第16話 過去からの敵対者

 下水道を脱出し、イスカが向かったのは、神社の裏山だった。この盤面を引っくり返すには、龍脈を手に入れるしかない。


 だが。


『……まあ、そう上手くは行かないな』

『先程ぶりですね。兄上』


 立ち塞がったのは、イスカとよく似た顔立ちをした黒いローブの男。

 男は金の髪をなびかせ、イスカを兄と呼んだ。


『アベル』


 彼は、イスカの弟だった。


『左腕の調子はいかがですか?』

『なんだ、見てたのか。お陰で絶好調だよ。お前も怪我しないうちに帰った方が良いんじゃないか?』

『こちらの台詞です。兄上に怪我をさせるのは忍びないのですよ。早く帰ると言ってください』

『……見ないうちに大きくなったのは、身体だけじゃないらしいな』

『貴方は逆に小さくなってしまったようで。血も涙も無いくせに、どうしてあの女の元に駆けつけたんですか?』


 あの女、とは、茜のことだろう。


『貴重な使い魔を壊されたんだ。様子くらいは見にいくさ』

『それにしては焦っていましたね。不意も打たずに姿を晒すなんて、父上が見たら何と言うでしょう』

『あの人は何も言わないだろ。""くらいは吐くかもしれないが』

『そのまま交戦を選んだのも貴方らしくない。リスクを考えられない程寝ぼけていたのですか?』

『…………』

『お陰で計画からはズレてしまいましたが……まあ、結果的には目論見通り、あの怪物と仲違いしてくれて安心しましたよ』

『……やっぱり、それが目的か』


 アベルの目的は、イスカを捕らえて実家へと連れ戻すこと。

 より厳密に言うなら、イスカが持ち出した家宝の短剣を取り戻すことだろう。実は既に壊れているのだが、どうやらそれはまだバレていないらしい。


 ともあれ、そのためには美琴が邪魔だと判断したようだ。イスカとしては、追手が来たからと言って美琴が助けてくれるとは思えなかったが、関係性を知らないアベルからすれば、イスカが契約を結んでいる相手というだけで脅威だったのだろう。


『もう邪魔者は居ませんし、心置きなくやりましょうか!』

『"四番"!』


 イスカが張った障壁が、瞬く間に傷つけられていく。

 アベルが無詠唱で放ったのは不可視の風刃だ。だが不可視といえど、魔力を視認する術師にとっては見えているのと変わらない。

 故に驚くべきはその威力、無詠唱の術式にもかかわらず、イスカの障壁は既に破壊寸前だ。


『ほら! "刻め"、"刻め"!』

『"自壊"、"再展開"!』


 続く二撃目、詠唱まで付けられては絶対に耐えられない。術が届く前に自壊させ、再展開したが、根本的な強度が変わらない以上、焼石に水だ。


『"破片結合"、"形状変化"、"回れ"!』


 自壊させた障壁の破片を障壁と結合させ凹凸を作り、形状をイスカ自身を覆う球体へと変化させる。

 そしてその障壁を回転させ、刃を受けるのではなく弾くことで攻撃をやり過ごす。更に。


『"元素選定"、"旋風刃砲"! "壁を彼方に"!』


 凸凹という、空気の抵抗を大きく受ける形が回転すると風が起こる。実際はそこまで大きな凹凸ではないが、魔術とは事実を誇張するものでもある。

 障壁の周りに起こった風はアベルの放った風刃を飲み込み、一つの塊としてアベルへと返された。そしてついでと言わんばかりに、障壁を敵を押し潰す砲弾としてアベルへと放つ。更に。


『"砂塵の幕よ"、"我を隠せ"。"自幽落个"。"九番"』


 巻き起こった風は、砂埃を巻き上げる。

 言うまでもなく大した量ではないそれを、魔術は大きく拡張する。精々がくしゃみを誘発する程度の砂埃は、瞬く間にイスカを覆い隠す砂嵐と化した。

 追加で起動した空気抵抗を消す魔術は、本来なら砂嵐をも瞬時に地に叩き落とすものだが、現象ではなく魔術であるが故に自身の魔術を対象外にする程度の融通は効く。

 これは、アベルの風の魔術で即座に吹き飛ばされるのを避けるのが狙いだ。


 砂嵐に紛れ、認識阻害の術を起動したイスカはアベルを無視して山へと向かう。

 そもそも、今はこの厄介な敵を何とかするために龍脈を求めているのだ。手段を達成するために目標と交戦するような愚は冒せない。


 そして、アベルの横をすり抜けたその瞬間。

 イスカを守る砂嵐の制御が、イスカから離れた。


『っ!? "四番"!』


 咄嗟に起動した球体障壁に、砂嵐を形作っていた砂塵がへばりついた。

 いや、へばりつくという生易しいものではない。砂の一粒一粒が障壁に減り込む程の圧力を持って押し込まれていく。

 ミシ、と、障壁から嫌な音が聞こえた。


『"恵み"、"雨粒"!』


 残り数少ない貴重な宝石の一つ、サファイアを砕き、イスカは魔術を起動する。

 砂嵐を叩き落とすには、雨が手っ取り早い。

 天候を変えるような、奇跡にも近しい大魔術は、宝石を幾つ砕こうとイスカには起動できない。だが、自身の周りを水浸しにする程度はできる。

 障壁を覆う砂塵が固まっていき、ぼろりと崩れ落ちた。


『……お前か、カイン』

『や、久しぶり、兄さん』


 砂の隙間から見えたのは、つい今し方見たような、懐かしいような気もする、可愛げがあったはずの弟の顔。

 アベルの双子の兄、カインだった。


『カイン、遅いぞ』

『仕方ないだろ? ここ、工房から遠いんだから』


 どうやら、何事もなくイスカの魔弾をやり過ごしたらしいアベルが、悠々とカインを責める。

 そしてやはり、工房の方にも伏兵がいたようだ。こちらを選んだのは間違いだったかと思ったが、この分だと大して変わらなかったらしい。


『で、兄上。これで二対一ですが』

『降参するなら早めに頼むよ、兄さん?』


 さて、どうしたものか。

 無論、降参は論外だ。かと言って、正面戦闘は正直なところ厳しい。

 万全ならまだしも、片腕が使用不能かつ魔力も目減りしていて、更に宝石の在庫も底が見えている。イスカの弟なだけはあり、並の魔術師より余程強い上、イスカの手の内もある程度割れている。


 何と言うか、詰んだかもしれない。


 そんな余分な思考が脳裏を過ぎる程度には、イスカは追い詰められていた。しかし、このままやられてやる気はさらさら無い。


『……二人とも、儀は済ませたんだな』


 故に、イスカが取った手は会話だった。

 毒にはなるが薬にはならない時間稼ぎの一手だが、どうせ死ぬにしても弾丸よりは猶予がある。


『えぇ、一昨年くらいに』

『双子だからって、パーティも二人まとめてだったんだよ。酷くない?』

『そういえば、誕生日もそんな感じだったか』


 そんなイスカの意図に気付いているのかいないのか、どちらかは分からないが、どうやら二人は会話を放棄する気はないらしい。


『選んだのは元素魔術の土と風か?』

『そうだよー』

『おい! 手の内を……まあ、今更か。そうですよ、貴方が放棄した誓約の儀を、僕たちは行っているんです。戦うなんて無謀なことはしないでください』


 誓約の儀。

 それは、単なる儀礼的な慣習ではない。以前語った通り、魔術師は己の専門を持つ。それは、魔術を極めるためには、人の一生が短すぎるためだ。


 故に、魔術師は儀式を行う。

 己が人生を捧ぐ魔術を定め、それ以外の術を使わないことを誓う儀式を。


 これは、イスカが語った占いの理屈とも似ている。

 占いはあくまでも未来を剪定するに過ぎない。そして剪定とは本来、枝葉に使われる余分な栄養を集中させるためにある。

 他の魔術を使う並行世界の自分自身という可能性を捧げることで、その魔術に対する適性を大きく引き上げ、習熟速度を加速させることができるのだ。


 ただ、これは口で言うほど生温い儀式ではない。

 これはあくまでも誓約、己が己に誓う儀式。

 あるいは、己と結ぶ契約、禁戒と言い換えても良いだろう。


 誓いを守っている限り、禁戒は術者に大きな力を与える。

 反面、例えばケルトのクー・フーリンのように、禁戒を破れば遠からぬうちに運命的な死が確定する。そのリスクを背負うからこそ、禁戒で得る力は大きくなるのだ。


 これが、イスカの術式が他の術師に劣る理由だった。


『兄上は、術式の出力不足をその場にあるもので補おうとする。空気や土は、その最たるものだ』

『でも、それは僕らには通じない』

『格上の術師を相手に、その術師の専門で上回れますか?』


 手札を削られた満身創痍のイスカと、万全の二人。


『お話は、もう良いですか?』

『何だ、冷たいな。久しぶりに家族に会ったのに』

『兄上が降参すれば、後でいくらでも話せますよ』

『それ良いね。兄さん、そうしない?』

『悪いな、この後の予定が詰まってるんだ』


 分かりきった結末に向けて、物語は押し流されていく。

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