第9話 不幸とは
占いを行ってから数日後。
護衛の甲斐があってのものかは定かではないが、空野茜は何事もなく過ごしていた。
「ねえ美琴?」
「どしたの茜」
授業の終わった放課後、美琴は茜を自らの実家、神社へと連れて来ていた。
「そろそろ何で連れて来たのかを教えて欲しいんだけど」
それも、半ば無理やり。何も説明せずに。
「んー……まだダメみたい。もうちょっと待って」
「まだダメって……」
せめて住居の方に連れて行ってくれれば良いというのに。本殿、賽銭箱の隣に座っているのはどうにも落ち着かなかった。
「それに、奥の方から何か聞こえてくるし……」
「お父さんの祝詞ね。一応、あれがお仕事だから」
滔々と同じペースで紡がれる祝詞。茜には何を言っているのかさっぱり理解できないが、美琴には分かるのだろうか。
「大体分かるわよ」
「へー、やっぱり勉強したの?」
「勉強……って言うのか分からないけど、子供の頃から聞かされ続けていれば、何となく分かるようになるわ」
「英才教育かあ……」
巫女になる予定のない茜にとっては、分かったところで意味はない文言だ。
しかし、そういった専門知識が分かる、というのは、茜にはどこか格好が良いように思えた。
「それに、分かるだけじゃあ意味ないしね」
「そうなの?」
「色々修行が必要なのよ」
「ふーん」
遠い目で語る美琴に、神職というのは大変なのだな、と茜は思った。まさに他人事である。
それから話題が途切れて、しばし無言の時間が流れた。聞こえてくるのは風の音と、低く渋い声音の祝詞だけ。
「……茜はさ、最近どう?」
先に話題を見つけたのは、美琴の方だった。
「どうって、何が?」
「ほら、変な占いされてたじゃない」
「嫌なこと思い出させないでよ……」
決して忘れていたわけではなかったが、良いとは言えない思い出を掘り返され、茜は顔を顰めた。
「別に、何もないよ。一応車とかには気をつけてるけど」
「……そっか」
「何、不満そうじゃない?」
「そんなことないわよ」
ほんの少しだけ表情を曇らせた美琴が、ぐっと伸びをした。それなりの時間座りっぱなしだったから、背中でも凝ったのだろうか。
「いや、私はそういうの平気だから」
「……そういえば、そんなこと言ってたっけ」
生まれてこの方風邪を引いたこともなければ、あらゆる身体の不調に悩まされたことがないらしい。羨ましい話である。
そして、本殿の奥から祝詞が聞こえなくなった。
「終わったみたい」
「じゃあ、そろそろ話してくれるの?」
そう問いかけても、美琴は曖昧に微笑むだけだ。
いい加減に苛立って来て、文句の一つでも言わなければならないか、と口を開こうとして。
「あぁ、ソラノさん。もう来てたんですか」
何故か本殿の奥からやって来たイスカに出鼻を挫かれた。
「え、は? 何で? イスカ君、今日は風邪で休んでたんじゃないの!?」
「……そういえば、そう伝えたんでしたね。それ嘘です」
「嘘ぉ!?」
ズル休みの告白をさらりと流し、イスカは美琴に話しかける。
「準備終わったぞ」
「……ん、了解。じゃあ、茜」
「え、え、何?」
「行こっか」
「どこに!?!?」
さてさて、三人連れでやって来たのは、例の如く神社の裏山である。
間違いなく制服でやって来るような場所ではないのだが、残念ながら茜以外は気にもしていないらしい。というか、イスカは学校を休んでいたくせに、何故制服を着ているのだろう。
「うぅ……何でこんなところに……」
「ごめんね。でも茜の為だから……」
「DVやってるやつみたいだな」
「うるさいわね! 女殴りそうな顔してるくせに!」
「偏見過ぎるだろ」
キレのあるやり取りをしつつ、イスカはどこかから拾って来たような棒を用いて地面に何かを描いている。円の内側に幾何学模様を組み合わせたようなそれは。
「魔方陣?」
「おや、もしかして、話せるタイプですか?」
「え、茜ってオカルト系強かったっけ?」
「いや全然。漫画とかの知識くらいしか無いけど……」
どのような形がどんな意味を持っているか、陣の中に細々と刻まれた言語は何語で何と書いてあるのか、茜には何一つ分からない。
しかしどうやらイスカが、ただ占いが好きなだけの転校生ではないことは分かった。少なくとも、今彼が描いている魔方陣は、中二病の罹患者が遊びで描けるようなレベルではない。
「え、これ本当に何?」
「じゃあ、いい加減説明しましょうか」
魔方陣の手伝いはできない、手持ち無沙汰な美琴が口を開いた。
「茜は、オカルトって信じてる?」
「オカルトって……」
「妖怪、幽霊、悪魔、陰陽術に魔術、魔法、あと占いとかね」
「占い……?」
「結論から言っちゃうと、今挙げたものは全部実在するわ。私とお父さんは陰陽師で、そっちのイスカは魔術師」
「はあ!?」
確認するようにイスカの方を見てみれば、彼はニコニコと笑いながら茜に向かって手を振った。茜は無意識に手を振り返しつつ、視線を美琴に戻した。
「もちろん、この間やったイスカの占いも本物なの」
「本物……って」
「信じられないかもしれないけど、事実だから受け入れてもらうしかないわ」
淡々と語る美琴には、人を騙そうとする悪意は感じない。
これでも、茜と美琴は長い付き合いだ。全てを知っているわけではないが、意味のない嘘を吐くタイプではないことは知っている。
「……でも」
それでも、信じられないことはある。
「信じられないなら、それはそれで構いませんよ」
「イスカ君……」
魔方陣を描き終えたのか、棒をぽいと放り投げ、笑っていた筈のイスカは別人のように冷えた表情をしていた。
「イスカ」
「どちらにしても、やることは変わらない。ソラノさんの仕事は、邪魔をしないことだけだ」
「だとしても、言い方が最悪なのよ」
不機嫌そうに顔を歪めた美琴が、再び茜に顔を向けた。
「本当に最悪だけど、イスカが言ってることは本当。茜には悪いけど、今から最悪な目に遭ってもらう」
「……な、何言ってるの?」
「あんまり教えると良くない影響があるかもしれないらしいから、今言えるのはこれくらい。ただ」
信じて。と、この場においては最も法外な要求を一方的に突き付けて、美琴は茜に背を向けた。
「……時間だな。そろそろ起動するぞ」
イスカが魔方陣に手をつくと、複雑な紋様が輝き始めた。茜には何も理解できぬまま、状況だけが動いていく。
『"認知の歪み"、"世界の捻れ"、"撓んだ神秘"』
「え、な、何?」
『"我は神意を語る者"、"預言を賜る天の使者"。"神託の時は今"』
『"
そして、三人のいる空間がぐにゃりと歪むのを、空野茜は確かに観測した。
◆
「不幸を用意する?」
それが、イスカが考え付いた思い付きだった。
「あぁ」
「……流石にそれだけではよく分からないな。説明してくれるかい?」
柳が問い掛けると、イスカは一つ頷いて説明を始めた。
「そもそも、不幸不運って何だと思います?」
「何って……」
「悪いことじゃないの?」
「大雑把だけど、まあそうだ。より具体的に言うなら、本人にとって予期しない悪い出来事が不幸であり、それに遭遇するのが不運になる」
厳密な辞書の定義を問われると困るが、柳と美琴の理解としてはイスカが言ったものと相違はない。
「それで?」
「本人にとって予期しない、ということは本人以外は予期してても良いってことだ」
「……イスカ君、まさかとは思うけど」
「マッチポンプ不幸、アリだと思う」
それは、何とも最悪な提案だった。
「えぇ……いやいや、それは流石に」
「僕も、流石にそれは認められないな。倫理的にどうかと思うし、そもそも不幸にしてしまったら本末転倒だ。それに、こちらで不幸を用意したとして、それは占いの結果としてのものになるのかい? 最悪、茜ちゃんに降り掛かる不幸が増えるだけになるかもしれない」
美琴はドン引きで、柳も視線が鋭くなった。
確かに、本末転倒というのはその通りだ。その後の指摘に関しても、全くあり得ないとは言い切れない。だからこそ、これまではイスカも提案しなかった。
「まず、占いの結果として認められるか、という話ですが、これは問題ないと思います」
「ふむ、その心は?」
「説明は難しいんですが……前にも言った通り、俺の占いは未来を剪定します。けれど、それは直接結果と結びつくわけじゃない」
神秘学において、運命、または未来は観測によって決定してしまうとされている。例えば、完璧な未来視の能力を持つ者、仮にAがいたとしよう。Aが視た未来は絶対に実現する。
何故なら、Aは完璧な未来視を使えるからだ。
「……ん? それは当たり前じゃない?」
「そう、当たり前だ」
至極当然のことを語っただけの文章に矛盾はない。故に、問題となるのはここからだ。
Aの未来視は完璧だ。しかし本来、未来には無数の並行世界が存在している。それらは一体どこへ消えてしまったのだろうか。
「あ、確かに」
「この世界で選ばれる未来は、結局のところ過去と同じく一つしかない。だが、その未来に至るまでにはいくつもの分岐がある」
しかしそれでも、Aの未来視は絶対に当たる。何故なら、Aの未来視は完璧だからだ。
「簡単に言えばな、完璧な未来視だから当たるんじゃない。完璧な未来視は当たらなければならないんだ」
それは、ある種の逆転現象。完璧な未来視は確定しなければ完璧足り得ない。確定していなければ、それは完璧ではないから。
完璧であると定義された未来視が外れることは、世界にとって致命的とすら言えるバグになる。あるいは、例えばこれが、未来からのタイムトラベラーであっても同じだ。
未来のことを知っている人間がいれば、世界はその方向に向けて進んで行く。もしもズレてしまえは、タイムトラベラーの存在が矛盾してしまうから。
つまり完璧な占いとは、世界にとって最優先の命令なのだ。そこに運が介在する余地はない。
「それで? それがあんたの占いとどう繋がるわけ?」
「運の話だよ」
イスカの占いに、未来を確定させる力はない。完璧ではないからだ。そして完璧でないが故に、その結果を覆すこともできる。
しかし完璧でないからと言って、力がないわけではない。故に未来は剪定され、方向性が絞られていく。あるいは、素直に運が悪くなると言い換えても良い。言ってしまえば、良いカードを引けば運が良くなるし、悪いカードを引けば運が悪くなるということだ。
そして、運とは消費されるもの。
それは幸運であっても不運であっても同じことだ。プラスだろうとマイナスだろうと、世界は常にゼロであることを強要する。
「つまり?」
「同じ結果でも、そこに至るルートはそれほど重要じゃないんだ。肝心なのは、不運に遭ったという事実だけ。例えマッチポンプの不幸でも、世界は不運に遭った事実だけを見る。そういう風にできてる」
「断言できるのかい?」
「断言、まではできませんが、まず確実だと思います」
不安な部分はあるが、この場で占いや運といった概念について最も詳しいのはイスカだ。
そのイスカが確実だというのなら、二人は信じるしかない。信用という部分に不安はあれど、それを言い出せば終わりなのだから。
「それで、具体的にどうするつもりなんだい?」
「元々、痕が残らない程度に怪我してもらうプランも考えてはいたんです」
「ちょっと?」
「考えていただけだって。とはいえ、約束を破るわけにはいかないので保留にしていたんですが」
「没にしときなさいよ」
「実行しなければ無罪だから。ともかく、思ったんですよ。別に怪我をしなければ、不幸ではないわけでもないって」
「それは、そうだけど……」
怪我をすることだけが不幸ではない。冷静に考えれば当たり前の話だ。
「でも、怪我じゃない不幸ってあまり大きくないんじゃない?」
「確かに怪我は分かりやすく不幸だが……さっき自分で言っただろ。一般人が妖に遭うのは、充分不幸だよ」
妖は、悪魔と非常に近い存在だ。つまり、神秘でしか対抗することができない。
一般人が遭遇すれば、逃げることしかできないだろう。逃げ切るために必要な運動能力は、考えないものとして。
「でも、妖なんて都合よく用意できないわよ?」
「それなんだけど……柳さん、こういうことってできますか?」
「うん? どれどれ……あー、無理ではないけれど、難しいな。最低でも数日は掛かりそうだ」
「充分です。俺も手伝いますから、実際はもう少し早く終わるでしょう」
「それは心強いね」
イスカがさらりと書いたメモ書きを共有し、二人は計画を煮詰めていく。
「…………お茶でも淹れてくるわ」
不器用な女を一人、置いてけぼりにして。
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