14 クロード・シュヴァルト

※前書き

今回は残酷表現・暴力表現にご注意ください。

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──クロードの人生は、あまりにも皮肉なことだが、悲劇の幕開けと共に大きく動き出したのである。

 

 彼がかつて過ごしていたのは、静かで緑豊かな田園。青々と茂る草原には小川が流れ、風が穏やかに木々を揺らし、せせらぎの心地よい音と共に鳥たちの囀りが響き渡る。


 彼の家は小さくとも、家族の笑顔で満たされ、どんな立派な城よりも彼にとっては誇らしい場所だった。母が焼くパンの香り、父が作る木製の玩具、そして家の外で近所の子供たちと走り回る楽しい日々。


 それが、クロードにとっての「世界」だった。しかし、運命は残酷だった。


 運命の歯車が狂い始めたのは、空が暗雲に覆われたあの日だった。


 突如として村の上空に現れたそれの姿は、まさに悪夢そのもの。漆黒の鱗が闇をまとい、目には紅連の炎が宿っていた。翼のない蛇のような身体の奇妙な竜。その巨体が天を遮り、ひとたび大気を切り裂けば、地面が震えるほどの暴風が巻き起こった。竜が吼えると、咆哮は雷鳴のごとく山々を揺るがし、村全体に戦慄が走った。


──邪竜だ。


 それから、地獄のような業火が天から降り注いだ。村は一瞬にして炎に包まれ、木造の家々は次々に焼け落ちた。クロードの家もその例外ではなかった。赤い炎が家を貫き、燃えさかる瓦礫の中で、クロードの両親は彼の目の前で命を奪われた。


 父は母を庇いながらも、その炎の海に呑まれて消えていった。クロードの足はその場に釘付けとなり、何もできない自分の無力さに打ちのめされながら、両親が焔の中から二度と戻ってこないことをただ理解するしかなかった。


 焼け焦げた大地の上に残されたのは、唯一生き延びたクロードだけだった。彼の目には涙も出なかった。ただ呆然と、燃え尽きた家と村を眺め、心の中にぽっかりと空いた大きな穴を感じていた。家族を、故郷を、一瞬で奪われた少年の魂は、深い絶望に沈んでいた。


 そんな彼を拾い上げたのは、エリュシオ王国の騎士団だった。しかし、それすらも決して救いではなかった。


 騎士団の訓練所で待っていたのは、貴族の子息たちの中でただ一人の平民であるクロードに対する冷たい嘲笑と偏見だった。訓練所の広間に入るたびに、貴族の子供たちからの蔑んだ視線が突き刺さり、耳には彼らの嫌味や侮辱が絶えず届いてきた。貴族たちが鍛錬の合間に笑い合って過ごす中、クロードに押し付けられるのは掃除や雑用。彼の手には、毎日のように木剣ではなく、モップやバケツが握られた。


 しかし、それよりも彼を苦しめたのは、夜に行われる暴力だった。訓練を終えた後、クロードは貴族の子供たちに呼び出され、理不尽な暴力を受ける日々が続いた。殴られ、蹴られ、彼の身体は新しい痣で覆われていった。痛みに歯を食いしばりながらも、クロードは決して泣かなかった。むしろその屈辱が、彼の中の何かを燃え上がらせていた。心の奥深くに宿った怒り、家族を奪った邪竜への復讐心──それらが、彼を生かし続けた。

 

 やがて、彼は孤独の中で剣を握り、真夜中にひっそりと鍛錬を重ねるようになった。疲れ果てても剣を手放さず、無心で振るい続けた。指の皮が剥け、血が滲んでも、彼は訓練をやめなかった。剣術、槍術、弓術、馬術、さらには魔法の修練まで、彼は全ての分野において並外れた執念を見せた。誰にも頼らず、誰にも負けたくないという強い意思が、彼の全てを突き動かすのだった。


 その結果、クロードは他の誰よりも強く、冷徹な戦士として成長した。次第に周囲の騎士たちも、彼を侮ることはなくなり、その実力は王国全体に知れ渡るようになった。だが、彼の胸にはいつまでも消えぬ怒りと悲しみが渦巻いていた。邪竜への復讐を果たす日だけを心の支えにし、彼はただその瞬間を待ち続けていた。


 そしてついに、その日が訪れた。邪竜が再び姿を現したとの報告が騎士団に届いたのだ。クロードの心は燃え上がった。今度こそ、家族の仇を討つときが来たのだ。彼は精鋭部隊を率い、険しい山道を進み、ついに邪竜が棲むという山頂に到達した。


 目の前にそびえ立つ邪竜は、以前見たものと変わらぬ巨大な姿で、まるで生ける災厄そのものだった。クロードの剣は邪竜の固い鱗に何度も弾かれ、部下たちは次々と負傷して斃れていった。戦況は絶望的であり、勝利への希望は消えかけていたが、クロードだけは諦めなかった。進んで殿しんがりとなり、負傷した仲間たちを逃がして、自らは単身で邪竜に立ち向かったのだ。


 邪竜の吐く炎が彼の周囲を焼き尽くす中、クロードは一瞬の隙を見つけた。邪竜の右目の周りに剥がれた鱗の隙間を。そこに、全てを賭けた一撃を放つ。剣の突き刺さる手応えを感じた瞬間、だが邪竜の牙が彼の腹部を貫いた。肉が裂け、血がしとどに溢れ出す。


 凄まじい激痛に襲われながらも、彼は剣を握り込む手を決して離さなかった。世界の一切が止まってしまったような、永遠にも感じられる時間が過ぎ去ったとき、ついに邪竜は崩れ落ち、息絶えた。


 その瞬間、クロードは勝利を確信したが、同時に自分の死が近づいていることがわかっていた。血に染まった彼の唇には、奇妙な安堵感からか、笑みが浮かんでいた。家族の仇を討ったという満足感だけが、彼の心を包んでいた。そうしてゆっくりと意識が闇の淵へ転落していった。


 次に目を覚ましたとき、クロードは何かが変わっていることに気づいた。彼の視界に映るのは邪竜の巨大な口。その口は人間の亡骸を咥えていた。その亡骸が自分であること、殺した邪竜が死の間際に放った呪いなのか、邪竜の身体へと自分の魂が宿ってしまったのだということを悟ったクロードは、呆然としながらもを吐き出し、その場に穴を掘って部下のものと共に埋めた。


 終わってしまうと、人間だった過去の全てという全てを捨て去り、どこかに飛び去って消えてしまおうという考えが胸によぎった。しかしながら、今もなお心配しているだろう仲間たちの顔が脳裏に浮かび、彼は人間の姿に戻ることを強く念じた。


 奇跡的に人間の姿を取り戻したクロードは、王国に帰還した。彼が得たのは、国王からの称賛、騎士団長の地位と貴族としての待遇、「シュヴァルト」という姓、そして生涯遊んで暮らそうとも使い切れぬほどの褒賞金だった。しかし、それと引き換えに彼は永遠の孤独と自ら望まぬ限り死のない運命を背負うこととなった。


 これから永遠に続くだろう生の中で、クロードは孤独を抱え、自らの心を偽りながら生き続ける運命を選んだのだった。


──まあ、結局のところ、生きているだけで儲けものなのである。

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