第10話 其は骨の怪物
「わっ! わわわっ!?」
空間が歪んだ直後、空野茜を包み込んだのは浮遊感だった。それもそのはずだ。何故なら、実際に数メートル落下している。
「おっと、落ち着いて落ち着いて」
「ぅあ! い、イスカ君!?」
空中で茜をひょいと抱き留めて、イスカは常人ならば怪我は免れない落下から茜を救出した。
「え、ちょ、ち、近くない?」
「すみません。今は非常事態なので」
「い、嫌とかではないけどさ、な、なんかさ」
「イスカ? 人の親友とイチャつかないで欲しいのだけど」
「これ俺の所為か???」
計画立案から数日の時間が流れ、計画は実行された。
イスカの考えた計画は至ってシンプルだ。
茜を妖に遭遇させ、その妖をイスカと美琴で討伐する。
この計画の問題点は、妖を人工的に用意するのが難しいこと。
妖を構成する澱んだ霊力は人の身には毒であり、かつ用意するためには幾つかの儀式が必要で、更には必要な量もかなりものだ。必要だからとどこかから持って来れるものではない。
しかし、ここは龍脈の直上だ。
そして、イスカは澱んだ霊力が生み出す異界を既に見ている。
イスカが侵入した異界は既に消滅した。柳が儀式を行ったからだ。龍脈の流れは整えられ、澱みは解消されている。であればつまり、澱みを生み出すためには、それとは逆の効果を持つ儀式を行えば良い。
しかし本来、そのような儀式は存在しない。龍脈を管理していく上で、全く必要のない技術だからだ。
だが、現に異界は生成され、三人はそれに取り込まれている。
「い、イチャついてるとかではないって! べ、別にイスカ君とはそういうのじゃないし!」
「茜ちゃんさあ……まあ良いけど」
「何が!?!?」
実際の実力として、イスカは美琴に指摘されたように器用貧乏だ。
様々な術式を修めてはいるが、そのどれもが悉く半端。専門として修めている術師には遠く及ばず、生半可な術式を宝石という特大の増幅器でカバーする成金戦術を得意としている。
それは、一般的な魔術師から見れば、実にみっともない戦い方だ。実力の不足を道具や資金で補うなど、魔術師としての誇りはないのか、と。
「漫才やってるのは良いが……来るぞ」
異界内部が強く揺れる。
それと同時に、イスカと美琴の第六感を刺激するのは、以前の妖とは比較にならない程の圧力だ。
「な、何これ。地震?」
「イスカ」
「探知もいらないな。想定以上の存在規模、不幸に引っ張られてる証拠だ。良い傾向だよ」
イスカ達に釣られるように、茜が視線を動かす。
「何、あれ……」
それを一言で表すのなら、巨大だろうか。
途方もない大きさ。
日輪を覆い隠し、山を鷲掴むほどの。
「が、骸骨?」
「スケルトンか?」
「
骨の怪物。
日本においては、戦死した者、野垂れ死んだ者、埋葬されず、供養すらも受けられなかった死者の霊魂。
腐り落ち、死骨と成り果てた怨念の集合体である。
「この山で合戦なんて、聞いたことがないけれど」
「逸話は別に重要じゃないだろ。単に、器が力の総体としてのイメージに最適だっただけだ」
餓者髑髏は元々集合体としての概念であり、そのキャパシティに上限がない。故に、今回の器としては丁度良かったのだろう。
「ふ、二人とも何言ってるの!? 早く逃げないと!」
抱き上げられたまま焦る茜に、イスカは少し驚いた。
普通の人間は、自分よりも遥かに大きな怪物と出会った時、即座に逃げるなどという発想は出てこない。恐怖に竦んで動けなくなるのが関の山だ。魔術師ですら、そういうことは珍しくない。
「意外と度胸があるんですね」
「へ? え?」
「来るわよ!」
四つん這いの姿勢から、巨大な拳が振り上げられる。
巨体故に素早さはない、と思われるが、それは間違いだ。そのスケール相応に必要な動き、距離が多いだけであり、時速で表せば途轍もない速さになる。
そして物理的な力とは、即ち重さと速さである。
「きゃああああ!!?」
地を穿つ轟音。
叩き付けられた拳により大地は大きく抉れ、衝撃によって飛散する木々と土塊は、人体を破壊するには充分すぎる程の力を持っている。
『"防げ"! "四番"!』
着弾点から退避したイスカが、障壁の術式を起動する。流石に拳そのものは耐えられないが、詠唱も込みで起動すれば、その余波程度は防ぎ切れる。
「霊砲!」
そして拳の余波をイスカの障壁でやり過ごした美琴が、即座に霊砲を放つ。
人間ならば全身を余すことなく包む霊砲も、この巨体が相手ではレーザーのような運用になる。だが、その威力は据え置きであり、何も変わることはない。
拳よりも余程高速で対象を穿つ一撃は、何の問題もなく餓者髑髏の額を貫いた。
必殺の一撃。
妖であれば、いや、妖であるからこそ、霊砲は耐えられない。
しかし。
「効いてない……!?」
額に空いた風穴が、めきめきと再生していく。
本来は眼球が埋まっていた筈の眼窩に埋まる赫い光が、一層強く輝く。
『――――!!』
気管も声帯もない骸から、絶叫が響いた。
「っ! おい、もっと撃て!」
「ぐっ! やぁ!」
美琴が追撃として更に霊砲を放つ。再び額、眼窩、胸、腕と様々な部位が穿たれた。
だが。
「やっぱり……!」
その全ての傷が、めきめきと音を立てて塞がっていく。そして、餓者髑髏が両腕を振り上げた。
「ちっ! ミコト、一旦撤退だ!」
イスカが茜を抱えたまま餓者髑髏から距離を取る。少なくとも、霊砲の力押しで勝てる相手ではないようだ。美琴が着いてきていることを確認するため、イスカが背後を確認すれば、美琴はしっかりと追従して来ている。
それと同時、振り下ろされる両の拳。
「また衝撃が来るぞ!」
「壁頂戴!」
『"防げ"! "四番"!』
先程の二倍の衝撃であっても、イスカの障壁は問題なく耐え切った。
美琴に隠形ができれば、このまま土煙に紛れて隠れ、作戦会議もできるが、残念ながら彼女はそういった器用さを持ち合わせていない。
おまけに有益不利益問わず人からの術を弾くという、便利なのか厄介なのか分かりかねる特性のせいで、イスカから認識阻害の術を掛けることもできない。一応、空間そのものに掛ければ隠すこともできるが、精度は荒くなるし、何より動き回りながら美琴を隠すのは現実的ではない。
故に、このまま逃げながら話すしかない。
「ミコト! 手応えはどんな感覚だった!?」
「分かんないけど、外した感じはしない!」
「硬さは!?」
「柔い!」
「よし、分からん! 引き続き攻撃頼んだ!」
「役立たず! 茜のことよろしく!!」
八つ当たり気味に叫んだ美琴が、人外じみた身体能力を持って餓者髑髏の方へ突っ込んでいった。
正直イスカとしては、接近するのは無謀だと思うが、二度攻撃を見た上で近付くのなら問題ないという確信は得たのだろう。
『"九番"』
餓者髑髏の相手を美琴に任せ、イスカは自身と茜に認識阻害の術を掛けた。
警戒を緩めることはできないが、基本的な狙いは美琴に向くはずだ。一旦、ここまでは想定内と言ったところだろうか。
「い、イスカ君……」
一先ず、空いた時間で様子見ついでに攻勢術式でも使ってみるか、などと考えていると、今まで黙っていた茜が口を開いた。
「どうしましたか?」
「どうしたって……どうしたもこうしたもないよ! あの骸骨は何!? 美琴はなんかビーム撃ってるし、イスカ君も訳わかんない言葉使ってるし、そもそもずっと降ろしてくれないし!」
「あの骸骨は妖と呼ばれているものです。ミコトのは……俺にもよく分かりませんね。言葉は母国語で、降ろさないのは危ないからです」
淡々と質問に答え、イスカは術式を起動する。
純粋な神秘攻撃として、霊砲以上のものをイスカは持っていない。更に言えば、単純な火力も、あのデカブツに通る規模のものを用意するのは難しい。であれば、一旦は物理に依った術式を使い、耐性や弱点を探るべきだ。
『"元素選定"、"土の魔弾"』
イスカの足元の地面が隆起し、大砲を形作っていく。
『"発射"、"自幽落个"』
大砲から放たれた岩の砲弾は、真っ直ぐに骨の怪物へと飛んで行く。"自幽落个"は重力の影響は打ち消せないが、速度を落とさず相手に攻撃を届けるには便利な術だ。
「うーん、意外と悪くない、のか?」
着弾した砲弾は餓者髑髏の大腿骨を砕き、内部へと減り込んでいった。
破壊するには至らず、普通に再生していく辺り、ダメージは期待できないが、弾かれない時点で予想外だ。
柔い、というのは美琴比の感想なのであまり信用していなかったが、どうやら信憑性は低くないらしい。とはいえ、美琴が現在進行形で与えている攻撃に比べれば、雀の涙程度ではあるか。
「ど、どうして逃げないの!?」
「まだ逃げるほど追い詰められていませんよ」
「あんなの勝てるわけないでしょ!?」
「いやいや、流石に無限に再生なんてできませんからね。最悪ミコト一人でも削り切れると思いますよ。怪我はさせません。約束します」
ただ、あまり存在規模が目減りしている感覚もないので、数日単位で掛かる可能性はある。
しかし、そんなに待ってはいられない。やはり、何かの形で一気に削らなければならないだろう。
それを考えるのはイスカの仕事だ。探知の術を使いつつ、どうしたものかと頭を悩ませていると、戦闘の余波による土砂が降りかかって来た。
「きゃあ!」
防ぐこと自体は容易いが、狙ったようにこちらへ飛んで来たのは、正しく不運という他ない。
「あまり、ゆっくりはしていられないな」
茜の不幸は継続中だ。ちんたら遊んでいたら、狙撃と見紛うような流れ弾が飛んで来かねない。しかし、だからといって都合よく良い案が浮かべば苦労はしない。情報が足りていないのか、それとも思索が足りていないのか。
「探知の反応は全身平坦、核らしいものはない。どこかからエネルギーを引っ張り出してる感覚もないな」
分かりやすい弱点は、ぱっと見では見当たらなかった。霊砲でさっくり終わらないのはそれが原因だ。これはもう仕方がない。
であれば、弱点を作ってやるしかないだろう。
「とはいえ、このままじゃ無理か」
せめて、簡易的な祭壇か工房くらいは用意しなければどうにもなるまい。一応、宝石を砕けばやれないことはないだろうが、失敗すると大赤字である。時間は美琴が稼げるのだから焦る意味もない。
「ちょっと移動しますね」
「へ? わ!」
一先ずは、餓者髑髏の腕が届かないところまで。儀式中、不運にも拳が降って来ては堪らない。
「さて」
「え?」
今まで抱えていた茜を一旦降ろし、イスカは自分たちを囲うように、四方へ杭を打った。
『"聖地は場に依らず"、"神威は万里へ届く"、"故に"』
四方へ打たれた杭同士を、光の糸が繋いでいく。
『"
光の糸が編み込まれる。杭同士を繋ぐ糸は半透明の青いカーテンとなり、イスカの魔力がごっそりと減った。
杭の補助があるとはいえ、イスカの神はこちらにはあまり浸透していないせいだ。しかし、支払った魔力でお釣りが来るほどの性能が、この祭壇にはある。
『――――!!』
だが、この祭壇は認識阻害の術では誤魔化せない。誤魔化せてしまっては、祭壇や聖地とは言えないからだ。
感情は読み取れないものの、どこか不快そうに感じる餓者髑髏の絶叫。たかだか祭壇の一つを潰すのに、腕を振り上げる意味はない。
そんな助走をつけずとも、ただ最短距離で振るうだけで、それだけで充分だからだ。
攻撃の予兆を見た美琴が、霊砲を腕に薙いだ。しかし腕が切断されたとしても、慣性という法則に支配された拳は止まらない。
祭壇へ、拳が迫っていた。
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