第17話 天才 vs 兄弟
相変わらず厄介だな、とアベルは思った。
『"起きろ"!』
『"薙ぎ払え"!』
カインが大地を操りイスカをかち上げ、身体を浮かせたところをアベルが吹き飛ばす。
アベルたちの目的はイスカを殺すことではない。生かさず殺さず、魔力と体力を削り取り、拘束して実家へと連れ帰る。
そのために今はとにかく龍脈から引き離し、イスカの勝ち筋を潰す。
『"十三番"』
対するイスカが起動したのは停止の魔術。
巨鬼をも一時停止させた、あるいは概念にすら届く魔術によって、かち上げられた直後に自身を空間に固定することで、その後襲いくる風を受け切った。
『"歪み"、"反発"』
空中で風を受けて動かなかったということは、そのエネルギー分の反作用が生まれたということだ。科学的解釈はともかく、イスカは魔術を用いてそう解釈した。
イスカはその反作用を空間へと移し、ゴムの如く空間を反発させた。
『"壁よ"!』
『"十三番"、"八番"』
アベルたちの頭上をかっ飛んで行こうとしたイスカを、カインが土の壁を用意することで堰き止める。
激突すればただでは済まなかっただろうが、再び自身を停止させることで衝突を防ぎ、身体強化の術を用いて壁を蹴り、元の場所へと舞い戻った。
この対応力が、イスカの強みだ。
圧倒的に不利な状況にありながら、アベルたちの攻手を自身の攻手に利用し、あわよくばそのまま龍脈まで逃げ切ろうとする精神性。
そして何よりも、出力の劣る術式でここまで食い下がる技量。
どれを取っても一級品だ。
更に言うのなら、顔を合わせてからすぐに、後遺症が残らない、しかし意識を朦朧とさせる程度に酸素濃度を調整した風を定期的に吹き付けているのだが、どういうわけか平然としている。
おそらく、圧縮した空気を口の中にでも仕舞っているのだろう。
口惜しい。
今すぐにでも誓約の儀を行えば、アベルやカインなど歯牙にも掛けず叩きのめせるだろうに。
『アベル、どうする?』
『問題ない。このまま削り切る』
だが、問題はない。依然、有利なのは二人の方だ。
この状況を維持しているだけでも、イスカの魔力は目減りしていく。殺す気がないために、二人は多少術式の出力を落としている。
たとえイスカが死力を尽くそうと、全力で術式を稼働させれば守り切ることは容易い筈だ。
適度にちょっかいを掛けつつ、あわよくばダウンを狙う。基本的な動き方はそれで良い。
状況を動かす行為には、常にリスクが付き纏う。それはイスカに必要なことであって、二人が無駄に背負う意味はない。
昔から、■■は天才だった。
両親からの期待を一身に受け、それに見合うだけの能力を見せつける彼を、両親は溺愛していた。ただ別に、カインやアベルが可愛がられていなかったわけではない。人並み以上に可愛がられていた自覚はある。
ただ、幼き時分であっても、期待の差というのは目に見えるもので。
カインや末の妹はそういったことを気にする質ではなかったようだが、少なくともアベルは違ったのだ。
■■を、兄を越えたくて、努力をした。
だが、明らかに年齢では説明できない程の差が、二人の間にはあった。同じ歳の頃に■■ができていたことが、アベルにはできなかった。勉強も運動も魔術も、何一つ届かない。
そして今もなお、禁戒を持たない身で、厳しい誓約を結んだアベルとカイン、二人を掻い潜らんとする。
心が、焼け付くような感覚がした。
私情を噛み殺し、アベルが風の弾丸を放ち、更にカインが地面を揺らすことで、回避運動を妨害する。
流石というべきか、イスカは揺れた地面の表面に障壁を張ることで足場を確保した。踏み込みさえできるなら、少々地面が揺れようと関係ない。
だが、それはつまり身体が宙に浮くということだ。空中では身動きが取れないのが道理。
大気を統べるアベルがそう定義した以上、術式の出力が劣るイスカはそれに抵抗できない。吹き飛ばしでは駄目だ。先程と同じ方法で対応されてしまう。
『"太刀風"!』
故に放たれた一撃は風の斬撃。
身体を両断、とまではいかないが、戦闘不能にするには充分だ。
幼き日よりの悲願。
唐突に訪れた勝利の確信。
明瞭なイメージに牽引され、術式の精度は向上する。胴体を、急所を狙ってはならない。
狙うべきは足だ。機動力さえ奪えれば、カインの術式に対する抵抗力は消えたも同然。狙いは過たれることなく、振るわれた風の太刀が吸い込まれるようにイスカに迫る。
直撃すれば敗北は必至。
『"十六番"』
イスカが、魔術を起動した。
イスカは多くの術式を扱うが、実は多用する術式はあまり多くない。
基本的に、その場に合わせて使う術式を決めているためだ。アベルが言う通り、空気や土を利用することは多いが、同じ物を媒介にしているだけで術式は異なる。
反面、障壁や認識阻害のような使い勝手の良い術式は、使わないことがない程多用する。
イスカは己の持つ術式を把握してはいるが、咄嗟に繰り出すには選択肢が多く、術式毎の差異が大き過ぎてタイムラグが生じやすい。
そこで、イスカは多用する術式にタロットカード、中でも大アルカナと呼ばれる切札の名前と番号を割り振っている。
例えば、障壁は堅固さ、防御を意味する四番の皇帝。
例えば、認識阻害は秘匿、単独行動を意味する九番の隠者。
例えば、身体強化はそのまま八番の力。
種類や体系の異なる魔術を効率的に運用するために考案した、我流のパッケージ法。
本来は一から編まなければならない煩雑な術式を、大アルカナという概念の箱に納め、自身の身体に刻むことで起動に必要な過程を大きく簡略化する。
『"十六番"』
迫り来る風の太刀を前に起動したのは、十六番の塔を担う魔術。
以前、茜が占いの際に引いたこのカードは、正位置でも逆位置でも不運を示す唯一のアンラッキーカードだ。
弘法にも筆の誤り、という諺がある。
どんな達人であっても、失敗することはあるという意味だ。たとえ手慣れた簡単な動作であっても、人はほんの些細な不運で失敗する。
例えば墨汁を付けすぎたとか。
風で半紙が動いたとか。
もしくは単に手を滑らせたとか。
人は、いつ如何なる時にも運を消費している。
転ばずに歩ける幸運。
予兆なき急病に倒れない幸運。
通り魔に刺されない幸運。
唐突に雷に打たれない幸運。
何でもない日常は、不幸が起こらないという幸運の上に成り立っている。
"十六番"は、そんな幸運を瞬間的に消し去る。
この魔術を掛けられた者は、あらゆる動作の判定に失敗する。
一歩踏み出せば足を滑らせ、魔術を使えば暴発してしまうかもしれない。
そんな魔術を、イスカは己に掛けた。それはただでさえ攻撃を受けるというタイミングで行った、愚行と呼ぶことすら生温い暴挙。
『ぇ』
その結果、足を斬りつけるはずだった風の太刀は、その狙いを逸らし首元に向かう。不運なことに、術式の解除も、誰かが助けに入るのも間に合わない。
ぴゅう、と澄んだ風の音と共に、イスカの首から鮮血が噴き出た。
『アベル!?』
驚いたカインの声も、アベルには届かなかった。
『ち、違』
殺すつもりはなかった。
そんな言い訳は、目の前の現実に何の影響も及ぼすことはない。
『"十、二番"』
思わず術式を解いた二人の前で、血の中に倒れようとするイスカが小さく呟いた。
その瞬間、まるで人形のような不気味な動きで、イスカは倒れず踏みとどまった。
『……は?』
現状を理解できず固まる二人に構うことなく、イスカは更に詠唱を紡ぐ。
『"調和"、"循環"、"十四番"』
そして、流れ出た夥しい量の血液がまるで命を持ったように蠢き、流れ出たイスカの首元へと戻っていった。
『かっ……はっ!』
『な……に、兄さん?』
『あ゛? あぁ、話は今度な。じゃ、そういうことで』
明らかに自らの筋力に依らない、外部からの力、まるで誰かに放り投げられたかのような奇怪な動きで、イスカは二人の頭上を吹っ飛んでいった。
『…………はぁ?』
入山されるという戦略的な敗北を理解しながらも、しばし彼らは動くことができなかった。
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