第21話 天才 vs 大蛇

 時間は遡り、イスカと美琴が別れたすぐ後。


「出てこい。いるんだろ?」


 認識阻害の術を使い、不意打ちで片付けられないかな、などという淡い期待を抱いてこそこそと近づいていたイスカは、あっさりと男に看破されていた。

 バレているなら、無駄に魔力を消費する意味もない。仕方なく、イスカは認識阻害の術を解いた。


「お? 恩人じゃねえか。さっきぶりだな、生きてたのか」

「お陰様でな。あと、その呼び方やめろ」

「そりゃ悪かった。にしても、見ないうちにえらく見窄らしくなったじゃねえか」


 治療を行ったとはいえ、所詮はその場凌ぎの応急処置。出血は止まっており、増血剤も飲んだとはいえ、五分十分で効果が出るようなものでもない以上、貧血は継続中だ。

 ただ、メリットと呼ぶにはささやかながら、かなり霊力が抜けたので左腕はある程度は動くようになった。使い物になるかは置いておくが、動きやすくなったのは事実である。

 本音を言えば、せめて腕くらいは美琴が治せたならベストだったのだが。


「え? 私がそういうの苦手だって知ってるでしょう?」


 とのありがたいお言葉を受け取った。

 これ以上強くなられても困るが、少しくらいは霊砲以外のこともできるようになって欲しいところだ。


「ま、お前を片付けるには充分だよ」

「……へえ、大きく出たな。俺は別に、恩人と戦う気は無かったんだが」

「お前に無くても俺にはある。付き合えよ、火事場泥棒」

「はっ! お巡り気取りか? テメェも同類だろうに」

「馬鹿言え、俺は家主と知り合いだから良いんだよ」


 ※良くない。


「ほお、知り合いがこそこそ穴掘ってたのか」

「何か文句でも?」

「いいや? 関係性は人それぞれだからな」


 側に仕える大蛇が、鎌首をもたげた。


「だが、それならお前は俺の敵だ。恩人を手に掛けるのは心苦しいが、ここで死ね」

「どうも、人の話が聞けないらしいな。その厚かましさに免じて、そいつを財布にするのは勘弁してやる。その代わり、慰謝料くらいは払ってもらおう」

「悪いな、持ち合わせが無え」

「心配しなくても、身体で払わせてやるよ」


 今度こそ本当に、最後の戦いが始まった。




 さて、整理しよう。


 敵は龍脈と繋がった大蛇の式神。

 その性能は概ね美琴に準じている。

 あらゆるバフ、デバフの無効。

 鱗から溢れる霊力による対神秘は、最高峰の攻撃術式、霊砲すらをも弾く。

 体躯に満ちるエネルギーは、式神の基本性能をも規格外に引き上げ、肉体性能は美琴にも劣らなかった。


 唯一の救いは、霊砲は撃てないらしいこと。

 美琴と戦う中では使っていなかったらしい。

 美琴に霊砲が効くのかはさておき、使用できるのに一度も使わない、というのは不可解だ。単純とはいえ術ではあるし、撃てないものとして考えても良いだろう。


 見ての通りと言っても良いのか、正面からの攻略は殆ど不可能に近い。

 それこそ美琴なら、龍脈から引き出せる力の差を持って捩じ伏せられるかもしれないが、イスカには到底無理な話である。まあ、美琴はできたとしても、龍脈が洒落にならない程度に荒れるのでやりたがらないだろうが。


 ただ、この大蛇には美琴と違って一つ明確な弱点がある。


 それは、術者である中年の男だ。どれだけ強くとも、式神は所詮、術である。術である以上は、術者がいなくては存在できない。

 故に、男を攻撃するのが常道になるのだろうが。


「ほう? 俺を狙わねえのか」


 そんなものは、当たり前に美琴も試している。この式神は、男を守ることを最優先に動く。美琴に抜けなかった防御を力技で抜くのは、今のイスカには無理だ。


『"八番"』


 鈍い身体に鞭打って、大蛇の攻撃を躱す。蛇の動きは不規則的で素早いが、飛び道具がないだけでも相当にやり易い。


「知ってるか?」

「何をだ?」

「ここは異界だ」

「見りゃわかる。馬鹿にしてんのか?」


 イスカがポーチから取り出したのは、試験管に収まった黒い指。その蓋を開き、ぽいと地面に放り投げた。


『"来たれ"、"十五番"』


 起動されたのは、悪魔の名を冠す大アルカナを背負う術式。


「なっ、まさか!」

「知らないのか? 異界には妖が出るらしいぞ」


 異界の霊力を吸い上げた餓鬼の指が、めきめきと音を立てながら本来の姿を取り戻していく。


「テメェ! 妖使いか!」

「行け」

「――――!」


 怒声と共に、餓鬼が大蛇へと突貫する。だが。


「――――!?」


 大蛇の尾による牽制の一撃が、餓鬼の首をへし折った。


「はは! なんだ、雑魚じゃねえか!」


 餓鬼が光の粒子へ融けていく。

 しかし完全に融け切る前に、イスカがポーチから宝石を一つ取り出し、再び詠唱を紡ぐ。


『"消えぬ怨念"、"死者の群体"』


 残り四つの宝石、その中の一つが粉微塵に砕けた。


『"来たれ"、"狂骨"、"十五番"』


 妖といえど、死者は死者である。

 怨みを抱えて死んだ者は、何者であれ彼になる資格がある。とはいえ、たかが一つの霊魂では狂骨には至れない。


 故に、餓鬼はただのきっかけにすぎない。

 餓鬼を呼び出すために指を使ったように、狂骨を呼び出すために死体を用意したのだ。


 もちろん、狂骨はあの日、美琴の霊砲で完全に消し飛んだ。だが、餓者髑髏が狂骨へ至る直前の、切り離された拳。あれは霊砲を受けていないのだ。

 餓者髑髏が群体の概念である以上、あの拳にも少なからず霊魂が遺されていた。その霊魂を、イスカはどさくさに紛れて回収していたのである。


 異界、怨みを抱えた死者の遺体、餓者髑髏の一部。

 狂骨を形作るパーツは、すでに揃っている。


『――――!』


 餓鬼の死体が瞬く間に腐食していき、その中から威圧感を放つ白骨が産声を上げた。


『"十二番"、"八番"、"七……いや、無理か』

「これは……!」


 死者を操る術式、身体強化の術式。それからもう一つ起動しようとしたが、こちらは魔力残量の都合から断念した。

 しかし、一先ずはこれで充分だ。


『――――!』


 耐久力の限界を超えた強化の術式を施された狂骨が、大蛇へと突貫する。

 そして餓鬼とは比べ物にならない速度で、大蛇に拳が叩き込まれた。だが、大蛇の鱗が砕けることはなく、逆にその堅固さと自らの速度に耐えられなかった狂骨の拳が砕けた。


「その程度で」

『"再生せよ"』


 本来の狂骨は、圧縮していた身体を造るエネルギーを薄めることで体積を増やし、自らの欠損を補填していた。

 この狂骨にも同じことはできるが、元々のエネルギー量が少ないため、再生にかかるコストが重くなる。


 しかし、この狂骨は既にイスカの使い魔である。術の一つも知らなかったあの時とは違う。異界に満ちる霊力を吸い上げ、狂骨はめきめきと再生していく。

 この場の霊力が尽きるまで、狂骨は再生し続ける。


「こいつ、オロチの霊力を!」


 この場には、鱗から霊力を溢れさせる大蛇がいる。つまり、実質的には無限再生というわけだ。


「舐めるな! 叩き潰せ!」


 だが、それでも大蛇には及ばない。

 冷静に考えて、全盛期の狂骨でも美琴には歯が立たなかったのだから、廉価版でしかない今の狂骨が、大蛇に勝てるわけがない。

 連続して砕かれる狂骨の破片が、地面に溶けていく。狂骨に核のような弱点は存在しないが、再生の追いつかない速度で砕かれれば、遠からぬうち完全に消滅するだろう。


 そしてその時は、案外早く訪れた。


 面倒な敵手に業を煮やしたのか、大蛇は大口を開けて狂骨を呑み込んだ。それと同時、イスカの中にあった狂骨との繋がりがぷつりと途切れた感覚。

 やられるのは想定内だが、まさか食われるとは思わなかった。あまり良くないが、問題は特にない。


「これで終わりかあ!?」

「まさか」


 狂骨のお陰で、充分に彼らを観察できた。

 残り三つの宝石、その中の一つを取り出し、砕く。


『"怨み骨髄に徹す"』


 そも、龍脈と繋がるというのは至難の業だ。

 イスカもやろうとしていたが、流石に直接自分と繋げる気は少しもなかった。理由は単純、行えば死ぬからだ。

 龍脈から力を引き出すことは、例えるなら激流からストローでコップに水を引くようなもの。ストローごと激流に流されてもおかしくないし、成功しても一瞬でコップが溢れる。

 それよりはマシとはいえ、式神と繋げるというのも大概危険な行為だ。


 イスカの知識は主に使い魔から来ているが、それを基準に考えると、術者と式神には密接な繋がりがある。故に、コップもとい、式神から溢れたエネルギーは、術者に逆流する可能性が高い。


 だが、実際にはそうなっていない。

 であれば、溢れたエネルギーはどこへ消えているのか。


 この式神の本質は自転車操業だ。

 龍脈から流れ込む霊力で器を広げ、それでも溢れる霊力は身を滅ぼす前に消費する。そのサイクルが崩れた瞬間、この式神は自壊する。

 霊砲を撃てないのは大蛇が式神だからではない。霊砲を撃てるほどの霊力を身体に留められないのだ。


 そして、消えたエネルギーの行方。その答えは分かりやすく示されている。

 鱗から溢れる、あらゆる神秘を弾く霊力は、防御のための策ではなく、生存のために必須の生きる術なのだ。


「な、何だ!?」

「風……アベルか。向こうは終わったらしいな」


 砕かれた狂骨の破片は、宙に融けるのではなく、大地に溶けた。イスカの細工によって、異界ではなく龍脈に流れたのだ。

 あるいは、イスカの魔力が流れたと言っても良いだろう。ある種、龍脈へと繋がる危険な行為だが、イスカはそのリスクを狂骨に肩代わりさせた。


 本来、この行為には何の意味もない。

 広大な海に色水を垂らしたところで、すぐに希釈されて分からなくなってしまう。だが、流されたのは狂骨の一部であることには変わりなく、この場には龍脈から力を吸い上げる、自らの仇がいる。

 ほんの少し手助けしてやれば、式神に狂骨を取り込ませるのは容易い。結構な量を食われたのは予想外だったが、何とか砕かれた分だけで足りそうだ。


「……オロチ?」


 さて肝心なのは、取り込まれた狂骨がどんな役割を果たすのか、だ。

 狂骨に限らず、妖は澱んだ霊力から産まれる。

 逆説的に言えば、妖とは澱んだ霊力そのものであるとも言える。


 そして澱み、つまり停滞とは、自転車操業の天敵である。


『"停まれ"』


 ほんの一瞬、狂骨の残滓によって、鱗から放出される霊力が堰き止められた。

 その直後。


「なっ!?」


 破裂音と共に、大蛇の首元の一部が弾けた。

 巨大故に一部であっても損壊は膨大だ。弾けた血肉はシャワーのように周囲に降り注ぐ。生物ではない式神であっても、流れる血は赤いものらしい。理屈は不明ながら、致命的な損傷であるのは事実。


 だが、大蛇と男には有り余る霊力がある。まだ再生は間に合う。


「"再」


 そう判断した男が詠唱を紡ごうとした刹那。


『"眠り"、"弔い"』


 ぱきん、と宝石が砕ける音がした。


『"棺魂葬祭ただ、安らかに"』


 それは、死者を弔う炎。

 その術式対象は、大蛇ではなく狂骨だ。

 既に骨と化した者を焼くのはどこか可笑しさを感じないでもない。だがこの国の概念では、飛躍した解釈をする必要もなく、死者は焼くものである。

 浄化の意味を持つこの行為は、イスカには馴染みがないものの、誰にでも等しく与えられた権利だ。怨みを抱えて逝った彼にだって、弔われる権利はあるだろう。


 さて、そうは言うものの、イスカがこの術式を起動した目的は狂骨を弔うことではない。

 狂骨が焼けるということは、今現在狂骨の棺桶と化している大蛇も焼けるということだ。


 ギリシャ神話より、ヘラクレスは首を再生させる蛇の怪物ヒュドラを倒すために、傷口を松明の火で焼いたと云う。

 この大蛇はヒュドラでも何でもないが、それでも蛇である限り、概念としての弱点に逆らうことはできない。焼かれた傷が再生することは、決してない。


「生せよ"! "治れ"、"治れ"ぇ!」

「無駄だ。それより、早く接続を切った方が良い」


 何度も言うように、首とは概念的な急所である。

 首が破壊され、再生を許されなくなった大蛇に未来はない。遠からぬうちに、大蛇の術式は停止するだろう。龍脈と繋がったままに。


「っ! "解"! ぐぅうううう!?」

「あーあ、言わんこっちゃない」


 行き場を失った霊力は、繋がったままだった男へと流れた。幸い、接続の解除が間に合ったため、大蛇のように身体が弾けることはなかったが、逆流によって自分のものではない霊力に身体が満たされた状態だ。

 要は、先程までのイスカの左腕の症状を軽くしたようなものだろうか。


「まだ無理すれば動けそうだな。ミコト、頼む」

「はいはい、霊砲。気付いてたんだ?」

「そいつらを連れてきてるのは知らなかったけどな」


 魔術師ならともかく、陰陽師なら加減する必要もない。全身に霊砲を浴びた男が、無様に倒れ伏すのを横目に見ながら、二人は呑気に話していた。


『兄上……』

『何だ、今忙しい』

『あの大蛇を倒したのですか……本当に?』

『見たままだろ。元々不安定なやつだったし、何より相性が良かった。それだけだ』


 呆然と、ぼろぼろと崩れていく大蛇と倒れる男を見つめるアベルを冷たくあしらって、イスカは軽く息を吐く。


「何話してるの?」

「どうでもいい話。それより、早くコイツらを柳さんのところに預けに行こう」

「あ、そうね。でも、この子たちはまだ魔力残ってるけど、大丈夫なの?」

「魔力封じの道具が手持ちにある。適当に縛れば問題ない」

「おっけー」


 美琴が霊砲で異界に穴を開けて、戦闘不能者たちを抱えた二人は異界を脱出した。


「早く、病院に行かないと……」

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