第4話 霊砲とは

 イスカが辿り着いた先にいたのは、やはり美琴だった。

 そして相対しているのは、先程下した小鬼の数倍はあろうかという巨躯の鬼だ。


『……ん?』


 すぐに決着が着くだろうと思っていたが、どうやら美琴が攻めあぐねているらしい。それこそ、あの光線を適当に撃ち込むだけで然した苦労もせず倒せると思うのだが。


『あー、なるほど』


 美琴が抱えているのは、スーツ姿の男だった。どこから迷い込んできたのかは知らないが、荷物で両手が塞がれていれば、攻めあぐねるのも無理はない。というかむしろ、どうやってあの状態から巨鬼以外を処理したのだろうか。惜しいものを見逃したようだ。


『"止まれ"、"動くな"』


 まあ、これ以上見守る意味もあるまい。


『"十三番"』


 瞬間、まるで時間が止まったかのように、巨鬼の動きが停止した。


「っ!? アンタ……!」

「早く倒せ。五秒も止まらないぞ」

「あ!? う〜……霊砲!」


 スーツの男を片手で抱え直した美琴の手から光線が放たれる。放たれた光線は、巨鬼の上半身を貫き消し飛ばした。

 更に勢いは止まらず、光線は木々までをも貫いていく。しかし、光線が消し飛ばしたのは巨鬼の身体と、"十三番"の術式のみ。木々にも同じように触れてはいたが、幹や枝葉は何事もなかったかのように無事だ。


 そして何より、最も特筆すべきは光線が通った空間そのもの。異界として歪んでいた空間は、まるで異界の外のように正しい状態となっている。

 イスカが為した術では、ほんの一瞬歪みを正すのが精一杯だったというのに、こちらは中々戻る気配がない。歪みが正される際に発生した筈のエネルギーも暴発するようなことはなく、どこかへと消えてしまったようだ。


『ふぅん……』


 それを見て、あの夜の後に調べた予想は間違っていないのだろうと確信した。あの術の……いや、術と呼ぶのかすら分からないが、本質は術式の破戒ではないのだろう。


 莫大なエネルギーの放出。


 それも、龍脈の力で歪められた異界にすら打ち勝つほどの出力。

 それこそが、あの"霊砲"の本質だ。

 単純で何の捻りもない。術師によっては、力の無駄遣いだと嘲笑する者もいるだろう。実際、技術としては未熟どころか稚拙もいいところである。もしもイスカの実家で披露すれば、鼻で笑われるに違いない。


 しかし単純であるからこそ、あれを破るのは難しい。


 魔力、エネルギーを鉄に例えよう。

 通常の術式を錠前とすれば、イスカの使う魔術は針金である。強度の面では及ばずとも、使い方を間違えなければ鍵を開き、術式を解体することができる。あるいは、自分の好きな形で利用することも不可能ではない。


 対してあの"霊砲"は、例えるならば鉄塊だ。

 技巧を凝らした装飾や、特殊な機構や仕掛けは無く、ただただ純粋な質量。その前ではどんな錠前や針金だろうと差異はない。相手に破戒する気が無くとも、軽くぶつかっただけで壊れかねないし、破戒する気があるのなら、まとめて押し潰されて原型すらも残らないだろう。それこそ、身体が霊砲と同じ材質で構成された、今の巨鬼のように。


 同じ土俵、つまり神秘で競えば絶対に"霊砲"が勝つ。

 水鉄砲では流れ落ちる滝に抗えぬように。

 蟻が象には勝てぬように。

 小難しい理屈など欠片も必要はなく、熟れた林檎が地面に落ちるが如く当然の話なのだ。


 天敵。


 あらゆる術師にとって、これ程に暴力的で冒涜的な者もそうはいないだろう。術師たちが限られた鉄を用いて技巧を凝らし、我こそは、と質を比べる中で、一際大量の鉄を持っているというそれだけで一位を掻っ攫っていくのだ。ふざけんじゃねえ、という話である。

 更に言うなら、イスカは未だ"九番"の術式を起動している。何ならあの夜も起動していた。だと言うのに、美琴は当然のようにイスカの存在を看破した。恐らくは、鉄塊を放つ者もまた鉄塊のようなものなのだろう。"荊"や"炎"が効かなかったのも、理屈は同じだ。


『(これ、魔術でどうにかするより物理で暗殺した方が良いのでは?)』


 そんな発想が脳裏を過ぎる程度には、やってられない相手だ。いやはや、本当に契約して良かった。これを相手に四六時中警戒しなければならないとか、百年分の寿命も一年ばかりで擦り切れそうである。

 と、イスカが思考を明後日の方向に飛ばしていると、巨鬼の消失を見届けた美琴が、ズンズンとイスカの元に近づいて来た。


「よ、お疲れ」

「んっ、ぐっ……お疲れ様。あと、助けてくれてありがとう」


 意外だな、とイスカは思った。異界に入る前のやり取りからして、助力を素直に受け入れるタイプだとは思っていなかったのだ。とはいえ、これを口に出せばまたどうでもいい諍いが始まりそうだったので、イスカは口を噤んだ。


「気にしなくても良い。別に俺が何もしなくても、普通に倒せただろ?」

「まあ……そりゃあ、こういうのは初めてじゃないからね」


 そう言って、美琴はいつの間にやら地面に下ろしていたスーツの男に視線を動かした。それを追うように、イスカも男を見る。一瞬、生きているのかどうか分からなかったが、胸の辺りが上下しているので、死んだわけではないらしい。気を失っているのだろう。


「どこまで見られた?」

「さっきの鬼と、霊砲と私の顔」

「要は全部か」


 実に面倒なことである。神秘の秘匿は、イスカにとっても美琴にとっても重要だ。人間一人が言い触らしたところで高は知れているが、やはり何事もないに越したことはないのだから。


「普段はどうしてる? 初めてでもないだろ」

「んー……人によるけど、基本は誤魔化すか口止めしてさよなら、かな」

「甘すぎるだろ……こっちはそれが普通なのか?」

「……他所だと巫女……細かい儀式が得意な人に頼むことが多いかな。呼んだらお金掛かるし、記憶に干渉できるくらいの人は少ないけど」

「呼ばねえの?」

「うちは貧乏だから……」


 どことなく哀愁を漂わせる美琴から目を逸らし、イスカは男の近くにしゃがんだ。軽く様子を見てみるに、まだしばらくは起きそうにない。


「アンタ、どうする気?」


 後頭部に突きつけられるのは、彼女の指先だった。


「あの契約、相打ち覚悟なら撃てるのよ?」

「……心配しなくても、殺したりはしない」

「それなら良いけど、ね」


 両手を上げてそう弁明すれば、イスカの背筋を冷やす指先の感覚はどこかへ消えていった。


「取り敢えず、ここを出ようぜ」

「……そうね」


 スーツの男を担ぎ、イスカがそう提案すると、美琴は素直に頷いた。


「あっちに目印が……」

「霊砲!」


 指しておいたピンへ案内しようとしたその時、美琴が徐に霊砲を放った。空間を穿った光線は異界を貫き、異界と外の壁、境界そのものに穴を開けた。

 それは紛れもなく、異界の出口だった。


「ほら、行くわよ」

「…………ういっす」


 ピンの術式を解除して、イスカは美琴の後を追った。それ自体は、異界に入る前と同じ行為の筈なのに、何故か発生した何とも言えぬ惨めさを噛み締めながら。




 境界を潜るときには、独特の浮遊感がある。


 これは内から外、外から内のどちらでも変わらない。とはいえ、外から侵入した時には、大抵それ以外の環境変化に気を取られて気にならない程度のものではある。今回の場合でも、入ったときに数メートル落下しているのだから、多少の浮遊感は気にならなかった。


「っと」


 しかし外に出るとき、増して人を抱えていると、流石に気にせずにはいられなかった。


「……大丈夫?」


 ぐらりとバランスを崩しかけたイスカの背中を、平気そうな顔をした美琴が支えた。


「助かったよ。ありがとう」

「……別に、そっちの人が怪我したら困るだけだし」


 美琴はふいと顔を背けた。しかしその言葉に、イスカは軽く眉を顰める。


「転んでも怪我はさせなかったよ、失礼だな」

「……アンタってそういう感じなのね。まあ、良いけど」

「何がだ?」

「何でもない。それよりその人、どうするつもり?」

「あぁ、もう起こすか」


 スーツの男を降ろし、イスカが軽く身体を揺すると、男は何度かゆるく瞬きをして、意識を取り戻した。


「おはようございます」

「ぅあ、あ……お、おはよう、ございます」

「体調はいかがですか?」

「体調……? いえ、平気です」


 どうやら、まだ意識はハッキリしていないようだ。まあ、それならそれで都合が良い。美琴の顔を見て取り乱されたりしては面倒だ。


『"十八番"』


 イスカは右手で男の視界を覆い隠し、魔術を起動した。隠す必要はないのだが、こうした方が効きが良い。


「……何してるの?」

「巫女ってのと同じだよ。記憶を弄ってる」

「アンタ、そんなことできたの?」

「言ったろ? 役に立つって」


 男の頭が淡く光っている様子は何とも不気味だが、イスカの表情は真剣そのものだ。


 人の記憶、精神は脆い。


 施術の方法は術師によっても異なるが、少しでも誤れば容易く壊れてしまうことだけは共通している。技術はなくとも、美琴にもその知識はある。

 故に、邪魔だけはしないよう、そして邪魔が入らぬよう、美琴は細心の注意を払っていた。


「ん? あー……まあ、いいか」


 だが、この発言には流石に触れざるを得ない。


「ちょっと? 本当に大丈夫なの?」

「大丈夫だ、ミスったわけじゃない」

「ミスってないのに出てくる言葉としては不穏過ぎるんだけど」

「平気だって。廃人になったりはしないから」

「本当に待って?? 最低限のハードルがそれなのは聞いてないわよ???」

「人格も漂白してないし洗脳もしてない。大丈夫だから話しかけないでくれ。手元が狂う」


 そう言われれば、美琴には何も言えない。

 やはりコイツに任せたのは失敗だったのか、という後悔がじわじわと滲み始めた頃、スーツの男がぱたりと倒れた。


「ちょっと!?」

「問題ない、これで成功だ」

「倒れてるじゃない!」

「どうやっても頭に負担が掛かるから、終わった後は寝てもらった方が効率的なんだよ」


 落ち着いて眠っている様子ではあるが、精神の安否は眠った状態では判別できない。


「明日の朝には起きてるだろうから、適当に返してやれ」

「それは構わないけど……本当に大丈夫なんでしょうね」

「しつこいな……大丈夫だよ。それより」


 疑り深い美琴に辟易しつつ、イスカはがらりと話題を変えた。


「この異界はどうするんだ? 一日二日で消える規模じゃないぞ」

「あぁ、明日辺りに儀式して龍脈を整えるから大丈夫」


 何でもないことのように美琴は言った。そして、それは事実なのだろう。どうやら、少なくとも龍脈についてはイスカの古巣よりもずっと造詣が深いようだ。


「へえ……儀式で消せるのか。見学とかできるか?」

「……別に禁止とかはないけど、なんかヤダ」

「何でだよ」

「信用できないから駄目! それに儀式するのは私じゃなくてお父さんだから、放課後前には終わってるわよ」

「あ? お前がやらないのか」


 儀式、と一言で言っても、方法や形態、そして目的は無数にある。

 しかし一つの共通点として、魔力や霊力を大量に消費する。流石に霊砲クラスのエネルギーを要求されるようなことはまず無いが、龍脈に干渉するような大儀式であれば、近しい霊力を要求されることは充分に考えられた。

 少なくともイスカが調べた限り、美琴の父にそこまでの力はなかった。


「失態だな」

「は? 何が?」

「いや、自分に言っただけだから気にするな。今日はもう帰るから、そのスーツのこと頼んだ」

「え、は?」

「じゃ、そういうわけで」


 術式による強化を施した肉体で、イスカは走り去った。


「えぇ……」


 そこに、美琴とスーツの男を残して。

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