ヴィズの森①

 そんな訳で僕たちは学園を卒業してもセットとして扱われ現在に至る。

 赴任先のネヴュラ領には国境沿いに広大な森がある。その森の中間地点が隣国との境目になっているのだが、僕たちの敵は人間ではない。むしろこの世界から大きな戦争がなくなってもう百年は経っている。


 紫の国の隣に位置している赤の国は大国で、この世界の中心と言っても過言ではない。各国独立はしているものの世界規模の会議がある時の最終決定権は赤の国に委ねられる事が多いといえば権力の巨大さがわかるだろうか。


 国の中での領地争いという小さな紛争は絶えないが世界規模の争いはしばらく起きていない。それなのにどうして国境沿いに戦闘力に特化した人材が送り込まれるのかと問われたら答えは一つだ。


 この世界には魔物というものが存在する。どこで生まれるのかも、いつから存在するのかもわからない正しく魔のものたち。そいつらは突然発生し、人を襲う。

 大抵が大きな獣の形をしているものだったり、虫が禍々しく成長した姿であったりと様々だが共通して言えることは油断すれば簡単に命を取られるということ。


 奴らには人間のような思考は存在しない。あるのは強烈な捕食するという本能だけであり、多少の傷を負った程度なら余計に攻撃力が上がる化け物たちだ。

 そんな化け物が、このネヴュラ領には不規則に発生する。


「伝令! ヴィズの森で魔物の発生を確認! 小型の動物系が数体発生している模様、直ちに出動せよ!」


 朝の訓練が終わり食事をしている最中の出来事だった。

 兵士一人一人に支給されている通信機に鋭い声で伝令が走る。それまで騒がしかった食堂が一瞬鎮まり、次には隊長格の男の指示が飛ぶ。それに空気が震えるような音圧で答え、各自が担当の場所へと向かう。


「最近多いな」

「しょうがない、そろそろ新月だからな。奴らが騒ぎ出す時期だ」


 走りながら現場に向かう中、先輩の言葉にああそうかと明るい空を見上げた。

 西の白んだ空に浮かぶ細長い月はあと数日で一日ほど姿を隠す日がやって来る。闇に包まれるその日が近づくに連れて魔物たちの動きは活発になる。法則性が見出せない魔物についてわかっている唯一の事がそれだった。


 ヴィズの森。鬱蒼とした木々が茂る森だが一つ一つの木が大きく、それが太陽の光を拒んで中は薄暗く湿った匂いがする。地元住民はここを昔から闇の森と呼んでいるようで、初めてそれを聞いた時はなるほど確かにと頷いたものだ。


「魔物が目撃されたのは森の中央付近。いつどこで鉢合わせるかわからん。小型だからと言って油断はするなよ」


 いくつかの班に分かれ、僕達は前線へと向かうべく森の前で隊長の言葉に耳を傾けていた。


「各自魔物を発見次第撃破せよ。ただし火力馬鹿どもは規模を考えるように」


 魔物の討伐は勿論これが初めてという訳ではない。緊張感はあるけれど隊長の言葉に何人かの肩が跳ねたのを見て誰かが笑い、空気が少し柔らかくなる。それを見て笑みを浮かべた隊長だったが、一呼吸の後眼光を鋭く言い放った開始の合図に僕たちは暗く深い森の中へと足を踏み入れた。




「ぜんっぜん魔物見つからねえなー。こっちには来てねえのか」


 森に入り幾らか時間が経過した。離れた場所から魔力の揺れとその数秒後に何らかしらの音が聞こえてくる辺りそちらの方面には魔物が出現したらしい。だが僕たちの方には目立った魔物の痕跡はなく、こっちは空振りかなと考えながら周囲を見渡していれば前方から大きな溜息が聞こえた。


「俺もバッタバッタ倒してえのにー!」

「火力馬鹿その一は血の気も多いから手に負えねえよなぁ。いいかぁルーヴ、前も言ったが魔物なんていねえ方がいいんだからそんな残念そうな顔すんな」

「そんなのわかってますけど、それとこれとは別というか…」

「そいつはただ単に遠慮無く叩き潰せる口実が欲しいだけなので気にすることはないですよ」

「アルー! それ内緒だって、え、あれ? なんで知ってんの⁉︎ 俺それ誰にも言ったことない!」

「お前の考えそうなことなんて大体わかる。何年世話焼かされてると思ってるんだ」


 光の届かない鬱蒼とした森の中でシリウスの声がよく響く。大きな声は魔物に見つかるからよせと何回も注意をされているのに直さないのは、こいつがわざと見つかろうとしているからだというのを僕は知っている。


「シリウス、声のボリュームを落とせ。お前が戦闘大好きな馬鹿なのは随分前から知ってるけどそれに先輩達を巻き込むな。あと魔物はお前のサンドバッグじゃない、勘違いするな」

「うぐ…」


 隊列を縦にした時、僕よりも前にいるシリウスが唇を噛み眉を寄せた不細工な顔で僕を見てくる。正論を言われ言い返せなくなるとこんな顔をすると知っている僕は嘲笑うように鼻で笑った。


「はいはいスタクも煽らない。でもスタクの言ってることは正しいぞ。ルーヴ、お前は確かに強いが俺たちは今チームだ。輪を乱す奴は作戦には必要ないって、この前も言ったよな?」

「はいっ、すみませんでした!」


 びしっと気を付けをして頭を下げる様子にまた笑えば能面みたいな笑顔の班長が僕を見た。背筋にひやりとした物が伝い思わず肩を跳ねさせると満足したように首を縦に振っていた。


「反省しているなら良し。──さて、こっちにも出るぞ。焦るなよ」


 いつの間にか空気が張り詰めていた。シリウスの立っている場所の奥の方から音がしたと同時に腐敗したような獣の臭いが漂う。


「スタク、数は」

「十一時の方向に一体、二時の方向に二体。どれも小さな個体です」

「ルーヴとスタクで二時方向の個体。もう一体は俺がやる。周辺を警戒しつつ適宜援護」

「了解」


 指令が飛ぶや否や我先にとシリウスが飛び出す。それに思わず舌打ちして後を追えばこちらの接近を予想していた魔物が牙を剥き出しにして飛びかかろうとしていた。


 魔物の見た目は動物に近い。ただし全身から毒々しい黒色のオーラを放っていてパッと見ただけでは黒色の塊としか判断が出来ない。近付いてみて初めてその個体の見た目がわかるのだが、光が届かないこの森ではそれも相当な近距離にならないと判別が効かないが、どうやら今回の魔物は四足タイプのようだった。


 魔物が殺意を剥き出し手にして飛びかかることに驚きはしないし、想定内だ。ただ僕が少し焦っているのは今にも爆発でも起こすんじゃないのかと錯覚する程の魔力を練り上げている目の前の馬鹿にだ。


「九時と三時の方向から援護お願いします! 最短で!」


 背後に控えてくれていた先輩は言われるまでもないとばかりに指示を言い切る前に飛び出して熟練されたスピードでそれぞれが魔物にダメージを与える。


「あっ!」

「獲った」


 完全に出鼻を挫かれたシリウスが失速する。その隙に追い越して魔力を纏わせた剣で魔物を二体共刺し貫けば完璧に絶命した証として奴らの体は灰となって消えていく。

 妖しく光る鈍色の目と視線が絡まった時、明確な違和感に目を眇める。

 なんだ、


「……」


 目を逸らすことなく終わりを見届けてから、違和感が拭えないまま剣を鞘に直すと背後から視線を感じて振り返る。


「…火力馬鹿はいい加減力の制御方法覚えろ」

「今のは圧縮したの試そうとしてたんですー! なぁんで俺の獲物横取っちゃうの! ずるいじゃん!」

「ズルくない。被害も魔力消費も最低限に抑えた最も合理的な討伐方法だった」

「うんうん、スタクの意見が概ね正しいねー」

「ルーヴの圧縮した高密度の魔法って一歩間違えたらただの爆発だし」

「森の中でわざわざ選択する攻撃方法ではないよねぇ。決まれば相当強いのはわかってるんだけどさー」

「グフゥ…っ」


 がくっと肩を落としたシリウスを尻目にもう一体のいる方向へと意識を向ける。音も聞こえてこない辺りきっと彼方も討伐済みなのだろう。四足歩行の魔物は見た目からして強くない個体だった。恐らく本来は群れを成しているタイプだろうが──、そこまで考えて目を見開いた。

 


「…シリウス」

「なに?」


 まだ微妙に落ち込んだままの声で反応したシリウスだったが、僕の様子を見て瞬きをした。


「…僕たちがさっき倒した魔物は、同じ種類だったか?」

「違ったの?」

「わからない。ただ違和感が」

「スタク、今の話は本当か」


 必死に記憶を探っている中で班長の鋭い声がして顔を向ける。その表情には僅かにだが焦りが滲んでいるようにも見えた。


「、確証はありませんが、違和感はありました」

「…そうか」


 短く息を吐き出した班長が眉間に深く皺を寄せて僕たちを見た。


「俺たちが倒した魔物は中型だった」


 僕を含めた全員の目が見開かれたのがわかった。


「……おかしなことが起きてるかもしれない。直ちに他と連絡を取る。お前たちは周辺警戒を怠るな」


 班長が少し離れて通信機で他の班や隊長と連絡を取っているのを見ながら、僕は口の中が乾いていくのを感じた。


「…シリウス」

「ん」

「種類の違う魔物が群れになっていた記録って読んだことあるか」

「そういうのはアルの方が詳しいじゃん」


 そう言われて、先輩の方にも顔を向けると誰もが首を横に振った。

 想定していない事態が起きている可能性に心臓が普段より少し早く脈打つ。そして今僕が考えている可能性が現実なのかもしれないと思うと目眩がしそうだった。


「ダイジョーブ」


 大きな手が僕の頭を撫でた。いつもなら振り払うのに、この時は出来なくて、むしろ小さく安堵すらしていた。


「なんの根拠もないけど、何が起きても俺たちならなんだって出来るからダイジョーブ」

「…馬鹿は気楽でいいな」


 その自信はどこから来るんだとか、これだから馬鹿はだとか、浮かんだ言葉はあったけれどその根拠のない自信と屈託の無い笑顔に体から力が抜けたのがわかった。

 でもその穏やかさも、通信を終えた班長の顔を見て消え失せる。


「…種別関係無く魔物が群れを形成している可能性が出てきた。これより更に森の深部に進む。各自、一瞬たりとも気を抜くなよ。今俺たちは歴史に無い事態に直面している可能性がある」

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