第20話 怪物 vs 兄弟
イスカに指示された方向に向かうと、イスカとお揃いの黒いローブを着た二人組がいた。
どうも、異界を生み出すときに出現位置をある程度コントロールしたらしい。
器用なのは間違いないが、血を吐いたのはその所為でもあるのではないだろうか。必要だったことは理解できるが、身の削り方が洒落になっていないような気がする。
『お、前は』
「私、日本語しか分からないのよね」
「……何の、用、ですか」
辿々しい日本語。
とはいえ、イスカの弟ということは彼よりも年下、つまりは美琴よりも年下である。そう考えると、辿々しくとも話せているだけで立派過ぎるほどだ。
頭の良さは家系で決まるものなのか、という無駄な思考は傍に避けて、美琴は軽く話してみることにした。
「用ってほどでもないけど、聞きたいことがあってね」
あくまでも、美琴は自然体だ。
欠片ほどの緊張もなく、落ち着いている。
しかし、美琴の前に立つ二人は、途轍もない威圧感を感じていた。これは、神秘を扱う者であれば誰であれ感じる、根本的な力の差の表れだった。
「さっきさあ、茜っていう私と同い年の子が殺されかけたんだけど、なんか知ってる?」
些か物騒な話題ではあるが、やはり美琴の雰囲気は柔らかい。まるで日常の雑談、その延長のような。
「……いいえ、知る、ません」
「そっか。んー、食い違ってるけど……ここはアイツを信じておこうかな」
すっと、美琴が体勢を低くした。
「じゃあ、やろっか」
『"土石龍"!』
臨戦体勢を取った刹那、土砂の濁流が美琴を飲み込んだ。荒れた川の異名たる龍の名を持つ術式は、水分を含まぬ激流である。
そして美琴を飲み込んだ土砂は瞬時に固まっていき、光どころか空気すらも通さない棺桶と化した。
霊砲の欠点とすら言えない弱みの一つに、物理的な破壊力を持たないというものがある。この土砂は術式で生み出されたものではなく、実物に魔力を通して動かしたものだ。故に、霊砲をぶつけたとしても消すことはできない。
『アベル! ここは僕が抑える! 兄さんを――』
大仰な土葬から、一筋の光線が飛び出した。
その直後、土の棺桶に罅が入り、土砂を掻き分けた美琴が飛び出して来た。
「ぷはぁ! あは! やってくれたわね!」
土に塗れた美琴が、好戦的に頬を釣り上げる。
『"魔弾"!』
『"加速せよ"!』
「霊砲!」
風により加速された土の魔弾を、霊砲で破戒する。無論土はその場に残るが、圧力から解放され、ただの土砂へと戻ったそれに脅威はない。
『"疾風の加護を"!』
だが、魔弾を貫通していった霊砲は脅威そのものである。まともに食らえば即座に戦闘不能になるそれを躱すため、アベルが起動したのは身体を軽くし、移動速度を補正する術式だ。
「ふぅ……あぁもう最悪。この服お気に入りだったのに」
霊砲を躱した彼らに、追撃は無かった。再び向かい合い、二人は美琴の状態を確認した。
『嘘でしょ……』
信じ難いことに、棺桶から脱出した美琴には傷一つなかった。
不可思議な術でやり過ごしたわけではないだろう。それであれば、服だけがぼろぼろになる理由がない。
つまり、美琴を倒すためには、最低でも"土石龍"以上の火力が必要ということだ。
『カイン……』
『あぁ……すまない』
アベルに、"土石龍"以上の威力を持つ手札はない。もちろん、サポートを考えれば全く役に立たない訳ではないが、どの道勝てる見込みが薄い以上、二人で戦う意味はない。
損失は、少ない方が良いだろう。
「お、相談してたの? 終わるまで待ってあげましょうか?」
舐め切った態度すら気にならない。
強者には、それだけの権利があるからだ。
『行け! "呑め"、"土石龍"!』
「それはもう見たわよ!」
土砂が到来する直前に、美琴は地面を大きく陥没させながらの横っ飛びで攻撃範囲から逃れた。
しかし攻撃は無駄ではない。確かに生み出された時間がある。
「あー、なるほど」
アベルは一目散に、全身全霊を持って駆け出していた。
なるほど、風の術を使うだけはある速さだ。向かって行った先は、美琴がやって来た方向。美琴がイスカと話していたのだろうと当たりをつけたわけだ。
「でも、用事があるのは風使いの方なのよね」
『こっちを見ろ!』
一手目が避けられたとしても、元素魔術は次手に繋げやすい術だ。躱したはずの土砂からいくつもの腕が生え、美琴に掴みかかる。
「霊砲」
しかし、ただの一本たりとも届くことはない。薙ぎ払われた霊砲が、土砂に残った魔力の全てを消し飛ばす。腕は単なる土に戻り、次手に至る材料は失われた。
そして次の術式が組み上がるまでの間隙、美琴がカインに急接近する。
『化け物め……!』
「何言ってるか分かんないってーの!」
イスカ曰く、霊砲が直撃するというのは、魔術師にとって命に関わることらしい。
流石に殺すというのは美琴でも躊躇いがあるし、何よりイスカにも頼まれている。
「できたら、殺さないでやって欲しい」
それすら叶わないほど強いならそれはもう仕方がないが、幸いこの程度なら楽勝だ。美琴の力は人外染みてはいるものの、手加減はむしろ得意なところ。
必要な力を必要なだけ引き出し、最適な動きを実現する美琴なら、人が気絶する程度の一撃を繰り出すことは難しくない。
『ぐっ、がはっ!』
鳩尾を穿った右ストレート。手加減は完璧。臓器を壊さず、しかし意識を奪うには充分な威力だった。
「!」
ただ、見誤っていたのは彼の根気、根性。
『"物語、よ"、"閉じろ"』
美琴の右腕を抱え込んだカインが、絞り出すように詠唱を紡いだ。
『"
まるで、本が閉じられるように。
四角く切り取られた大地が二人を挟み込み、押し潰そうと迫る。
だが、その程度でやられるほど、美琴は弱くない。
カインを抱え、垂直飛びの要領で閉じられる範囲から脱出する。眼下では、挟み込まれた木々がめきめきと音を立てて潰されていた。
とはいえ、逃れてしまえば怖いものはない。
『"汝は、巨躯なる、もの"』
詠唱が、再び紡がれた。
『"勇猛なる、もの"』
土の物語が、形を成していく。
『"
現れたのは、土の巨人だった。
餓者髑髏には遠く及ばないものの、人を握り潰すには充分な大きさ。巨人は美琴を殺すべく、術者であるカインごと握り潰そうと手を伸ばす。
「ふっ!」
差し伸べられた手に対する、美琴からの返答は踵落としだった。殺意を足蹴に強烈な反作用を生み出した美琴が、巨人の頭上へと陣取る。
「霊砲」
崩壊の音を背中に受けながら、アベルは駆けていた。カインがどれだけの時間を稼げるか分からない以上、一刻も早くイスカを捕らえる。
いや、最悪でも"輝剣"だけは回収しなければならない。
『くそ……』
それなのに。
「お待たせ、待った?」
当然のように、怪物はアベルの前に立ち塞がった。
「カイン、は、どうした」
「あの土使いのこと? 心配しなくても殺してないわよ」
安心できる情報ではあった。どこまで信用できるかは分からないが、あまり嘘を吐くメリットは無いように思える。
「それよりもう一度聞きたいんだけどさあ、茜のこと、本当に知らない?」
美琴から感じる圧力が、明らかに増していた。
「別に、やったのがアンタじゃなくても、今から私がやることは変わらないから。それならせめて、気絶する前に本当のところを教えて欲しいんだけど」
深く息をした。
追いつかれたということは、この女は間違いなく自分より速い。やり過ごすのは難しい。
だが、兄はそれに成功していたという事実が、アベルの意識を蝕んだ。
自分は、兄に劣るのか?
どろりとした熱情が、折れかけた心を奮い立たせる。
魔術とは技術と意志を持って紡ぐもの。
意志を強く持つために、心は強く在らねばならない。その点についてイスカは一級品であり、今この時のアベルは、間違いなくそれに並んだ。
「はい」
「……」
「私が、やりました」
「そう」
暴力的なまでの霊力が、異界全域に広がった。
『僕が……俺は、勝つ!』
「歯、食いしばった方が良いわよ」
『"疾風の加護を"! "吹き飛ばせ"!』
身体を軽くし、自らの身を風によって吹き飛ばす。身体に負担は掛かるが、普通に移動するより倍は速くなる。
実際に、この移動方による瞬間最高速度は、たった今の美琴の踏み込みの速さを上回った。
『"断て"!』
「ふっ!」
瞬間的に繰り出せる最高威力の風刃は、霊砲を使わない美琴の手刀で叩き落とされた。信じ難い怪物具合だが、全身に霊力を漲らせた姿を見れば違和感はない。
さて、元々効くとは思っていなかったが、思っていたよりも簡単にあしらわれてしまった。やはり単純な攻撃術では火力不足だ。
『"
光の屈折をコントロールすることで、自らの姿を隠す魔術。
美琴にはバフもデバフも効かないが、それはあくまでも美琴に直接術式を干渉させた場合だ。例えば、精神に干渉することで姿を隠す、催眠術のような術は美琴には効かない。
だが、光の屈折に干渉することで物理的に姿を隠す"幻光"を使えば、確実に美琴から姿を隠すことができる。
「消えた……音も、聞こえない?」
音とは所詮、空気を伝う振動である。
『"
空気を操るというのは、即ち身の回りの全てを支配するということだ。
単純な術式の火力では、アベルはカインに及ばない。しかし、その効果が及ぶ範囲、その多様性は圧倒的だ。だが。
「霊砲」
暴威が、周辺一帯を薙ぎ払った。
『ちぃ!』
"幻光"や"消音"は繊細な術式だ。
それ故に術式の強度は弱く、霊砲のあおりを受けただけでも術式は揺らぐ。
「見ぃつけた」
不自然に揺れる光の幕を、美琴は見逃さなかった。
『おっぐ……!』
"幻光"の幕を貫いた拳が、アベルへと命中する。咄嗟に自分の身体を風で吹き飛ばすことで、威力を軽減はしたが、それでも勢いを殺しきれないほどに、その拳は速く、重い。
「やるわ……ね?」
『くっ! 吸ったなあ!』
最接近と同時、アベルが起動したのは空気の組成を変化させる術式だった。
イスカに使ったような、後遺症を残さない手加減をしない、吸えば一瞬で昏倒する猛毒の空気。怪物であろうと、生物である限りは逃れられない致命的な弱点。
「あら?」
まんまと死の空気を吸い込んだ美琴の身体が、ふらりと揺れる。昏倒しない時点で異常だが、最早その程度では驚かない。
『"溺れろ"』
更なる猛毒が放たれ、美琴を包んでいく。
空気を求めるためか、はくはくと、美琴が口を動かした。
『俺の……勝ち』
「甘い」
勝利を確信した瞬間、カインの意識を刈り取った一撃が、アベルの鳩尾を貫いた。
「これ、茜の分だから」
『ごっ! がっ……どう、して』
「何言ってるか分かんないけど、多分毒ガスとかよね? 私、毒とか効かないのよ」
神成美琴は、あらゆる身体の不調に悩まされない。
それは病気や怪我のみを指すのではない。毒物や睡眠不足、栄養失調といった生物として不調を避けられぬものすらも、美琴の身体は踏み潰す。
霊力自体が浄化の力を持っている、というのもあるが、それ以上に肉体の強度が桁違いに高いのだ。本来なら壊れる場面でも、美琴の肉体は耐えられる。耐えられてしまう。
今回の場合は毒ではなく酸素の欠乏だったが、臓器だろうと脳だろうと、ダメージに耐えてしまう以上は同じことだ。
「ていうか、イスカもやってきた手だけど、魔術師の流行りか何かなの?」
『っ!』
感情をガソリンに、魔術は加速する。
『"
天から振り落ろされる裁定を模倣した、風刃を落とす魔術。
「どこを狙って……」
だが、霊砲を撃つまでもなく、ただの一発すらも美琴に当たる軌道のものはなかった。拳がクリーンヒットしたこともあるし、集中力が切れて失敗したのか。
「ん? 何か、暑い?」
『"
空に浮かぶのは、夏の風物詩。
やけに地面に近く見える、積み重なった分厚い雲。
"幻光"と"消音"で作り出した、僅かな自由時間を用いて彫り込んだ魔方陣が生み出す上昇気流によって発生する、瞬間的な雷雨を齎す積乱雲だった。
「雨……異界で?」
雷鳴が響き渡り、溺れるほどの雨が降り注ぐ。
『"堕ちろ"』
"断頭台"によって地面に大きく刻まれた魔方陣が輝く。それは、積乱雲の減衰を早め、周辺一帯の熱を奪う照準である。
それは、積乱雲の中で育てられた、冷却された膨大な量の空気。
それは、ある種の下降気流。
それは、時に深刻な被害を齎す災害。
それは、大地へと落ちる天の怒り。
その名は。
『"
最大で風速六十メートル以上を記録する、魔術で強化された死の風が落とされた。
木々がへし折れ、あるいは根ごと吹き飛ばされる災害の中で、一人の女が悠々と立ち上がった。
「ふぅ……ちょっと危なかったわね」
多少、髪がぼさぼさになってはいるが、五体満足、擦り傷の一つすらも負っていない。
怪物は、未だ健在だった。
『くそっ……化け物め……』
美琴が陥没させた地面の中に、カインと共に放り込まれたアベルが、憎々しげに呟いた。
「まったく、何で二人とも自爆しようとするのかしらね」
ぶっちゃけてしまうと、一人で生き残るだけなら、美琴にとっては難題でも何でもなかった。
その場に突っ立っていても、地面に押し付けられるだけで死にはしなかっただろうし、吹き飛ばされたところで怪我もしない。
世人にとっては災害であっても、美琴にとっては大袈裟なだけの風だ。
危なかったのは、殺す気がないのに死にかけている双子たちだった。
「私が助けなかったら死んでたのよ?」
ダウンバーストという言葉から、攻撃の内容を推測。魔術で意図的に起こした自然現象であって、魔術そのものではないことを認識し、霊砲では打ち消せないことを悟った。
分からないのは攻撃規模だが、美琴に仕掛けてくるのなら、並大抵のものではないことは察せられる。となると、危険なのは術者本人であるアベルと、気絶させて放置したカインである。
間に合うかどうか、正直分の悪い賭けだったが、アベルを抱えてカインの元へと駆けつけ、その場の地面を蹴り飛ばして人が数人収まる程度の窪みを作る。そして二人を窪みの中に放り投げ、適当な巨木を引っこ抜いて二人を守る盾として構えた。
お陰で何とか全員怪我なく凌げたものの、盾として運用した木は、砂粒や小石、枝などに削られ、今や見る影もなくぼろぼろで原型がない。
それを支え続けた美琴にも相応に負担はあったはずだが、それが彼女に齎す影響は、最早言うまでもないだろう。
「じゃ、霊砲」
『ぎゃ!』
死体に鞭打ち。もとい、敗者に霊砲を叩き込む。
気絶させても良いのだが、うっかり早めに目覚められても困るので、両足に霊砲を当てておいた。イスカによれば、魔術師はこれだけで充分行動不能になるらしい。
「さて、あっちは……まだ終わってないのね」
二人の回収は、あの大蛇を片付けた後で良い。そう考えて、美琴は二人に背を向けた。
『待て!』
「……だから、分からないってのに」
うんざりしながら振り返ると、風使いことアベルが這いずりながら美琴を追いかけようとしていた。
無視したところで動ける範囲は知れているだろうが、改めて探し直すのも面倒だ。
「何よ」
「何故、兄と、同じに……」
「は? あー、何でイスカの味方してたのか、みたいな話?」
覚束無い日本語をそれらしく整えて聞き返すと、アベルは小さく頷いた。どうやら、リスニングの方は普通にできるらしい。
「イスカも言ってたけど、理由ってそんなに大事? 兄弟揃って理屈っぽいのね」
「……」
「何よその目は。はあ、信じたいと思ったから。それだけ。他に理由いる?」
心底面倒そうに言って、それからふと思いついたように、美琴がにやりと笑った。
「アンタさあ、兄貴のこと嫌いなんでしょ?」
「…………」
「あはは! 意外と分かりやすいのね。それなら折角だし、連れてってあげる」
「……は?」
「イスカの勇姿……って言うとムカつくけど、そろそろ終わるだろうし、一緒に観戦でもしましょうか」
ひょいと、アベルと、ついでにカインの身体を抱えて、美琴は未だ龍脈と繋がる仇敵を感じる場所へと向かった。
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