第5話 タロット占い
イスカの言っていた通り、スーツ姿の男――岩永は早朝に目覚めた。
「では、昨晩の記憶は?」
「それが、思い出せないんです……確か、山に入ったところまでは覚えているんですが」
不思議そうに首を傾げる岩永。しかし、記憶があやふやだというのに、彼に悲壮感のような感情は見受けられなかった。
「そうですか……私たちは、昨晩貴方が倒れていたのを見つけただけですので、何があったかは分かりません」
「そう、ですよね。いえ、助けてくださってありがとうございました。それに、朝食までご馳走になって」
「いえいえ、困った時はお互い様ですから。もし気が咎めるようなら、また時間がある時にでもお参りに来てください」
にこにこと、美琴の父――柳は微笑んだ。
ちなみに昨晩の警邏が美琴の当番だったため、今朝の朝食はぐっすり眠った柳が用意した。もりもりと美味しそうに白米を頬張る岩永に、柳は大層御機嫌である。まあ、機嫌に関しては、巫女を呼ぶ費用が浮いたことも大きく影響しているのだろうが。
そうして、朝食を済ませた頃には、美琴は学校に行かねばならない時間になっていた。
岩永は休みを取っていたそうだが、家は少々遠いらしく、同じ時間に家を出ることになった。というより、記憶処理の施術主が信用できないため、せめて駅までは送るべきだと思ったのだ。
駅までの道すがら、二人は軽く雑談をしていた。決して仲が良いわけではないため、ぽつぽつと途切れ途切れではあるが、時間を潰すにはそれでも充分だった。
「そういえば、昨日はどうして山に入ったんですか?」
そんな雑談の中、美琴がふと問い掛けた。
「あぁ、まだ美琴さんには話してませんでしたっけ」
「父には話したんですか?」
「えぇ。そういえば、美琴さんはまだ寝ていましたね」
岩永は一人頷いた。
「あまり、お嬢さんに話すようなことではないんですが……」
「気にしなくても良いですよ」
「……実は、その、呪いたい人がいまして」
呪い。呪詛。呪術。
取り立てて珍しいものでもないだろう。日本においては、古来よりありふれたものだ。
「……まあ、珍しい話でもないですよ」
「そう、なんですか?」
「あの山の木にも、年に何度かは藁人形が打ち付けられますからね。その度に父がボヤきながら供養しています」
素質のない素人の呪いで実害が出ることは滅多にないが、あの山は龍脈に近いこともあり、放っておくとそれこそ妙な呪いが発生しかねないのだ。
「それは……申し訳ありません」
「実行していないなら別に気にしなくても良いですよ。今後もできれば止めてください」
「えぇ、それは……はい」
直感的に、嘘は吐いていないと思った。
反応、表情から読み取れる情報は多い。だからといって嘘を確実に見抜くことなど出来はしないが、美琴の勘は昔からよく当たる。
「やけに素直ですね」
「えぇ……?」
「いや、すみません。前にもそういう人と話したんですが、中々諦めが悪かったもので」
「あぁ、なるほど。確かに、気持ちは分かります」
人を呪おうとしていたとは思えない程に、岩永は落ち着いていた。
まるで、憑き物が落ちたように。
「私も、昨日そう言われていたら、きっと諦めませんでしたよ」
「……理由を訊いても?」
「すみません、理由は分からないんです」
「分からない?」
「えぇ、今朝起きると、なんて言うのかな……」
岩永はじっと空を見上げた。そして、慎重に言葉を選び、語り始める。
「今も、あいつのことは嫌いなんです。憎いって感情も残ってる。でも、呪ったり、殺したいとは思わないんです」
「それは……何故?」
「呪うよりも、他のことがしたくなったというか……例えば、お腹いっぱいご飯を食べたり」
言いながら、岩永は腹をさすった。あの中には、たらふく詰め込んだ米と卵焼き、それから味噌汁が詰まっている。
「どうでも良くなったわけではないし、もしも今ここにあいつが今すぐ死ぬボタンがあれば、私は躊躇いなく押します。でも、わざわざ藁人形に釘を打ち突ける程ではなくなった……みたいな」
「……よく分かりませんね」
「そうですか……そうでしょうね。私にもよく分かりませんから」
そう苦笑して、岩永は駅の中へと消えていった。それを見送り、美琴は学校へと向かう。
朗らか、というより、穏やかな人物だった。あのような人物が誰かを呪うものなのか。人は見かけによらないと言うが、今までに見た誰かを呪おうとする者は、決まってどこかが穢れていた。
物理的にではなく、印象として。
昨晩は、結局会話を試みることもなく気絶させたから、確かめることはできなかったが、話してみればあんな風だったのだろうか。
『ん? あー……まあ、いいか』
あるいは、彼なら何か知っているかもしれない。
岩永の記憶に触れた彼ならば。
◆
「おはよー」
がらりと戸を引き、教室に入る。
すると、美琴の席の周り、より具体的には、イスカの席の周りに人集りができていた。
いくらセンセーショナルな外国人転校生といえども、数日も経てばそれなりに落ち着くものである。実際、昨日はこのようなことにはなっていなかった。ということは、まさかイスカが問題でも起こしたのだろうか。
「いやいや」
いくらアレでもそこまで迂闊ではあるまい。
しかし、術師であり外国人でもあるイスカは、日本の学生の常識を知らない可能性も大いにある。日本語は下手な日本人よりも流暢に話すイスカだが、常識までもを完全に理解しているわけではないだろう。
急激に(周囲が)心配になってきた美琴は、いそいそと自分の席に近付いた。そして鞄を置き、然したる意味もないのにこっそりと聞き耳を立てる。
「へー、すごい! イスカ君って占いができるんだ!」
「占い、といってもタロットを引かせるだけですよ。カードの意味さえ覚えれば、ソラノさんにも簡単にできます」
「えぇ、ホント? でも私はそういうの苦手だからなあ」
なんか……友人が宿敵に対してデレていた。
集っていたクラスメイト達をしっしと追い払い、美琴は友人の空野茜へと話しかけた。
「茜」
「あっ、美琴じゃん。おはよ」
「おはよう。で、何してるの?」
会話は聞こえていたが、細かい内容までは分からない。それに、盗み聞きしていたと思われては困る。
「あのね、イスカ君が占いしてくれるんだって!」
「占い」
「そう! しかも当たるの!」
「当たるって……もう誰か占ってもらったの?」
占いとは、基本的に未来を視るものだろう。
評判が出回っているということは、既に誰か占ってもらったということだろうか。
「男子が告白成功するか占ってもらったらしいよ」
「二分の一じゃん」
「いやいや、望み薄だったから五パーもなかったって」
その程度の関係値だった相手の告白が成功した、というわけだ。普通ならただの偶然で片付けるところだが、占った者がイスカであれば話が変わる。まさか、妙な術を使って無理やり成功させたのではないか、と。
「……何ですか? カンナリさん」
胡乱な眼差しを向ける美琴に、猫を被ったイスカが問い掛けた。
「いやあ、別に? すごいんだなあ、って、思っただけ」
「ふふっ、いえいえ、所詮はタネも仕掛けもない占いですから。彼が魅力的な人間だった、というだけですよ」
「あははっ! イスカ君って結構気障なんだね」
ほんの少し空気がピリついたが、茜は気付かない。
「確かに気障よね。そっちの人ってみんなそうなの?」
「みんな、ということはありませんが、概ねこんなものだと思いますよ。人を褒めて悪いことはないですからね」
「そうね。けれど、日本には嫌味って言葉があるから気を付けた方が良いわ。素直に褒めても皮肉に受け取られちゃうかもしれないもの」
「それはそれは……確か、肝に銘じておく、というんでしたか? 親切で優しい貴女の言葉です。気を付けておくことにしましょう」
表面上はニコニコとしたやり取りである。
この二人の関係を知る者が彼ら以外にはいない都合上、表面以上の意味を悟られることはなかった。
「二人とも、仲良いね」
「それはもう、校舎を案内していただきましたから」
「そうね。みんなより話した時間が長い分だけだけど」
「おー、息ぴったり。嫉妬しちゃうから私も仲間に入れてよ」
「もちろん構いませんよ。では、お近付きの印に占ってみますか?」
どこからともなく大ぶりのカードを取り出し、イスカはにこりと微笑んだ。
「いいの? 順番待ちしてたのに」
「カンナリさんがみんな追い払ってしまいましたし、ホームルームまではもう少し時間があります。それに、占う相手を決める権利を手放した覚えはありませんから」
「……それならお言葉に甘えようかな」
美琴の席の椅子を移動させ、茜はイスカの正面に座った。
「さて、何を占いましょうか」
「えと、うーん……よく分からないし、取り敢えずお任せで!」
「では、直近の運勢でも占ってみますか」
手慣れた様子でカードを切ったイスカは、よく混ざったであろう山札を茜の前にずらりと並べた。
「好きなカードを引いてください」
「……ねえ、やっぱりやめた方が良いんじゃない?」
「何急に」
「いやほら、何か健康とかに悪そうだし」
「誰のタロットが呪いのカードですか。人聞きの悪いことを言わないでください」
「そうそう、占いにやられる程度の私じゃないよ! はいドロー!」
「あっ」
勢いよく、茜はどこぞのアニメの主人公のようにカードを引いた。そしてカードを傷付けぬよう、そっと優しく、イスカと美琴に見えるように机の上に置いた。
カードに描かれていたのは……塔から落ちる人間だろうか。塔自体にも雷が落ちてきている。
「何これ」
「十六番、塔の正位置ですね」
「どう見ても縁起悪そうな絵なんだけど、意味は?」
「ざっくり並べると、破滅、災難、悲劇、災害ですね」
つらつらと並べられたのは、どう解釈しても不幸の予兆としか読み取れない熟語たちだった。
「へ、へえ……そ、それで運勢はどうなのかな」
「声震えてるわよ。あと聞くまでもないと思うわ」
「解釈次第ではありますが、まあ近々悪いことが起きるという意味で間違いないと思いますよ」
当たると評判の死刑宣告に、茜は頭を抱えた。
「……まあほら、所詮は占いでしょう? 気にしない方が良いわよ」
「そうですよ。占っておいて言うのも何ですが、二十二分の一で引くカードでしかありませんから」
「…………いや、私は諦めない。チェンジ、引き直しを要求する」
勝負所を決めたギャンブラーの如き真剣な眼差しだった。
「引き直しって……良いの?」
「……個人的にはあまりオススメしませんが、別に禁止ではないですね」
「おみくじ引き直すみたいなもんでしょ。前に美琴が良いって言ってたじゃん」
「儲かるからね」
「神社の人間の発言としてはどうかと思いますよ、それ」
ともあれ、どうやら引き下がる気がないらしい。溜息を一つ吐いて、イスカは塔のカードを山札に戻して、再びカードを切った。
「はい、どうぞ」
「よーし……これ! ドロー!」
今度は勢いのままに、カードが机に叩きつけられた。
イスカと共に美琴もカードを確認してみる。描かれていたのは、甲冑を着た骸骨のようだ。今度もあまり縁起が良さそうには見えない。
「これは?」
「十三番、死神の正位置ですね」
「何となく分かるけど、意味は?」
「破滅、終末、停止、死の予兆ってところですね」
「チェンジだよチェンジ」
再びイスカがカードを混ぜた。
「これ!」
「十番、運命の輪の逆位置ですね」
「意味は?」
「アクシデント、急激な悪化、不運ですね」
再び茜がカードを引いた。
「今度こそ!」
「十二番、吊るされた男の逆位置ですね」
「意味は?」
「報われない苦労や努力、徒労ですね」
あんまりにもあんまりな結果に、三人の間で沈黙が流れる。
たかだか二十二分の一、逆位置を含めても四十四分の一とはいえ、ここまで悪い意味のカードが続くのは少し異常だ。
「え、私死ぬ?」
「流石にそんなことはないと思いますが……車には気を付けた方が良いかもしれません」
「そういうレベルの話なの、これ」
「一応、お守りを渡しておきましょうか」
ごそごそと鞄を漁り、イスカが取り出したのは、小ぶりの水晶に紐が取り付けられたアクセサリーだった。
「どうぞ、気休めですが」
「え、いや、いいよ。高そうだし」
「そんな大層な物じゃありませんよ。手作りなので効果は保証できませんし」
「折角だし貰っとけば? あとついでに家でお祓いしてく?」
「ねえちょっと待って。本当に不安になってきたんだけど」
二人の真剣な対応に、茜は本格的に心配になってきたようだ。ほぼ半泣き状態の友人には申し訳ないが、美琴としてはこれでも足りないと思う。占いの精度がどうであれ、不吉な予感というのは結実しやすい。増して、イスカが使うタロットカードに何の術も込もっていないとは考えにくい。
更には、イスカ自身も態々お守りを渡しているのだ。あのお守りに込められたものについては、他人の力に鈍い美琴には、邪なものではないということ以上は分からない。
ただ、強力なものであれば流石に察せられるため、言葉通り大層なものではないのだろう。
「はっ、くだらねえ。たかが占いだろ? 何マジになってんだよ」
他に手早くできる対策はあるだろうか、と美琴が考えていると、追い払われたクラスメイトの一人が小馬鹿にするように笑った。
「まあ……肯定してはいけないような気もしますが、彼の言う通りだと思いますよ。思い詰めると、その通りになってしまうこともあります」
いわゆる、予言の自己成就というやつだろう。
根拠のない思い込みであっても、それを信じて行動することによって、実際にその予言がしてしまうことがある。
イスカがあっさりと肯定したためか、クラスメイトは鼻白んだように顔を背けた。オカルトに傾倒する転校生を揶揄うつもりだったのかもしれない。
「おーい、全員座れー。ホームルーム始めるぞー」
結局、担任の教師がやって来て、この話は終わった。
かに思われたが。
「ねえ」
「はい?」
「昼休み、あそこね」
「……はいよ」
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