第3話 異界
イスカが侵入を選んだ理由は実にシンプルである。
一つは龍脈を用いることで叶えられる、自身の目的の為。そしてもう一つは、ここに美琴がいるからだ。
『っと』
侵入直後、ほんの数メートルではあるが落下した。受け身を取って着地し、侵入する直前に行った確認をもう一度行う。
『ピンの感度は良好。魔力は異常なし』
念の為に対物理、対神秘用の障壁を周囲に巡らせ、異界の様子を確認する。
『時間の割に明るい……色覚異常か?』
いや、身体に干渉されたような感覚はない。恐らくは、異界自体がそういう風になっているのだろう。生えている草木にも変化は見受けられない。空間自体は相当に広がっていそうだが、異界としては大人しい方だ。ピンの感覚から考えるに、帰るにもそれ程苦労はしないように思える。
これなら、美琴を追い掛けても問題はないだろう。
『アイツの気配は分かりやすい、し?』
イスカが一歩踏み出した瞬間、パリンという軽い音と同時に、対物理の障壁が砕け散った。
『っ! "九番"!』
反射的に起動したのは、己の気配を隠し、認識を阻害する魔術。既に攻撃を受けた現状では効果が薄いが、それでも敵手を把握する時間を稼ぐには充分だ。その場から距離を取り、イスカは周囲を見渡した。
『悪魔、か?』
そこにいたのは、子供のような背丈をした鬼だった。痩せ細った手足に対し、でっぷりと出た腹。漆黒の肌と額に生えた一本角。
美琴であれば餓鬼の類だと判断しただろうが、イスカは未だ日本の神秘について見知らぬことの方が多い。
故に、一先ずは自分の知る存在と近いモノだろうと仮定し、思考を整理する。
悪魔とは、澱んだ魔力から生まれる生命体である。
細かな特徴は個体によって異なるが、その姿は人の無意識から抽出された悪魔のイメージを模っていることが多く、近くにいる人間を襲う生態がある。異界に取り込まれた人間が帰ってこない原因の殆どはこれだ。
「――――?」
小鬼は魔術によって姿を隠したイスカを見失ったようだった。術式の効きから考えるに、あまり感知力や知能は高くないのだろう。
生み出した時間を無駄にせず、感知の術式を起動し、周囲を確認する。力の反応は目の前の小鬼と、遠くの方に幾つか感じられる。その中に一つだけ飛び抜けた反応があるが、これは間違いなく美琴だ。
どうやら囲まれているらしい。
『……まあ、アイツは大丈夫だろ』
この小鬼より余程強そうな反応もあるが、それでも大した強さではない。その程度で死ぬのなら、既にイスカが殺している。
さて、少なくとも伏兵の気配が無いのは確認できた。念の為に感知の術式は維持しておくが、この一体に集中して構わないだろう。
砕かれた障壁の残滓を編み直し、物理障壁を再展開。
一度破られはしたが、砕かれた時の感覚からして、一度受け止めるだけの緊急回避用なら問題ないと判断した。
「――――!」
『ちっ』
しかし、悠長に魔術を使い過ぎたらしい。
未だ"九番"は起動中だが、小鬼は確実にイスカを捉えている。言語化できぬ叫びと共に、か細い足腰にしては力強い踏み込みの小鬼が突進して来た。
『"歪み"、"発条"』
それに合わせて、イスカは魔術を起動した。
異界とは、前述の通り歪んだ空間だ。イスカでは、その歪みを正すことは叶わない。
しかし歪みに触れることはできる。押さえ付けられ縮んだバネのように、折れずに曲がった枝のように、歪んだ空間にもまた、元に戻ろうとする力が働いている。
イスカにできるのは、押さえ付ける頸木をほんの一瞬外すことだけ。
数秒どころか、刹那の間に頸木は戻る。歪みは正されることなく、異界は元の姿を保ち続けるだろう。だが、ほんの一瞬であっても、解き放たれるエネルギーは莫大だ。
『"
空間が戻る際に発生するエネルギーは、まとめて空気に叩き付けられる。その魔術によって齎されるのは、単なる強風だ。
『"収束せよ"』
故に、その風を収束させる。
魔術師にとって、ただそこにあるものを動かすのは簡単なことだ。莫大なエネルギーを含んでいようが、それは単なる空気である。無駄に木々を薙ぎ倒さぬよう、イスカは風の形を小鬼のみに直撃する空気砲へと変えた。
しかし、空気砲単体での殺傷力は高くない。そのまま小鬼に当てたところで、吹っ飛ばす以上の効果は得られないだろう。
とはいえ。
『充分だ』
瞬間、吹き荒れた風弾が小鬼を上空へと吹き飛ばした。
『"
次いで起動したのは、空気抵抗を消す魔術。
扱いの難しい術だが、あの小鬼は一度イスカの障壁に直接触れている。それはつまり、イスカの魔力との繋がりができたということだ。魔術の対象として指定するのは難しくない。
『悪魔は神秘でないと殺せないが……お前はどうかな?』
イスカが空を見上げれば、駆け上がる力を失った小鬼が、重力に引かれて落ちて来るのが見えた。何やら必死に手足を動かし藻搔いているようだが、空気との接触という最大の減速手段を失い、小鬼は無限に加速し続ける。
何かしらの神秘、術式を用いなければ、安全に着地することはできないだろう。
そして。
『普通に考えて、異界の大地は神秘みたいなもんか』
着弾による周囲への衝撃を障壁でやり過ごし、イスカは一つ頷いた。視線の先では、全身を押し潰された小鬼が、ゆっくりと光の粒子へと融けていっていた。
『アイツの光線と似てる。魔力……じゃあないな。けどまあ、本質的には似たようなものか』
霊力という言葉、概念は知らずとも、イスカは既にそれに辿り着いていた。
『あっちとこっちでエネルギーの規格、というよりは拡張子が違う……のか? 龍脈を使うなら、変換なりを考えないと駄目だな』
イスカは脳内のメモ帳に要調査の印を付けた。
『おっと、消える前にサンプルを取っておかないと』
光に融ける小鬼の指を拾い上げ、腰のポーチから取り出した試験管のような瓶へと収める。すると、光への変化はぴたりと止まり、指の半分程が光へと化けた不思議なオブジェの完成である。
今後、イスカの研究用サンプルとして、大いに役立ってくれることだろう。これだけでも、異界に入った甲斐があったというものだ。
『さて、アイツの方はどうなったのかな』
感知の術式に意識を向ける。
最も大きな反応は健在で、それ以外の反応は大きく数を減らしているようだ。残りはほんの数体、と思ったが今まさに二体の反応が消えたので、残りは一体だ。急がなければ、観戦する間もなく決着が着いてしまう。
"九番"の術式を起動し直し、イスカは反応のあった場所へと向かった。
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