第19話 信用、信頼とは
しかし、まあ。万全な状態でも苦戦するであろう相手。
先程は奇策を用いて何とかやり過ごしたが、二度使えるような手ではないし、そもそも使ったところで負傷するだけで何の意味もない。
だから、こうなるのは必然なのだ。
足だけは何とか死守したものの、受けきれなかった風刃が顔や身体を切り裂かれていた。
いくつもの裂傷から血を流す姿は余りにも痛ましい。着ているのが黒いローブであるため目立たないが、もし白い服を着ていたら、さぞかし映えたことだろう。
『ふぅ……』
さて、どうしたものだろうか。
思っていたよりも一方的にやられてしまった。一応、流れ弾が飛んで来そうな辺りに陣取ってみたりはしたのだが、思った通りにはならなかった。乱戦に持ち込もうにも、陰陽師組は巻き込もうとしたら一斉に集中攻撃してきそうで厳しい。
ぼちぼち魔力も限界に近い。元々、いくつもの術式を併用するイスカはあまり燃費が良くない。だというのに、これだけの連戦をやらされては、どれだけ節約しても底をつく。
『そろそろ、諦めませんか?』
アベルの降伏勧告が、どこか遠くに聞こえた。失血し過ぎたせいかもしれない。
最後の詰めを狙ってこないのは、情か、あるいは切り札を警戒してのことか。後者だろうと予想は付いたが、生憎とそんなものはない。
もう、大人しく捕まるべきだろうか。
勝ち筋が無い状態では、粘っても意味はない。それなら、一度捕まってから脱出を狙った方が合理的だ。逃がしてくれるような隙があるとは思えないが、この状態から勝つよりはまだ可能性がある。
そんな弱気な思考が脳裏を過ぎる最中。
「ちぃっ!」
両者の間を引き裂くように、美琴が吹っ飛ばされて来た。
「……久しぶり、そっちはどうだ?」
「あ? あぁ、別に……全然余裕だけど。そういうアンタは、もうダメみたいね」
「くっ、はは、そうだな……」
「……もう行くわよ?」
自嘲するように笑うイスカを引き気味に見て、美琴が飛び出そうとする。
「あ、待て。一つ聞きたいことがあった」
「……何」
「……ソラノさんは、どうなった?」
訊ねると、周囲の気温がぐっと下がった気がした。
「それを、アンタが聞くの?」
「あぁ」
「…………重症だけど、山場は超えたって」
「……そうか」
イスカが、一度目を閉じた。瞬きにしては少し長い、しかし僅かな瞑想。
そして目を開けた時、イスカは別人のような顔付きをしていた。
「ミコト」
「何よ」
「組まないか?」
「は?」
「ま、そう言うだろうな。ゆっくり話そう」
「え、いや、は?」
困惑する美琴を置いて、イスカが宝石をじゃらりと取り出す。
「これで残りは四つか……ま、充分だ」
残り少なくなった宝石、その中の四つだけを残し、それ以外の全てを砕く。そうして溢れ出る膨大な魔力。
美琴を警戒して動かなかった弟たちも、流石にそれを見過ごすことはできなかった。術式を起動し、美琴を避けてイスカを狙う。
だが。
『"認知の歪み"、"世界の捻れ"、"撓んだ神秘"』
間に合わない。
『"
空間は歪み、異界への扉は開かれた。
一日ぶりに感じた浮遊感。
普段なら何と言うこともない刺激すら、今のイスカには激毒だった。
「ぐ、がっ、げほっ! がはっ!」
荒れているとはいえ、歪みの少ない龍脈を用いて異界を作り出したツケ。規格外、身の丈に合わない魔術行使に伴う代償。
魔力の消耗は宝石に肩代わりさせたが、それ以外の負担は内臓や筋肉、筋の一本一本を蝕む激痛として支払われた。
軋み上がる内臓が、血を吐き出すことで不平不満をイスカへと伝えて来る。
「ちょ、い、イスカ!?」
思わず美琴が駆け寄り支えたが、目、鼻、口といった顔中の穴から血を吐き出す様子は尋常ではない。
「はっ、はあっ、だい、丈夫だ」
「どこが!? こんなに血が……私治癒の術とか使えないのに……」
おろおろと焦る美琴に、先程までの敵意は感じない。
「随分、優しいな」
「うっさい! 目の前で勝手に死なれたら嫌に決まってるでしょ!?」
「大丈夫、だ。それより、ポーチから赤い薬、取ってくれ」
「あ、赤い薬って……こ、これ?」
「それだ。ありがとう、助かる」
そう言って、イスカは瓶に詰められた赤色の錠剤を口の中に流し込んだ。
「ちょっ、そんな一気に飲んで大丈夫なの!? 薬でしょ!?」
「舐めんな、俺は医者でもあるんだぞ。ODのリスクくらいぐぎぎぎぎぎ」
「なんか呻いてるけど!?」
漫才のようなやり取りではあったが、薬を飲んだイスカの様子は見るみるうちに落ち着いていった。
「……それ、何の薬?」
「痛み止めと、内臓の傷とか、炎症に効く薬だな。術式が込められてるから、即効性がある」
赤い薬の瓶を仕舞い、イスカは次に青い薬の瓶を取り出した。
「それは?」
「増血剤。栄養剤の効果もある」
再び、イスカはざらざらと喉に錠剤を流し込んだ。水なしで飲んで詰まらないのだろうかと不安になる飲み方だ。
「……ふぅ、これで最低限は動けるな」
「……はあ、それで、いきなりこんなことして何のつもり?」
呆れたように、というか実際に呆れて溜息を吐き、美琴が問い掛けた。
どうやら、茜の件は一旦後回しにしてくれるらしい。あるいは、いつでも殺せるという余裕かもしれない。
「さっきも言っただろ。俺と組もう」
「冗談。裏切り者と組むわけないでしょ」
「そうだな、そこから話さないとか」
ポーチから包帯と消毒液、ガーゼなどを取り出し、イスカは自分の傷を処置していく。魔術で治したいところだが、今はその魔力すらもが惜しい。
「まず、ソラノさんを攻撃したのは俺じゃない」
「……え?」
「お前と別れた後家に戻ったんだが、急にソラノさんに付けてた使い魔が壊されたんだよ」
「使い魔って、あの犬の?」
「そうそう」
茜に初めて占いを行ったあの日、ストーキング後に柳を含めて相談をするため、目を離した間の警護を任せていた犬のぬいぐるみを用いた使い魔。
餓者髑髏戦の後も、念のためにしばらくは起動したままにしておいたのだ。美琴としては、まさか出しっ放しにしているとは思っていなかった。
「そ、それで?」
「前も言ったけど、あれは簡単には壊せない。だから、まさか不幸が終わってなかったのかと思って、慌てて駆け付けたんだが……」
時すでに遅く、茜はアベルの手によって倒れていた。
「助けようにもアイツに邪魔されたから、一先ず排除しようと思ったんだが、普通に強くてな」
「で、でも、茜の傷にアンタの魔力が……」
「あ? そんなの見えてたのか……いや、アイツ俺の弟だから、魔力の質も似てるんだよ」
「弟ぉ!?」
言われて思い返してみれば、確かに似たような顔立ちをしていたな、と思い至った。
「で、急に逃げて行ってどうしたのかと思ったら、お前が来たんだよ」
「そ、そうよ。何であの時そう言わなかったの!? 傷も治せないとか言ってたし!」
「魔術師が付けた傷だぞ。どんな呪詛が込められてるかも分からないのに触れるわけないだろ。一旦霊砲で綺麗にしてもらおうと思ったのに、問答無用で襲ってきやがって」
「だ、だって、あの前に何か変な女がイスカを信じるなとか言ってたし……」
目を逸らし、美琴は言い訳するようにそう言った。
「変な女?」
「そう、全身真っ黒で、前髪で顔が見えなかった。あと、捕まえようと思ったら契約の所為でできなかったの」
「契約が? ……その理屈は分からないが、誰かは心当たりがある。まあ、戦闘はできない筈だから今は気にしなくても良い。それより、何て言ってた?」
包帯を巻きつつ、首を傾げて問うてみると、美琴は記憶を掘り起こしながらぽつぽつと語り始めた。
「えと、言葉も名前も嘘だから信じるなって」
「……まあ、間違ってはないな」
「……やっぱり偽名だったんだ。そういえば今更だけど、転校の手続きとかどうやったの?」
ふと思い付いた疑問。留学となれば、色々な人間が関わるに違いない。パスポートのことも考えれば、偽名で通すのは難しいのではないだろうか。
問われたイスカは平然と言ってのけた。
「書類は適当に作って、催眠の術で偉い先生方の頭をちょいちょいっと」
「もしかして組むの止めた方が良い?」
前者は余裕で罪に問えそうであるし、後者も法に触れていないだけで悪行である。
特に悪びれる様子もない辺り、どうも手慣れていそうだった。
「なんだ、思ったより前向きだったのか?」
「いや、たった今前向きじゃなくなったけど」
「意外だったな。ソラノさんのこと、あっさり信じてくれるとは思ってなかったし、偽名のことも、もっと拗れるかと思った」
イスカは、美琴のことをあまりモノを深く考えないタイプだと思っていた。
衝動的に契約書にサインをしたあの時から、その印象は変わらない。そして、モノを深く考えない人間は、どういうわけか思い込みも激しいことが多い。というよりも、人の話を聞かないのだ。
「……まあ、そういう人間な自覚はあるけど」
「自分で言うのも何だが、俺より怪しい奴はそういないぞ」
「本当に自分で言うことではないわね」
とはいえ実際、イスカという男が信用するに足り得る男なのかと問えば、半数以上の人間は否と答えるだろう。
美琴とて、それに異論はない。
「確かに、アンタのことはあんまり信用してない」
けれど。
「でも、信じたいとは思ってる。人間関係なんてそんなものじゃない?」
「……なに?」
「私、アンタと出会ってまだ一週間くらいなのよ? それっぽっちの付き合いで信頼するなんて、余程でもないと無理でしょう」
それは、少し考えてみれば当たり前のことだ。
「信用も信頼も、積み重ねるものであって急に何処かから生えてくるようなものじゃない。信じる努力をして、それに応えて初めて生まれるものだと思ってる」
無条件の信頼。
それは、とても聞き心地の良い言葉だ。否定するような意図はない。そんな関係が築けたのなら、それほど素晴らしいことは他にないとも思う。
「でもそんなのは、私たちの仲で期待するようなものでもないのよ。もっと時間を掛けて、お互いを知って、それで初めて信頼するって決めれるの」
「……よく分からないな」
「うーん、そうね……」
それから少し考えて、美琴は再び口を開いた。
「初めに契約したとき、馬鹿だなって思ったでしょう?」
「あぁ」
「即答……まあ良いけど。あれはあんまり考えなかったのも事実だけど、それ以上に、イスカが約束を守るって信じることに決めたからサインしたの」
「俺が? 何の根拠があって……」
「無いわよ、そんなの。強いて言うなら勘くらい」
「やっぱ馬鹿だろ」
辛辣なイスカに苦笑して、美琴は持論を締め括る。
「関係の始まりは何だって良いの。好意でも利用価値でも、理由が何であれ、誰かと仲良くしたいと思うことは、誰に責められるようなことでもないから」
「――――」
「持ちつ持たれつってやつよ。イスカが私を利用したいなら、それでも構わない。その分私もイスカを利用するからね。
そういうことを繰り返して、私たちは友達になっていくの」
人が、誰かに下心を持って近づくことは、何ら珍しいことではない。不純だなんだと責められようと、感情を持つ生き物である以上は、好悪からは逃れられないのだから。
美琴の話を聞いたまま、イスカはしばらく考え込んでいた。
「――結局、話が繋がってなくないか?」
「あれ。あ、そういえば、何でアンタを信じるのかって話だったっけ」
ぽんと手を打って、美琴が納得したように頷く。
そして、それからにやりと笑ってこう言った。
「一緒にでっかい怪物と戦って、丸一日一緒に遊んだ。
そんな相手を友達だって思うの、何かおかしい?」
だからこそ裏切られたと思ったとき、あれだけ怒っていたのだろう。それこそ、契約を力ずくで破壊するほどに。
そんな、友達がどうとかいう感覚は、イスカには実感として理解することができない。そういう感情があるのは理解しているし、それらしい演技をすることもできる。
「……約束があるんだ。怪我させないって言ったけど、守れなかった」
「……」
「それでも、生きているならまだ間に合う。そのために、お前の力が必要だ」
これが物語などであれば、きっと友情でも芽生えるのだろう。しかしイスカはどこまで行っても、この方法でしか人と繋がることができない。
だが、それでも。利用価値でも良いと言うのなら。
「それで?」
「あの蛇は俺が何とかするから、代わりにあの二人のことを頼みたい」
「できるわけ? あれ、こんなこと言いたくないけど、私と同じくらい強いわよ」
「はっ、余裕だよ。お前を殺すために、俺がどれだけ対策を練ったと思ってる」
「普通に初耳で引いたんですけど。ま、らしいっちゃらしいんじゃない? 無駄な努力とか好きそうだもんね」
「お前いつか本当にぶっ飛ばすからな」
傷口の処置を終えたイスカが、ゆっくりと立ち上がる。
「それで、頼んで良いのか?」
「もちろん、あんな雑魚片付けるくらい余裕よ。それに、茜の仇でもあるんでしょう?」
「そうだな。そういえば、俺もあの蛇男には因縁があった」
「え、何それ」
「いやミコトには言えないけども」
穴を掘っていたのは明確な裏切り行為なので、ちょっと大きい声では言えなかった。
美琴も胡乱気な眼差しではあったが、一先ずそれは後回しにしてくれるようだ。
「片付けたら手伝いに行ってやるよ」
「こっちの台詞。手伝いに行く前にやられないでよね」
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