第3話
うつせみの 人目を繁(しげ)み 石橋の
間近き君に 恋ひわたるかも
……この世間の人目が多いので、それをはばかって、ほんの近くにおられるあなたに、逢うこともなく恋いつづけている私です。
この歌は、現代の恋する若者に刺さりまくりな一首だと思う。みんな、人に知られないように隠して隠して、すぐ近くにいる好きな人と近づけずにいる、っていう経験あるんじゃないかな。
ちなみに、私がこの歌に共感したのは一昨年のバレンタインの経験があるから。
一昨年、人生で初めて本命チョコを作った。友チョコよりちょっと高価なチョコレートを使って、色もピンクとか多めにして。もちろん、気合と思いも多めにした。
「芽衣、チョコ持ってきた?」
「持ってきたよ」
「交換しよ!」
もちろん本命以外に友チョコもあって、部活の子とかクラスメートと交換して回った。気合が入ってる子のチョコは本当においしそうで、交換してるだけでも楽しい。
私の家と一真の家は近い。一旦家に帰ってからチョコを手渡しに行くのなんて簡単すぎるくらいに近い。でも、私は怖かった。私たちの家の周りは小学校のころからの知り合いがたくさんいて、そういう子たちに気づかれるのが怖かった。だから、結局、あんなに頑張って作った本命を、私は学校で、いかにも友チョコですって感じでほかの子たちのと一緒に渡してしまった。
「ほんとにいいの?」
「うん。中身違うし」
「そうだけど……」
チョコを一真に渡したとき、野乃花は不満そうだった。本命を作るって決めたときから応援してくれてて、個別で渡しに行くんだと思ってたから当然だよね。もちろん私だってそのつもりだったけど日和っちゃったんだからしかたない。でも、そのときの後悔は今もまだ私の中にある。
「ねえ! 家持って人ひどくない!?」
翌日、朝のホームルームが終わったあとで私が声をかけに行くと、野乃花はびっくりした顔で読んでいた本から顔を上げた。
「え?」
「だ、か、ら! 大伴家持って人サイテーだねって話」
「ごめん! なんか、芽衣がそんなちゃんと調べるって思わなくて、私ひどいこと言ったよね」
野乃花は突然頭を下げた。
「え?」
「ほら、昨日芽衣のこと、笠女郎と似てるって言ったでしょ?」
「うん」
私が頷くと、野乃花は悲しそうな顔をした。
「調べたならわかると思うんだけど、笠女郎って結構かわいそうな人でしょ?」
「あー、まあね」
「報われない恋なのに、芽衣と一緒にしちゃってごめんね」
相思はぬ 人を思ふは 大寺の
餓鬼の後方(しりへ)に 額(ぬか)つくごとし
……相思ってもくれない人を恋い慕うのは、何ともばかばかしいことで、大寺の餓鬼を後ろからひれ伏して拝むようなものです。
心ゆも 我は思はずき またさらに
我が故郷に 帰り来むとは
……心底、私は思ってもみませんでした。傷心を抱いて、空しくふたたび故郷に帰って来ようなどとは。
そう。この歌からもわかるように、結局、笠女郎は家持と結ばれないまま故郷に帰っちゃったみたい。笠女郎については万葉集に載っている二十九首以外には資料が何もなくて、その後どうなったのかは誰にもわからない。ただ、笠女郎の恋は報われなかったんだな、って少し悲しい気持ちになる。
そして、私が大伴家持のことをひどいと言った理由もここにある。こんなに熱烈なラブレターを二十九首も贈ってくれた笠女郎に、家持が返した歌はたったの二首。それも、そっけない歌だけだ。こんなのってないと思う。あんまりだ。でも、
「別にいいよ。読んでる分には恋愛小説みたいでおもしろいし、私がこうなるとも限らないしね」
「そっか」
「うん。野乃花の古典好きがちょっとだけわかったかも」
「ちょっとだけ?」
「うん。ちょっとだけ」
私の言葉に軽く頬を膨らませてから、野乃花は普通の顔に戻って聞いた。
「そういえば、芽衣、今年のバレンタインどうするの?」
「本命作る」
「お、リベンジ?」
「そういうこと。一昨年は惨敗したからね」
「いいね。応援しとく」
野乃花はにっこり笑った。私も笑い返す。今年こそはやってやるんだから!
「ありがと!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます