第5話 誰が最後に笑ったか

私・平栗雅人です。

すでにローソクの灯が消えかかっていますから、あの世で笑っているだろう、というわけです。(この世で笑っているのはユダヤ人だけ。)

それ故、三途の河原を歩くために毎日足(の裏)を鍛え、閻魔さまの前で「オレは在来種純粋日本人である」ことを証明するために、ニッポンの歌を練習しているのです。

20代の頃は、仲間が事故で亡くなったり、事故や病気で周りの人が死んでも、まさかこの自分がなんて、夢にも思わなかったのですが、これも世の常・人の習いというものか。「箱で買った鯖の缶詰がなくなる頃か」なんて、最近はしみじみとあの世を楽しみにしている、とは狂気なのか。

しかし、今の日本を見ていると、韓国風見かけだけの景気の良さだけ。

  どいつもこいつも「真剣味のない韓国脳人間ばかり」で、見かけは元気でも寿命が来ている私と同じ状態ではないのか。

60~80年代に比べると、人の元気の無さ・世の中の活気の無さは、100分の1という位のレベルに感じるのですが。

   →  日本映画「駅前旅館」1958年 東宝

  昭和30年(1955年)代の映画ですが、子供も大人も男も女も、かつての日本にはもの凄いパワーがあった(この縄文人パワーこそが、こののち、日本の高度成長時代を現出させたのです)のだと、懐かしく感じます。



2024年9月3日

V.1.1

平栗雅人

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