果実を食うことで寄生されたというのであれば魔物の数は未知数だ。最悪普通の動物すらも魔物になっているかもしれない。…嗚呼、声に出したら頭が痛くなってきた。どうしたってこんな悍ましいもんが目の前にあるんだ」


 呪詛を吐くように重たい声が響く。少しだけ明るくなった空気もすぐに上書きされてしまうくらいにはこの木が起こしている事象は悍ましいからだ。


「愚痴ってもしょうがないな。水魔法が得意な奴は木の周りに水の幕を張れ。ルーヴの火力なら他に燃え移る可能性がある。被害は最小限に抑えろ、良いな」

「了解」


 本当ならこの巨木をそのままにして王都からの研究機関を待った方がいいのかもしれないが、ここは国境の森だ。いつ魔物が発生するかもわからず、しかも新月が近い。更には野生動物からの攻撃も加わるかもしれないとなると、ここを二十四時間体制で見張るなんてことはまず不可能。だから存在そのものを燃やすという一手が今の最善だった。


「僕は警戒と他の隊と合流した時の状況説明に当たります。果実の回収は任せました」

「了解。気を付けろよ、スタク」

「はい。…シリウス」

「わかってる。ちゃんとやるよ」

「ならいい。…ではまた」


 木から距離を取ると不気味な程森が静かなことに気がついた。

 嵐の前の静けさというのだろうか、陽の光が届かない森だとしても以前入った時はいつでも生き物の気配がしていた。それなのに、今は木が風で揺れる音しか聞こえてこない。木々の枝が複雑に絡み合い、それが揺れて起こる音は怪しげな笑い声にも聞こえて嫌な気分になる。


 その静けさが余計にあの巨木の気味悪さを引き立てる。

 何事も無ければ良い、そう思いながら止まっていれば後方から何かが動く気配がした。咄嗟に剣を構えるが、近づく魔力に覚えがあって剣を下げる。


「スタク」

「ヤード、そっちの魔物はどうだった」

「途中遭遇した個体は小型と中型が一体ずつ。二体同時に遭遇したから群れてたと見て間違いないと思う。それと、目の色も変だった。なんていうか、油みたいな…」


 同期のヤードが話す内容にやはりと眉間に皺が寄る。


「全部で五体いたけど目の色が確認出来たのはその一体だけだ。それで、その木はどこにあるんだよ」

「ああ、この奥に──」


 ぞわ。

 足元から底無し沼に引き摺り込まれるような悪寒が全身を襲った。勢い良く巨木の方を振り返ると同時に森の中の静寂が打ち破られた。ありとあらゆる動物の叫ぶような声が周囲に木霊して異常事態だと悟る。


「今すぐ木の方へ戻ります! 僕の後についてきて!」


 迷っている暇は無かった。

 あの巨木からはそう離れていない。ものの数十秒走れば問題なく着く距離なのに、何故だか嫌に遠く思えた。近づくにつれて巨木の魔力と慣れ親しんだ魔力がぶつかり合っているのを感じる。

 その魔力が誰のものなのかなんて分かりきっている。


「シリウス!」


 天にまで昇るんじゃないかと思う程の火柱が立っていた。一点の曇りも、歪みもない純粋な高圧力の魔力で魔物の存在が削ぎ取られていくのを感じる。

 白に近い火柱と水の防御壁の間に立つ男は、僕の声を聞いてそっと顔だけ振り返った。火を背になんでもないみたいに笑うそいつの目が逆光になっている筈なのに煌めいて見えた。


「なぁに、アル」


 圧倒的な力をこうして見せつけられるのは何度目だろう。もう数えることを諦めてしまうくらいにはこんな風景は僕の日常になりつつある。そう、日常に近い景色のはずなのに僕の意識はいつだってシリウスに引っ張られる。


 ああ、眩しいなあ。

 まるで一等星のような光を放つ存在に、体が焦がされていくような気がした。


「アル、俺ちゃんとやったからさ」


 ぱち、と爆ぜる音が聞こえた。


「ルーヴ、防御だ!」


 隊長の怒号が響く。

 火柱の中で“何か”が炸裂した。一瞬膨れ上がった魔力が次の瞬間には確認出来ないくらいに消失して、そして、目の前でシリウスの体が地面に倒れた。


「ぇ…」


 そこには腹部から血を流すシリウスがいた。

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