第13話 夜が明けて
「記憶が消えてない!?」
餓者髑髏、もとい狂骨との戦いの翌日。
社畜にとっての平日、学生にとっての休日である土曜日の朝。
早朝すぐに行われた美琴からの鬼電によって神社に呼び出されたイスカは、開口一番にそう告げられた。
「朝から茜からの連絡があって、冷や汗が吹き出たんだけど」
「何でだ? 昨日確実に処理まで済ませたぞ」
「知らないわよ! でも昨日のことを覚えてるのは確実みたいだから。もうすぐここに来るから、アンタが自分で確かめて」
あの後、神社に戻ったイスカたちは再び儀式によって異界を片付けた。
そして放心状態の茜をイスカが魔術で眠らせ、岩永と同様の魔術を用いて記憶を処理した。その後は特に何もなく、美琴が茜を家に送り届けるのを見届けてから、イスカも無事に帰宅した。
そう、記憶の処理は済ませたのだ。
美琴は論外としても、神秘に対して抵抗のある魔術師や陰陽師が相手であるならいざ知らず、一般人である茜相手への術式が失敗するとは考えにくい。
考えにくかったのだが……。
「で、昨日のこと、説明してくれる?」
美琴ともども畳に正座させられている現状では、何とも説得力に欠ける話である。
カタギの人間が出せるとは思えない覇気を漂わせる茜に引きつつも、美琴はこそりとイスカに話しかける。
「何か分かった?」
「分からん。精神干渉は特に丁寧にやったし、素人相手に失敗なんかするわけない」
「何をこそこそ話してるの?」
五月の半ば、初夏とは思えぬほどの冷気だった。近年の異常気象は、どうやらこんなところにまで影響を与えているらしい。
「落ち着いてください。ソラノさん」
「そうよ、茜。一旦落ち着いて話しましょう?」
「私はずっと落ち着いてるけど。というか、本当に二人とも仲良いね?」
「いや別に仲は大して良くないんだけど」
「まあ、友達同士って訳ではないですね」
「やっぱ息合ってない?」
茜は訝しむように目を細めたが、今は一旦置いておくことにしたようだ。それよりも。
「それで、陰陽師さんと魔術師さん?」
イスカはちらりと美琴の方を確認する。
冷や汗をだらだらと流していた。こいつは役に立たない。
次いで、部屋の外で待機しているらしい柳の方も確認したが、どうも助けに入ってくる気はなさそうだった。こちらも今は役に立たない。
となれば、自力で何とかするしかないだろう。しかし、約束がある以上傷付けるわけにもいかない。
色々考えてみたが、面倒なのでイスカは開き直ることにした。
「ソラノさん、一旦座ってください」
「だから」
「一先ず診察をしましょう。昨日は倒れてしまって心配していたんです。神秘関係の体調不良は病院では分かりませんから、念のために確認だけでもさせてください。お話はその後で」
「ん、む……はい」
いけしゃあしゃあと嘘を抜かしたイスカが、茜を座らせることに成功した。
「取り敢えず、手首を出してください。脈を測るついでに問診もしますか。体調に変化は?」
「え、えと……あ、今朝はちょっと頭が重かった、かも」
しかし全てが嘘、というわけではない。
倒れたというのは嘘だが、異界に入ったことにより身体に異常が出ることはあるし、そもそもイスカの魔術が効かなかったこと自体が異常ではある。診察ついでにそちらを調べたい。
「やけに手慣れてるわね」
「資格くらいは持ってるからな。こっちだと使えないけど。うん、脈拍は少し早いけど普通」
「え、は?? 医師免許持ってるの?」
「あぁ、母国のやつ。血圧も特に問題なしと」
さらりと行われたカミングアウト。
日本に於いても彼の母国に於いても、医師免許とはそう簡単に取得できるものではない。
人の命を直接的に預かる資格を、そう易々と与える筈がないだろう。驚愕する美琴と茜を置いて、イスカは魔術も用いながら診察を続ける。
「朝食は食べましたか?」
「は、はい」
「ちょっと背中触りますね。はい、深呼吸してー」
「いやいやいや、え? アンタ十七じゃないの!?」
「十七で合ってるよ。大学は……ちょっとズルしたけど、不正して取った資格じゃないから安心してくれ。はい、普通に息して大丈夫ですよ」
探知の術を応用すれば、レントゲンの真似事だって難しくない。原理的に近いのはエコー検査の方の方だが、こちらは肺や腸、脳だろうと確認できる。
魔力も少量であれば身体に影響はないため、患者への負担もない。機材も一切使わないので、掛かる費用は技術料と人件費のみである。医者が知れば、喉から手が出るほど欲しがることだろう。
そんな診察の結果だが、今のところ物理的な異常は特に見られない。
もし今健康診断を受けても、全ての項目をストレートで通過できる程度には健康体だ。
あとは、大本命である神秘関連による異常について調べるだけだ。
『"
物理ではなく、神秘向けの探知を走らせる。
だが、やはり異常は見つからない。強いて言えば、頭が重いというのは軽度の魔力酔いということくらいか。
昨日、祭壇の中に長居させ過ぎたのだろう。とはいえ、これは放っておけばすぐに治るので心配はいらない。
「うーん?」
「え、え……だ、大丈夫だよ、ね?」
記憶に干渉した形跡はある。
というか、身に覚えしかない形跡だ。言うまでもなく、昨日イスカが記憶を弄った跡である。だというのに、切り離した筈の記憶は何事もなかったかのように元に戻っていた。
「えぇ……? いや何だコレ。意味分からんぞ」
「嘘でしょ!? ねえ私大丈夫じゃないの!?」
干渉が弾かれたような感覚はない。
美琴でもあるまいし、一般人にそんなことはできない。あるとすれば、イスカと同等か、それ以上の技量を持った誰かが記憶を繋ぎ直したとか、それくらいだ。
しかし、もし下手人がいたとしても動機がない。記憶に干渉できる、間違いなく神秘側の人間が、一般人の記憶を戻すようなことをするのだろうか。
眉間に皺を寄せ、表情を険しくするイスカに、茜はどんどん涙目になっていく。
どこかで見た光景だな、と思いつつ、美琴は思考に耽るイスカを呼び戻した。
「おーい、イスカー」
「ん? あぁ、申し訳ない。身体の方は特に心配ないと思いますよ」
「ほ、本当に? 診察中のお医者さんに言って欲しくない台詞ランキング上位に入りそうなこと言ってたけど」
「まあ強いて言うなら体脂肪率が気におっぐ……!」
容赦のない肘鉄が、イスカの鳩尾を抉った。
失言はさておき、記憶に関しても、イスカたちにとっては悪い意味で異常がない。
いや、存在する筈の異常が存在しない、正常という名の異常だ。
「……健康には支障ないので、ご心配なく」
「そっか、それなら良かったよ」
「自業自得ね……それで、記憶の方は?」
後半は小声で、美琴が囁くように訊ねる。痛みに悶絶しつつ、診察を終えたイスカは無言で首を横に振った。
古くなった記憶の処理は難しい。特に今回は茜が何度も思い出し、反芻したのだろう。現在の色々な記憶にも結びついているようだ。
それら全てから切り離すのは流石に骨が折れる。このレベルで定着した記憶となると、もし完璧に切り離せたとしても、記憶に齟齬が生まれることは間違いなく、その違和感を追求すれば勝手に思い出してしまう可能性が高い。最悪の場合、人格等に影響が出ることも考えられる。触れない方がベターだ。
つまり、もう茜の記憶を消すことはできないということである。
「どうにもなりませんし、素直に話すしかないですね」
「お、その気になった?」
「絶対無理なの?」
「人道的な方法だとちょっと……方法を選ばないなら、まあそれなりに」
「こっわ」
「却下よ却下。術師が倫理観捨てたら終わりなんだから、色々と」
どうやら、友人への隠し事は終わりらしい、と、特大の溜息を吐き出して、美琴は口を開く。
「はいはい、話せばいいんでしょ……って言っても、昨日話したことが大体全部なんだけど、何が知りたいの?」
「魔術師がどうとかって話は、実際見ちゃったし信じるけど……何で、急に教えたの? あの怪物退治に連れて行ったの?」
ちら、と美琴がイスカの方を見た。もう話しても問題ないのかの確認だろう。
「念のため、最後の確認を」
「……それって」
イスカが茜の前に差し出したのは、つい最近見たばかりの厄物。タロットカードだった。
それを見て、茜は露骨に嫌そうな顔をした。
「引けってこと?」
「そうです」
「やだ」
「まあそう言わずに。今度はきっと多分恐らく確実に大丈夫ですから」
「確実の枕詞が頼りなさ過ぎるんだけど」
そう言いつつ、イスカに譲る気がないらしいことを察した茜は、躊躇いながらカードを引いた。
「……これは?」
「十番、運命の輪の正位置。文句なしのラッキーカードですね」
車輪に絡みつく動物と、その周りを囲む天使。幸運の到来を意味するこのカードの正位置が示すのは、言うまでもなく幸運である。
「おぉ、やったあ!」
「良かった……もうこれで」
「えぇ、心配はいりませんよ」
これならば、不幸は過ぎ去ったと解釈しても良いだろう。もう話したところで問題はない。
二人、というより殆どイスカは、占いの絡繰とその解決法について、茜に説明した。
「とまあ、そんな感じなので、今後は特に何を心配することもなく普通に過ごしてください」
ちまちまと間に質問を挟みつつ――何故か美琴からも――、二時間ほど掛けて説明は完了した。
「ほお……いまいち分からないけど、何となくは分かったよ。ありがとう、何かお礼とかした方が良い?」
「俺は自分の不始末を片付けただけなので、特には」
「私も要らないわよ。楽な仕事だったし、友達を助けるためだしね」
「おぉ! カッコいい!」
パチパチと手を叩く様子に茶化しているような感覚はなく、本心から褒めているようだった。
「んー……でも、何もしないのも気持ち悪いし……」
ひとしきり二人を褒め称えた茜が、ふと顎に指を当てて考え込む。
「そうだ、三人で遊びに行こうよ! お昼は私が出すからさ!」
花のような笑みを浮かべた茜の誘いに、二人は顔を見合わせた。
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