第12話 決着

 立ち塞がった女を、狂骨は警戒していた。


 それもその筈だ。元々は巨大だった狂骨を一方的に打ちのめした霊砲は、今の彼にとっても致命傷になり得るのだから。

 光線は速いが、狂骨にとっては見てから避けられる速度だ。しかし、もしも余所見をしていたなら、不意を打たれたなら、どうなるかは想像に難くない。


「来ないの?」


 隙を伺う狂骨に、美琴はふと口を開いた。


「何のために強くなったのかしら?」


 怨みによって擦り切れた狂骨に、日本語は理解できない。だが、それが嘲笑の意味を持つことは充分に理解できた。


『――――!』


 霊砲を躱す神速の踏み込みが、美琴に迫る。

 音や光の如き速さには遠く届かずとも、人の認知を超える速さがあれば、それこそが最速だ。

 狂骨の突貫は、最速を名乗るには充分過ぎる程に速い。


 そして、その最速の踏み込みを泰然と見届けた美琴のアッパーが、狂骨の顎を破壊した。


 更に勢いのまま、美琴は回し蹴りを放つ。

 命中した肋骨は見事に砕けるが、追撃はまだ終わらない。

 蹴りの衝撃で傾く骨の身体を逆からの一撃で跳ね上げ、浮き上がったところを正面からの正拳突きで貫く。

 ガードすらも間に合わせない正拳突きは胸骨を貫き背骨に直撃し、与えられた衝撃によって狂骨は木々を貫きながら吹っ飛んでいく。


「霊砲」


 自らの意思とは無関係に自然を破壊する狂骨に、美琴は無慈悲に追撃を叩き込む。が、それだけは喰らうまいと、狂骨は初めて自らの意思で木を蹴り飛ばし、霊砲を回避した。


 この間、僅か数秒。

 イスカがサポートに入る間もなく、美琴は狂骨を蹂躙した。


 さて、散々イスカや狂骨について語ったのだから、今度は美琴について語ろう。


 イスカ・デカルトを天才と呼ぶのなら、神成美琴は怪物である。


 いつぞやに語った通り、美琴には龍脈に繋がる才がある。より厳密に言うなら、彼女は生まれつき龍脈と繋がっているのだ。


 龍脈の力は膨大だ。

 美琴以外の術師からすれば、無限にすら等しい。つまり、美琴は無限の霊力を持っていると言っても良い。

 もちろん一度に保有していられる量には限度がある。しかしそれですら膨大で、使ったとしても一瞬で補充される。

 以前、狂骨を鉄球に例えたが、それに準えれば美琴はプラチナ製の金属球である。

 ただの鉄とは、同じ大きさであっても段違いに重い。言い換えれば、美琴は狂骨の完全上位互換なのだ。


『――!!』


 短い気合いの雄叫びと共に、砕かれた骨を再生させた狂骨が美琴に挑み掛かる。とはいえ、攻撃方法はいっそ悲しくなる程に原始的だ。


 元々餓者髑髏はその体躯を武器とする妖だ。

 殴る蹴るにも技量はなく、術式の類にはとんと縁がない。

 扱えたとしても複雑なものは難しく、それこそ代償魔術くらいのものだ。しかし、狂骨は既にそれを危険なものだと認識している。


 だが、原始的だからといって弱いわけではない。武術とは力を補強するものであって、それは単純な膂力を否定するものではない。

 極論を言えば、相手を殴り倒せるなら武術など必要はないのだ。


 狂骨が振るう拳は重く、速い。

 イスカの障壁であっても、増幅器無しなら容易く破壊するだろう。人間を破壊するには充分な力を持っている。にもかかわらず。


「すごい……」


 ただの一発すらも、美琴には届かない。

 妙な術を使っているわけではない。只々単純に、美琴が狂骨よりも速いのだ。

 美琴は術を使えない。使えるのは霊砲だけで、身体を強化するような術は難しく(美琴比)、とてもではないが扱えない。


 美琴の力の種は簡単だ。『ぐっ』と力をいれれば必要なだけ力が強くなり、速く動こうと思えば信じられない程身体が軽くなる。

 防御しようと思えば肌は鋼鉄のように硬くなるし、こういう動きがしたいと思えば、身体の動かし方が分かり、実際にそういう風に動ける。


 訳がわからないと思うが、イスカどころか、本人にもよく分かっていないので安心して欲しい。溢れ出る霊力がそうさせるのか、理屈はともかく、美琴の力は圧倒的だ。


『っ―――!』


 怯えすらも混ざり始めた狂骨の叫び。

 焦りの感情から放たれた大振りの一撃は当然のように躱され、返礼の一撃は容易く骨を破壊する。


 実のところ、美琴は武術の類を学んだことはない。理由は単純、不要だからだ。


 武術とは力を補強するもの。

 そして、人が人と戦うためのものであり、怪物には怪物なりの戦い方がある。

 大岩を砕ける者に拳の握り方を教示する身の程知らずはいないし、片手で人を投げ飛ばせる者が投げ技を学ぶ意味はない。


 怪物に術理は不要。

 ただ只管に振るわれる暴力こそが真髄だ。


 ついでに言えば、美琴には直感的に身体の動かし方が分かる力がある。相手を殴りたいと思ったなら、今の体勢から繰り出せる最高の動きを直感的に繰り出せる。


「霊砲」


 しかし単なる物理攻撃は、狂骨にとって致命打足り得ない。骨を砕かれれば当然霊力は削られるが、再生に大した手間は掛からず、削られる霊力量も微々たるもの。

 故に美琴の本命は霊砲なのだが、それを理解している狂骨は他の何を捨てても霊砲だけは回避する。


「ちっ」


 このまま戦い続けても、美琴が負けることはない。いずれ霊砲は狂骨を捉えるだろうし、狂骨の攻撃が美琴を沈めることはない。だが、どれほどの時間が掛かるだろうか。

 異界と外の時間の流れ方は違う。この異界は以前の異界を再現したものだが、まったく同じものであると断言はできない。

 以前は、時間の流れ方は外と殆ど変わらなかったが、今回もそうだとは限らないのだ。茜の負担も考えると、早いうちに片付けたい。


「……ちょっと、本気出すわよ」


『ぐっ』と力を込めて、美琴は拳を握った。

 決して今まで手を抜いていたわけではない。だが、美琴の本気、全力は周囲への影響が大き過ぎるのだ。


「ふっ!」


 呼気の音と同時、地面に大きな陥没を残し、美琴が狂骨の視界から消失した。


『――!?』


 それに狂骨が反応する暇すら与えず、一瞬で背後に回り込んだ美琴が、狂骨を蹴り上げた。


「――霊砲」


 空へと飛び立った狂骨に向けて、美琴が霊砲を放つ。それも、普段より少し多く霊力を溜めた強化版だ。

 威力はもちろん上がっているが、元々の威力を考えると、そこは然程重要でもない。肝心なのは、攻撃範囲の拡大だ。

 制御の類が苦手な美琴には、霊砲を今以上に圧縮することは難しい。しかしだからこそ、溜めれば溜めただけ、霊砲は拡散する。


 さて、困ったのは狂骨である。

 突如始まった、残機なしの即死弾幕シューティング。

 術式が使えないために空中機動は不可能という、難易度は地獄どころか煉獄だ。もしも発売されれば、クレーム多発で修正待ったなしのクソゲーである。


 迫り来る二度目の死。


 脳は無くとも意思はある狂骨の思考が加速し、沸騰していく。残った数少ない群体同士の脳内会議は完結することを知らず、ただ無為に時間だけが過ぎ、死が近づいてくる。

 例え意思が統合されようと、感情までもをまとめ上げることはできない。死への恐怖は死者であろうと平等だ。いや、既に一度体験しているからこそ、恐怖は一入だろう。

 死から逃れるため、群体たちは無意味な抵抗を始める。狂骨という圧縮された身体から逃れようと、群体が拡散する。


 それは、奇しくも。




 瞬間、狂骨の身体が膨張し、巨大な餓者髑髏へと戻った。


 霊砲が巨体を射抜くが、前と同様に致命傷には至らない。そして、霊砲をやり過ごした餓者髑髏の身体が再び圧縮され、狂骨の姿を取り戻す。


 その刹那。


『"祭壇"、"駆動"』


 イスカの魔術が起動した。




『"烙焉墜崩蛇の誘惑"』


 起動されたのは、呪いの魔術だった。

 拡散した身体は、防御力や抵抗力を大きく下げる代わりに、ヒットポイントを大きく高める。

 霊砲を受けるには向いているが、その代わりに術式に対する抵抗はあまり高くないのだ。


『――――?』


 遥か古より、呪いとは儀式によって得るものだ。敵対する国を呪い、元首を祟ることはどこの世界でも行われてきたことである。

 故に、祭壇の効果は最大限に発揮される。


『――――!?』


 "烙焉墜崩"は、ある種の毒と似ている。

 "体牲奉還"のために流されたイスカの血液を媒体とし、"土の魔弾"による繋がりを辿った呪毒は、狂骨が持つ術式への抵抗を無視して、圧縮される直前の群体に差し込まれ、彼の魂に付着した。


 その呪毒の効果は、感染する精神の汚染だ。

 肉の身体を持たず、霊魂という意思の群体によって身体を造る狂骨にとっては、即ち全身を破壊する激毒となる。

 数え切れぬほどの群体だった餓者髑髏の頃なら、感染した群体を総意を持って切り捨てていただろう。だからこそ、イスカも今までは使わなかった。

 だが、今の狂骨は少数精鋭。単体では成立できない以上、これ以上身内を切り捨てれば、存在を維持するのは難しくなる。


『――――』


 蹲る白骨が、身体の端から黒ずんでいく。

 小さな呻き声は、苦痛の表明なのか、あるいは苦痛を齎したイスカへの怨言なのか、美琴には判断がつかなかった。


「霊砲」


 妖とは、人にとって存在そのものが害である。

 故に、彼女が躊躇うことはない。


 放たれた光線は、白骨を、群体を、怨みを、呪毒を。


 狂骨を構成する全てを、平等に消し飛ばした。




 ◆




『へえ?』

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