第8話 擦り合わせ
神成家の住居は、神社の本殿からそれなりに離れた場所にある。とはいえ見える距離ではあり、その間の道は整備されているし、徒歩でも行き来するのに困ることはない。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
「ありがと」
柳が淹れたのは、言うまでもないかもしれないが、緑茶だった。イスカにとっては飲み慣れぬ味の筈だが、特に気にした様子はない。
昼食にサンドイッチを食べているところを見た覚えがあるが、案外和食も平気だったりするのだろうか。
「とりあえず、僕の話は後で良いから、まずは茜ちゃんの話をすると良い」
「いえ、対策を練るにしても、何ができるかは知っておいた方が良い。流石に手の内全てを晒すわけにはいきませんが、ある程度は共有しておきましょう」
「そうね。特にイスカは色々できるみたいだし」
和やかだった雰囲気が一変し、空気が固くなる。
手の内を晒す、というのは、術師にとって非常に大きなことだ。特に魔術師は、初見殺しを得意とする人種である。故に手の内を晒せば、相対的に弱体化していく。それを自ら提案する、というのは、彼が美琴たちに寄っていることの証左に他ならない。
……なのだが、そういった概念を持っていない美琴は今一つ理解していなかった。
「そもそも、イスカって巫女なの? 陰陽師なの?」
「どっちでもない。というか、その二つの何が違うのか知らない。そもそも男の巫女とかいるのか?」
「大雑把な分類だけれど、戦闘を行う術師が陰陽師、行わないのが巫女と覚えてくれれば良い。ちなみに男の巫女はいないわけではないよ。巫女というのは役職の名前だからね。ただ、この界隈は前時代的だから、女性が担うべきだという考え方が主流だ」
大きく溜息を吐きながら、柳はぼやくように言う。それに、イスカは苦笑しながら頷いた。
「あー……その辺りは、どこの国も変わりませんね。狭い世界だから、新陳代謝も少ないし」
「全くだよ。結局のところは適材適所、得意な人間が得意なことをやるのがベストだと思うんだけどねえ」
「話がズレてるわよ」
「おっと、ごめんごめん。イスカ君、続けて?」
話の流れが愚痴に寄ってしまったことを謝罪し、柳はイスカに話を促した。
「では、改めて」
イスカがすっと姿勢を正す。釣られるように、美琴とイスカも姿勢を正した。
「魔術教会、術理派所属。魔術師のイスカです」
イスカが自らの所属を名乗ったのは、この国に来て初めてのことだった。
「魔術師! へえ、魔法使いってことかい? すごいな、フィクションじゃなかったのか」
「魔法使い、はまた別の分類というか、違うものなので、魔術師でお願いします。あと、フィクションというならこちらもですよ。陰陽師なんてニンジャやサムライと同じ創作だと思っていましたから」
「侍も昔はちゃんといたし、忍者はまだ実在してるわよ」
「マジで!?」
コミックの産物だと思っていた存在が実在していたことに驚きを隠せない両陣営。
とはいえ、お互い自分たちだって世間からはそう思われているの存在なのだから、あり得ない話ではないだろう。
「っていうか、陰陽師と魔術師って違うの?」
「あぁ、名前が違うだけで同じなんじゃないか、ってことだね。どうなんだい?」
「断言はできませんが、違うものだと考えて良いと思いますよ。術式体系どころか、エネルギーも互換性があるだけで別物でしたし」
「いつの間にそんなの調べたのよ」
「それはノーコメントで」
言うまでもなく、例の小鬼の指を調査した結果である。術式については調査中だが、祭具等をこっそり見たところ、違うらしいということは分かった。
「……ま、良いけどね。それより、イスカは何ができるの?」
調べた手段については疑わしいところが多いが、美琴にイスカを攻撃できそうな感覚はない。契約がある以上、美琴の不利益になるようなことはしていないのだろう。
「何、と言われると悩むな」
「何で? そんな悩むくらい沢山術を持ってるわけ?」
「そうだよ。まあ、一つ一つはあまり強くないけど、その代わり大体のことはできる」
「器用貧乏ってことね」
「言葉選べ。そういうミコトは何ができるんだよ」
意趣返しのようにイスカが問い掛けると、にやにやと笑っていた美琴が口を噤んだ。
「おい?」
「……」
美琴は目を逸らした。それを見た柳が、呆れたように溜息を吐く。
「はあ……美琴、僕から言おうか?」
「んぐっ……いい、自分で言う」
「……いや、別に無理に言うことはないけど」
曇った表情を見ると、流石のイスカも気が咎める。
「私が使えるのは、霊砲……だけ、です」
「霊砲……だけ?」
なるほど。言いにくそうにしていたのは、そういうことだったらしい。
確かに、これだけの力を身に秘めていながら、肝心の使える術――術と呼ぶのかも怪しい――が霊砲だけというのは、宝の持ち腐れのように感じなくもない。
「逆に、何で他の術は使えないんだ?」
「……だって、術式を編むとか、ややこしいし難しいんだもん」
「ウケる。不器用じゃん」
「ぶっ飛ばすわよアンタ」
意趣返しと言わんばかりに煽るイスカ。
転校してきてからまだ一月も経っていないというのに、随分と日本語が達者である。
「っかー! 手札一枚しか持ってないのかー!」
「うっさいわね! その手札一枚に負けたくせに!」
「ぐっ、お前相手じゃなきゃ勝ってたんだよ! 増幅器五個も使ったってのに……!」
「はっ! そういう負け惜しみを、日本じゃあ負け犬の遠吠えって言うのよ。一つ賢くなったわね、わんちゃん?」
「ぐぎぎ……!」
「こらこら、二人ともその辺にしなさい」
現実は無情だ。いくらイスカが煽ったところで、既に格付けは済んでいる。敗者が勝者に敵う道理はなかった。
見かねた柳が嗜めて、脱線した話はようやく元の軌道に戻る。
「……まあ、不器用陰陽師は置いておいて」
「あ゛!?」
「こら!」
……軌道に戻る。
「普通の陰陽師や巫女は何ができるんですか?」
「陰陽師は、式神という……動物みたいなものを使役して戦うことが多いね」
「聞いたことはありますね。使い魔や使役獣に近いとか」
「僕もその二つは実際どんなものなのか知らないけれど、創作で見るようなものと近いなら、その認識で合っていると思うよ」
言いながら、柳は懐から一枚の紙札を取り出した。そして柳から立ち昇った仄かな力に、イスカが身構えるのと同時、紙札がめきめきと変形していく。
「"狛犬"」
最後の詠唱により、紙札に宿る力は規定された。
それは、社を守護する神の遣い。邪気を祓い、妖の喉を喰い破る神獣である。
と、大層な御託を並べてはみたが。
「……ポメラニアン?」
「見た目はある程度好きにできるからね」
現れたのは、ふさふさの柔らかい毛皮に身を包んだ、可愛らしい毛玉だった。
サイズも片手で抱えられる程度で、狛犬というには似つかわしくなく、威厳も迫力も微塵も感じない。
「これが、式神?」
「この子は戦闘用じゃないのよ」
「そう、儀式の手伝いが主な仕事だよ」
頭を撫でられ、ぱたぱたと尻尾を振り、舌を出して息をする。どう見てもただの犬にしか見えないこれに、どのような手伝いができるのか、イスカには見当もつかなかった。
「……まあ、式神がどんなものかは分かりました」
どちらかと言うと、謎が増えたような気がしないでもないが、使い魔に近いものであるのは確かなようだ。
「では、巫女は?」
「巫女は儀式、というより戦闘以外が主な仕事だね。龍脈を整えたり、陰陽師の負傷の治療、目撃者の記憶処理、邪気祓い、その他色々の書類処理や雑務。イスカ君は得意かもしれないね」
「治療はあまり得意じゃありませんけどね」
「できないとは言わないんだ……」
思っていたよりも器用に色々なことをこなせるらしいイスカに、美琴は複雑そうな表情をしている。
「僕は一応陰陽師だけど、巫女としての仕事もできる。もちろん、本職の巫女さんたちには敵わないけれどね」
「ふむ……ありがとうございます。ではそろそろ、ソラノさんについての話をしましょうか」
そしてイスカは、現在の空野茜を取り巻く状態について、柳に説明した。
「……ははあ、占い、並行世界ねえ……」
「何か、有効な儀式とかありますか?」
「うーん、聞く限りでは難しいかな。厄祓いの儀式はできるけど、何かに憑かれているわけでもないし……」
「本質的には正常な状態と何も変わりませんからね」
「そこが厄介だね。未来が確定する呪い、とかならまだ対処できるけど……」
頭を抱える柳を横目に、美琴が質問する。
「占いの取り消しとかはできないの?」
「難しい、というか無理。それができるなら占いの意味がないし、強いて言うなら引き直しだそれだ」
「そうよね……っていうか、改めて聞いて思ったんだけど」
「何だよ」
「本当に不幸を回避させられるの? 不幸にならない未来は消えちゃったんでしょう?」
イスカの占いは、未来を剪定する。であれば、既に四度剪定された茜の未来には、もう不幸以外の未来は残っていないのではないか。というのが、美琴の考えである。
「良い着眼点だけど、それは心配ない」
「何でよ」
「俺の占い如きじゃあ、未来を確定させることなんかできないんだよ。四度占ったなら、四度占ったからこその未来が生まれる。それこそ、不幸を阻止する未来だってな」
未来の可能性は無限大、ということは決してないが、人間に数えられる範囲を大幅に超えているのは確かだ。
一つの選択、一つのボタンの掛け違いで運命は分岐していく。もしもそれを確定させる力があったなら、それは正しく奇跡の類だ。
「とはいえ、未来が不幸に絞られてるのは確かだからな。失敗まで含めて運命付けられてる可能性はゼロじゃない」
「うーん……不幸が妖との遭遇とかなら楽なんだけど」
「アヤカシ?」
「昨日戦ったやつよ。あの餓鬼、妖怪とも呼ぶけど」
「あぁ、あの悪魔モドキな。こっちだとそう呼ぶのか」
「あれなら霊砲撃つだけで片付くのになあ」
かなりの脳筋思考ではある。しかし彼女にとっては茜を一日尾行するより、鬼たちに囲まれる方がずっと楽なのだ。
男二人は呆れて半笑いだが、事実なのでどうしようもない。
「妖の相手が楽かはさておき、実際不幸の種類が分からないというのは困りものだね」
「そう、ですね…………いえ」
ほんの思いつき。しかし。
「逆に利用できるかもしれません」
「え?」
試してみる価値はあるだろう。
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