第6話 信用、信頼
昼休み。
がらりと扉を開き、美琴がやって来たのは例の空き教室だった。部屋の中を見渡せば、既に先客が美琴のことを待ち構えていた。
「遅いぞ」
「ごめん、茜を誤魔化すのに手間取った」
「はあ……で、何だよ」
イスカが気怠げに要件を訊ねた。
「まず、今朝の占い。あれマジ?」
「んー、八割くらいはマジだな。あのタロット、弱いけど術は込められてるから」
薄らと期待していた仕込みの可能性は一瞬で潰えた。とはいえ、こればかりは仕方がない。イスカにそんなことをする利点はないのだから。
「……あの子に何が起こるか、分かる?」
「……分からない。元々タロットは、どうとでも解釈できるのが利点で欠点だ。正確な予知や予言は奇跡の領分だからな。起こることの方向性を知るだけ、おまけに正確性まで捨ててるから俺でも使えるんだよ」
「つっかえないわね」
「何か起こることが分かっただけでも感謝して欲しいんだが?」
正論であった。しかし、正論で納得できるなら、人類が争うことなどないだろう。
「それでも……予想くらいはできないの?」
「……難しいな。あそこまでカードがバラけると、絞るのはまず無理だ。それこそ、事故、病気、身内の不幸もあり得るし、何かの災害、あるいはペットとのお別れなんてのも考えられる」
挙げられたのは、確かに不幸の数々だ。
だが、不幸であるという以上の共通点がない。つまりは、人が想像し得る、あるいは想像すらし得ない不幸であっても起こる可能性があるのだろう。
「……分かった。じゃあ要件二つ目。アンタの短剣だけど、お父さんには話を通してるから、一人で神社に受け取りに行って」
「お前はどうするんだ?」
「私は茜と一緒にいる。災害や病気は無理だけど、事故なら守れる」
「……正気か? 不幸があるのは確実でも、今日明日とは限らないぞ」
占ったのは直近の運勢。
直近、という言葉が指す期間に明確な定義はない。というより、明確に時期を決めて占うのは、イスカには難しいのだ。故に、占いの結果が実現するのは今週中かもしれないし、今月中かもしれない。もしかすれば、今年中という可能性もあるだろう。
「それでも」
見過ごすという選択肢は、美琴にはない。
友人よりも龍脈を優先する、そう言った時よりもずっと真剣そうな美琴に、イスカは目を細めた。それから少しだけ考え込み、ゆっくりと口を開く。
「……分かった」
「そう、じゃあ」
「俺も手伝おう」
「……は?」
美琴はぽかんと口を開けた。
「一応、俺にも占った責任があるからな」
「え、いや、そんなことないと思うけど」
「ある。それに、これ以上的中させたら神秘の隠匿に差し支えがあるかもしれない」
「それは本当にそうだけれども」
そもそも何故占いなどやっていたのか、という話ではある。
「タロットを鞄に入れっぱなしにしててな。うっかり見られたから占いが得意で押し切った」
「間抜けすぎる」
「それはともかく! 昨日も言っただろ? 役に立つってさ」
すっと、いつぞやのように、イスカが手を差し伸べた。
あの時は、無視して帰った友好の証。
彼への信用は、特段増えてはいない。
昨晩助けられたのは事実で、巻き込まれた岩永の記憶処理も請け負ってくれ、見事に果たしてくれた。
だがそれでも、人質を取られたという事実は、美琴にとってはあまりにも重い。龍脈を諦めたということも絶対にないだろう。
イスカ・デカルトは、未だ敵のままだ。
「……一つ、聞かせて」
「何だ?」
「昨日のスーツの人、岩永さんっていうんだけど。どうして山に入ったか知ってる?」
訊ねたのは、小さな疑問。誰かを呪った、否、呪おうとした男のことだった。
「……何だよ、急に」
「いいから、答えて」
「……あぁ、知ってるよ。こっちだと類感呪術がメジャーなんだな。素人にしては、場所の選定も含めて悪くはなかった」
類感呪術とは、類似したもの同士は互いに影響を受け合うという神秘法則に従った呪いのことだ。イスカが言っているのは、俗に丑の刻参りと呼ばれるそれだろう。
「記憶の処理、具体的にどうやったの」
「どうやったって……」
「どんな風に処理したの」
「……まず、晩の記憶を曖昧にして、経験記憶から切り離した。完全に消すのは難しいし、それだとふとした拍子に思い出すことがあるからな」
「それで?」
「それで、と言われてもな……」
まだ、美琴にとって肝心な部分が聞けていない。
「悪意には、触れなかったの?」
「……あぁ、そういう……また呪いに来られても面倒だろうから、呪詛の優先度を下げた……というよりは、他の優先度を上げた。具体的には、三大欲求とかその辺の」
「消したりはしなかったの?」
「だから、完全に消すのは難しいんだよ」
うんざりしたように、イスカは溜息を吐いた。そして美琴から目を逸らし、小さく呟いた。
「それに、他人の感情なんて、人が触って良いものじゃないだろ」
記憶に触っておいて言えた台詞でもないけどな、とイスカは自嘲するように笑った。
さて、果たしてイスカ・デカルトは信用できるのだろうか。
分類としては、やはり敵のままだ。彼が龍脈を諦めない限り、このカテゴライズが変動することはないだろう。
しかし翻って、敵の敵は味方というように、あるいは敵であっても、共に戦うことは不可能ではない。いずれ雌雄を決することになるとしても、それは今ではないのだから。
故に、論点はただ一点。
彼が背中を預けるに足る人間なのか否かである。
「…………」
美琴が彼について知っていることは多くない。それどころか、殆ど知らないと言っても良いだろう。龍脈を求める理由も、その正義も。
龍脈を狙い、美琴を初対面で殺しに来た、人質を取る卑劣な術師。
一方で、敵である美琴を手助けし、感情に触れることを憂い、何ということのない占いの結果に責任を持つ義理堅さ。
人にはいくつもの側面があるものだが、その中でも彼は飛び切りだ。
信用できるかなど、分かったものではない。
それでも。
「んっ」
すっと、美琴から手を差し伸べた。話している間に、彼の手は下げられてしまっていたから。
「……良いのか? 迷っていたみたいだが」
遅れて差し出されたイスカの右手が、美琴の手を握った。
「悪ければ、手なんて差し出さないわ」
いつかとは違う、それは確かに、契約ではない関係が結ばれた証だった。
信用できるかは分からない。
しかし、そもそも信用、信頼とは一朝一夕で作るものではない。そう在れたなら最善だが、相手が普通の友人でもそれは難しい。
初対面が最悪だったとしても、どんな目的を持っていたとしても、お互いに利用し合い、知っていくのが人間関係なのだから。
「今度こそ、よろしく頼むよ。カンナリさん?」
「……美琴で良いわよ」
「そっか。なら、よろしく。ミコト」
「よろしく。イスカ」
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