13 王都セリスとしばしの別れ
朝の陽光が射し込む部屋の窓。昨日の宴の余韻がすっかり醒めた今、僕はベッドに寝そべりながら、クロードさんから受けた警告の言葉が頭の中でぐるぐると回っていた。
『──きみ、このままのんびりと王都セリスで営業していたら、近いうちにきみの情報が王太子の耳に入るぞ』
『入ったところで何があるんです?』
『そうだな、例えば……本物の聖水を法外な値段で貴族どもに売りつける、そんな仕事が待っているな』
その言葉が、昨夜の賑やかな宴の時間の中で、どこか棘のように胸へと深く刺さっていた。
まっぴらごめんだった。一部の特権階級の人々だけを喜ばせるためにビアガーデンがあるわけじゃない。もっとたくさんの人にビアの美味しさを知ってもらう。そんな純粋な気持ちだけで始めたことだ。
まだ信じられないけれど、僕が聖男で、ビアが聖水なら、もっと今この瞬間、必要な人たちへ届けたい。
クロードさんの言うことはもっともだ。
別に大金を稼ぎたくて始めた仕事でもない。生活費なら充分に稼げているし、バイトのエっちゃんを雇う余裕すらある。王太子からもらった金貨三十枚は、ほとんど使わずに残してある。それこそ、王太子のせいで不利益を被った人たちに使ってあげるのが正しいだろう。
心配なのはユイカちゃんだ。僕を召喚するために巻き込まれた一般人というのが本当なら、とんでもない迷惑をかけている。
じゃあ、なんで召喚直後のときに、水晶玉はユイカちゃんの方に強く反応したんだろう?
「もしかして、僕の能力はまだ封印されしもので、完全体ではないとか……?」
年甲斐もなく厨二病なことを考えてみる。恥ずかし。
「しかしまあ、【ビアガーデン】にレベルアップ要素がついているなら、確かに完全体ではないんだよなあ……」
そもそも、ユイカちゃんが本当の【水の聖女】であることの可能性だってまだ充分にある。判断しようがないけれど。
そんな訳で、昨日の宴の席で、「跳ねる角兎亭」のご夫妻ログさんとアミナさんに、しばらく王都セリスを離れることを伝えた。
「なんだか、また息子を旅に出すみたいだよ」
と、ログさんは寂しげだった。
「いつでもどこでもこれを食べて元気を出すんだよ」
アミナさんからは、「角兎のスパイススープ」の秘伝レシピをいただいた。
いよいよ街を出ようとしたとき、あのおばあさん──カルロッタさんが現れた。なんと彼女は商人ギルド本部長のお母上だそうで、営業許可証となる盾を手渡してくれた。
「これがあれば、各地の支部に許可をいちいち取らなくても営業ができるわよぉ」
めっちゃ凄いものをもらってしまった。これ……とても高価なものでは? と思ってお金のことを訊いた。
「儲かってから払ってくれたらいいのよぉ。がっぽり稼いできな!」
カルロッタさんは愉快そうにカラカラと笑った。
◇
いよいよ、その時が来た。キッチンカー「マリン・スノー号」の運転席に座る。ちゃんと運転できるかどうかは事前確認しておいた。あと、この世界では知らないけれど、運転免許を取っておいてよかったな。
この「マリン・スノー号」は僕にしか運転できないようで、しかも僕が許可した人物しか同乗者になれない仕組みらしい。
「これ、勝手に動くんですか?」
エっちゃんが助手席で緑色の目をキラキラと輝かせている。
「僕が操縦……馬車で言う御者になるんだよ」
「馬という動力がなくても動くのか。便利なものだな」
後部座席で従魔・兼・護衛・兼・アルバイトのクロードさんがふんぞりかえっている。結局、未知の土地で旅する危険を考えて、このエリュシオ王国の案内人として優秀な彼を雇うはめになった。
「それでは、『マリン・スノー号』発進!!」
──はい、かっこいいエンジン音が一切しない。
なぜなら、僕の神聖力(魔力)で動くからだ。
こうして「マリン・スノー号」は王都セリスの街並みを背に、新しい街へと向かってひっそりとサイレントに走り出したのである──。
「──で、次の目的地はどこなんですか?」
エっちゃんは、「マリン・スノー号」にちゃっかり搭載されたチート機能──カーナビを見つめている。彼女の視線は、カーナビのマップ上に点々と記された街々に注がれていた。ここから次に目指す街は、僕たちが新たなビアガーデンを広めるための第一歩となる場所だ。
「フォルゲンという冒険者の街さ。山もあれば海もある。自然豊かな街だ」
後部座席からクロードさんが答えて、のんびりと落ち着いた声が車内に響く。
「港街! いいですね、山の幸も海の幸も楽しみです!」
エっちゃんは瞳を輝かせ、すでに現地の食事について考えているようだった。
「でも、冒険者の街ってことは、危険も多いってことですよね?」
少し不安そうにエっちゃんが僕を見つめる。
「大丈夫さ。クロードさんがいるから、特別に危険なことはないよ」
そう言って安心させたものの、実は少し緊張している。これから始まる新しい土地での営業は、未知数のチャレンジだ。車の窓から見える風景がゆっくりと変わり始める。
王都セリスを離れると、緑豊かな丘陵地帯が広がり、どこまでも続く青空と、大地とを分かつように連なる山々が目に飛び込んできた。
「クロードさん、フォルゲンってどんな街なのか、さらに詳しく教えてくださいませんか?」
エっちゃんがクロードさんにたずねる。
「フォルゲンは、冒険者たちが依頼に挑むための拠点となっている。市場では、山や海の産物が取引されるだけでなく、魔獣から得られた珍しい素材も売られているんだ。鍛冶屋や工房も数多くあって、武器や防具を新調する冒険者たちで常に賑わっている。まさに冒険者のための街だな。やんごとない人間も多い王都セリスとはまず違うから、気を引き締めろよ?」
クロードさんの言葉に、僕とエっちゃんは背筋を伸ばした。
「大丈夫ですよ、僕たちはビアガーデンを広めるために行くんですから。……でも、冒険者稼業もちょっと興味があるかも?」
「冒険者登録したらいい。安全な仕事ならいくらでもあるさ」
「本当ですか!?」
「そりゃあな。だが、危険な依頼を選べば、命のやり取りも覚悟しなければならない。気軽に飛び込むなよ」
クロードさんが冷静に釘を刺してくる。その口調は、どこか重々しいものがあった。エっちゃんもその雰囲気を感じ取ったのか「ふふ。やっぱり、私はお酒の方が似合いますかね」と笑ってみせるが、その声音はいつもより少し硬かった。
「クロードさん! もしよかったら、昔のお話を聞かせてもらえませんか?」
重い空気を打ち消したかったのだろう。エっちゃんが明るく声を弾ませた。が、一瞬の沈黙が車内を包む。クロードさんの過去は僕も片鱗を聞いただけだが。
「エスメラルダ嬢、覚悟しておけ。今から話すのは楽しいものじゃないぞ」
クロードさんが一つ、長く息をついた。
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