第11話 イスカ・デカルトとは

 イスカ・デカルトは半端な魔術師だ。

 増幅器に頼らなければ、単一の術式では一般の魔術師程度の火力も出せない。


 であれば、イスカ・デカルトは弱いのだろうか。


『"祭壇"、"臨界駆動"。"不浄を阻め"、"揺るがぬ第四番"』


 イスカが懐から取り出したのは、一粒の金剛石。それは最も硬く、故に何者にも犯されぬ聖なる宝石である。


『"清廉皇帝"』


 最も硬き石は無残にも砕け散り、しかしその残骸は消えることなく、青いカーテンに吸い込まれていく。


 祭壇とは、端的に言えば結界の一種である。

 結界とはある種の聖域であり、それ単体では意味を為さない。だが、他の術式と組み合わせることで力を発揮する。

 分かりやすくゲーム的に言うなら、設置型のバフだろうか。中でも祭壇は、儀式術の強化に特化した性能を持つ。

 イスカの魔術、"四番"は儀式術ではないが、それでも一切の強化が入らないわけではない。

 祭壇の効力を限界まで高め、普段は省略している完全詠唱を行い、更には障壁等の術式への適性が高い金剛石を増幅器として使用する。ここまでやれば。


「と、止まった……」


 巨大な骨の塊だろうと、防ぐのは容易い。腕が本体に繋がっていれば、もう一つくらいは増幅器が必要だったかもしれない。

 だが、山を鷲掴む巨掌だろうと、切り離されてしまえば何とでもなる。


 いつぞや語ったように、彼は追われる身である。

 力を失った短剣を含め、他にもいくつかの宝物を盗んでいる。言うまでもなく、盗まれた者は取り返すことに必死だ。逃げるにしても限度はあり、何度か追手に指をかけられたこともあった。

 しかし、未だイスカは生きていて、宝物も彼の手の中にある。


『"過剰集積怨霊の端末を捕捉"、"干渉開始"』


 餓者髑髏本体の支配が及ばない、切り離された拳を通して、イスカは餓者髑髏へと干渉する。そのまま支配下におけるなら都合が良いが、それはできない。

 餓者髑髏とは怨念の集合体である。この個体が実際にどう成立したかはさて置き、群体としての性質があるのは確かだ。

 そして、この群体は誰かからの命令を受けて動いているわけではない。もしもトップがいたのなら、命令を偽装するなりして支配することも叶うだろうが、これは群体としての総意で動いている。

 主題はおそらく自己保存。そして敵意、憎悪といったところだろう。それらを仕果たすために最適な行動を、自身の中での多数決で決めている。実際の生物に例えるなら、粘菌のようなものだ。下手な干渉の仕方をすれば、逆に呑まれかねない。

 だから、イスカがする干渉は、ほんの些細なものだ。

 力を失った例の短剣を取り出し、左手の前腕を軽く切り付ける。魔力を失おうと斬れ味は健在であり、イスカ自身には殆ど痛みを与えることもなく、祭壇の中に血滴が垂れた。


『"体牲奉還神のものは神に"』


 イスカが行ったのは、とある魔術儀式。自らの肉体を代償とする、原初の魔術。

 ほんの一雫の血では、得られる効果は極少ない。しかし、問題はない。彼の目的はそこではないのだから。

 肝心なのは、イスカが餓者髑髏と繋がったまま代償魔術を使ったこと。流石に彼らの同意なく、彼らを代償として使うことはできない。

 だが、餓者髑髏は知ったことだろう。代償魔術という原初の、つまりは単純で簡易な術式を。


『――――!!!』


 三度目の絶叫。

 しかしそこに満ちるのは憎悪や敵意ではなく、歓喜の情だ。めきめきと不快な音を立てて、餓者髑髏が巨大化していく。


「……あ」


 イスカの後ろに隠れていた茜の口から、呆然とした音が漏れた。

 絶望的だった巨体が、更なる巨大化を果たせば、そのような反応にもなるだろう。


「素直だな」


 この巨大化は、間違いなく代償魔術の効果だ。

 代償魔術の本質は、自己をエネルギーに換えること。文字通り、身を削るというやつだ。

 この餓者髑髏は単純に、群体としての特性を活かしたのだろう。総意に反対するものを代償として払うことで爆発的に霊力を増やし、更に結束を高めている。

 本来であれば、いくらエネルギーを増やしたところで、肉体の質量が変わることなどあり得ないが、これは妖という存在が霊力で構成されているが故だろう。


「ど、どうするの!? さっきまでの大きさでも勝てなかったのに、こんなの……」

「大丈夫ですよ。ほら」


 イスカが指を指した先。巨大化を続けていた餓者髑髏の動きがぴたりと止まった。そして、まるで風化したようにぼろぼろと全身の骨が崩れていく。


「……何これ?」


 敵手の変貌ぶりに困惑したのか、攻撃を中断し、美琴が二人の元へやって来た。一目で分かる異常。

 何の要因もなく発生する事象ではない。美琴は霊砲を撃つ以外に何もやっていない以上、下手人は一人しか残っていない。


「アンタの仕業よね?」

「……原因は俺だけど、あれはあいつの自業自得だよ」


 崩壊の原因は、言うまでもなく代償魔術である。

 餓者髑髏は、代償魔術を用いて、群体の一部を犠牲に自身の身体を構成するエネルギーを増やした。

 群体とて身体の一部ではあるが、代償魔術であれば消費した以上のエネルギーを確保できる。身体がエネルギーでできているが故の蛮行だ。

 しかしそもそも、代償魔術とはそれほど都合が良い術ではない。魔術の原則として、等価交換というものがある。端的に説明すれば、魔術は消費した魔力以上のエネルギーを生み出すことはできないのだ。


「ん? それ代償魔術とやらの説明と矛盾してない?」

「実はそうでもない。消費した以上に得られた、ということはあり得ない。それはつまり、消費したことに気付いていないってことなんだよ」


 今回のケースであれば、餓者髑髏が犠牲にした群体に含まれているものについて、考えなければならない。

 まず一つは、エネルギー、つまりは霊力。

 そしてもう一つは、意思である。


「あれは総意で動いてる。簡単に言うなら、みんなで動かす巨大ロボットみたいなもんだな」


 あのぽんこつは、言うなれば貴重なパイロットを消費して、ロボットそのものを強化したのだ。

 勿論、それが有効な場合もあるだろうが、肝心のロボット本体を扱いきれなくなっては本末転倒だ。


「群体が本質の存在が、その群体を消費する……いやはや全く、妖ってやつは愚かだなあ?」

「いや、アンタがやらせたんでしょ」

「心外だな。方法を教えたのは事実だが、やったのはあいつだよ」


 己の形を保つため、餓者髑髏は更なる自己犠牲を強いている。未だ崩壊の原因を悟れていないらしい。いや、あるいは原因を悟った賢い少数派を、愚かな多数派が犠牲としてすり潰した可能性もある。

 感じ取れるエネルギーが加速度的に増えていくのに比例して、崩壊が加速していく。


 何故、イスカ・デカルトが生きているのか。

 理由は簡単である。追手を全員返り討ちにしたからだ。


 何故、半端な魔術師に追手を退けられたのか。

 理由は簡単である。イスカが追手よりも強いからだ。


 何故、半端であるのに強いのか。

 理由は簡単である。客観的な評価として、イスカ・デカルトは天才だからだ。


 そも、半端といえど術式を修めるというのは並大抵のことではない。ここで、魔術を扱うために必要なものを列挙しよう。

 一つは魔力。これがなければ、そもそも魔術師にはなれない。

 一つは魔力を扱うセンス。魔力だけがあったとしても、扱う才能がなければ美琴の下位互換にしかなれない。

 そしてもう一つは、扱う術式の知識、理解である。


 前二つと違って、知識や理解は才能だけだはどうにもならない。魔術の道は険しく、そして遠大だ。たった一つの魔術であっても、極めるためには人の一生ではまるで足りない。

 故にこそ、一般的に魔術師は己の専門を持つ。


 しかしイスカは、己の専門を持たない。あらゆる分野のあらゆる術式を、必要な分だけ摘み食いしている。それは逆に言えば、幅広い知識を持っているということだ。

 基本的に全ての術式には、弱点が存在する。火が水に弱いように、その特性上逃れられぬ急所があるのだ。対術師戦闘において、最も重要なのはその急所を見極めること。急所を見極め、そこを抉る技量があるのなら、あとは半端な術式でも充分に事足りる。

 とは言うものの、もしこれを本職の魔術師に言えば、呆れてこう諭されるだろう。


 それができれば苦労はしない。


 術式は、一定以上のものは弟子以外には秘匿されるのが慣わしだ。戦闘に使われる主要な術式は大抵がそれに当たる。

 戦闘中に解析するような余裕がある筈もなく、にわか知識があろうと意味はない。そんなものに時間を掛けるより、単純に術式の強度を高めた方がずっとマシだ。


 マシなのだが……まあできるのだから仕方がない。


 対象を術式に限らず、一目見れば何となくの特徴が掴めて、にわか仕込みの知識に照らし合わせれば急所も見える。

 その上、一度見たものを殆ど忘れないから、似たものと比較もできてしまう。彼のやりたいこととも噛み合って、今の今まで浮気性のままに生きて来た。

 そしてだからこそ、少しも知らない日本の龍脈に関する儀式を手伝えたし、初めて見た妖の倒し方だって思い付く。

 問題は思い付いても実行できないことだが、そこら辺は増幅器や祭壇で補えば良い。美琴とかいう意味の分からない例外はいたが、事実として今まではどうにでもなっていた。

 きっとこれからも、それは変わらないだろう。


「……あ、首が……」


 重い頭骨を支える頚椎が崩れていく。

 敗戦を告げるように、大袈裟な音を立てて首が落ちた。


 致命的な崩壊。


 頭に脳は入っておらず、首に神経が通っているわけでもない。群体という本質故に、部位そのものに意味を持たない餓者髑髏であっても、首というのは概念的な急所だ。

 再生するならともかく、自壊してしまっては只では済まない。


「こ、これで終わったの?」


 首が落ちたのを皮切りに全身が崩壊し、遂には餓者髑髏の全身は完全に崩れ落ちた。一見すれば、終わったように見えるだろう。


「イスカ」

「力が霧散しない。あれで終われば幸運だったんだが……まあ、要はそういうことだろうな」

「……え? どういうこと? だって、もう全身が崩れて」


 瞬間、茜にすら感じ取れる規模の霊力が、丁度首が落ちた辺りから立ち上った。

 全身が総毛立つような感覚、強烈に死を意識させる暴威の気配。


『"安らぎ"、"十七番"』


 ふっと意識を失いかけた茜に、イスカが魔術を掛ける。掛けたのは精神を安定させるための術式だ。

 ことが終わるまで寝てもらうわけにはいかない。まず確実にもう大丈夫だとは思うが、寝て起きたら終わっていたせいで不幸にカウントされない、なんてことになっては困る。

 茜には酷だが、可能な限り恐怖を噛み締めてもらう。


 そして、力を纏って現れたのは凡そ二メートル程の骸骨。餓者髑髏というには小さ過ぎる、イスカの知るスケルトンという魔物に近しい姿だった。


 群体を消費し、莫大な力、大きさを得た餓者髑髏はその巨体を持て余し自壊した。

 あれは、生き残りの敗残兵が動かせる最大限の身体だ。だが、決して侮ってはならない。それは単なる喪失ではなく、余分を削ぎ落としたある種の洗練なのだから。


 本来なら、自壊と共に代償魔術で得た霊力は霧散する筈だった。しかし、餓者髑髏は消滅する間際、力の扱いをものにしたのだ。

 消費しなかった群体を統合し、霧散する霊力を圧縮する。エネルギー量は先程までと大した差はない。それどころか扱いきれない部分はそのまま消えている。


 だが、あれは今の方が明確に強い。


 これはエネルギーの密度の差だ。先程までの餓者髑髏は、例えれば発泡スチロールのようなもの。

 大きさに対してエネルギーの密度がスカスカなせいで防御が柔かったが、今は違う。例えるならば、金属でできた鉄球だろうか。重く、硬く、強靭に。

 物理的なサイズが縮もうと、概念的な重さが変わらないならそれは強化である。


 烏合を捨てた少数精鋭の成れ果て。


 群体故の宛先のない怨念は、霊砲を乱射していた美琴と、代償魔術の使用を唆したイスカに向けられている。

 あれは最早、餓者髑髏と呼べるものではない。


 古井戸の底より現れ、いくら汲もうと決して尽きることない狂った怨みを持つ妖、狂骨である。


「気合い入れろよ。性能だけなら、さっきまでより上だ」

「ふうん?」


 首を傾げた美琴が、日常動作の延長のように霊砲を放つ。

 しかし、狂骨はこれを容易く回避した。それを冷静な視線で見届けた美琴が、イスカたちの前に進む。


「ま、やりやすくなったし、サポート頼むわよ」


 制服のスカートを翻し、神成美琴は狂骨の前に立ち塞がった。

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