9 自分の酒量をわきまえることさ
王城前広場での営業が終わった頃、身体がまるで鉛でできたように重く感じる。最近、忙しいせいか、疲れが溜まっているのが明らかだ。
冷たいビアを提供するために毎日キッチンカーを出しては、終わる頃には全身が悲鳴を上げるようになっている。重たい足取りで、宿屋「跳ねる角兎亭」へと向かった。宿に戻ると、どうにか気力を振り絞り、自分の部屋のドアを開ける。ドアが軋む音が響くと同時に、全身から力が抜けていく感覚に襲われた。
ベッドに倒れ込むと、その瞬間、身体が完全に沈んでいくようだった。いつもの疲労とは違う、どこか不穏な感覚に包まれている。頭がぼんやりとしていて、思考すらまとまらない。……これは、一体どうしたことだろうか?
眠りの淵に落ちる直前、かすかに「無理をしすぎた」という言葉が頭に浮かんだ。しかし、その考えすらすぐにかき消され、深い眠りに引きずり込まれていった。
どれだけ時間が経ったのだろう。目を覚ますと、違和感に気づいた。視線を感じる。ぼんやりとした意識の中で目を擦り、視界をはっきりさせると、目の前に見慣れない姿があった。あのデレクさんの上司の人──彼が、部屋の中で僕を見下ろしていた。
「大丈夫か?」
彼が静かに声をかけてきた。その声は心配そうだった。
「え……あぁ……」
ぼんやりとした状態で、思わず声が出たが、喉が乾いて言葉にならない。口の中がカラカラだ。
「ほら、水だ」
彼が手渡してくれたグラスを受け取り、渇いた唇に水が触れる。喉を潤しながら、頭の中は混乱していた。なぜ彼がここにいるのか、そして、僕はなぜこんなに疲れているのか……。
「無茶をしたようだな。神聖力を使いすぎているんじゃないか?」
──「神聖力」?
僕はその言葉に反応し、首を傾げた。神聖力って何だ? そんなものを使っている意識は全くなかったけど……。確かに、何もないところからキッチンカーを召喚しているのは普通じゃない。けど、それが「神聖力」というものだとは思ってもみなかった。僕は知らず知らずのうちに消耗していたのか。
「正直なところ、このまま無理を続けると、神聖力を使い果たして命を落とすかもしれないぞ」
彼の言葉は頭に重く響く。命を落とす? そんな深刻な事態だったのか。僕は彼の顔をじっと見つめながら、恐る恐る問いかけた。
「神聖力って、具体的に何なんですか?」
その言葉には、自分でも知らない不安が混じっていた。この世界について知らないことが多すぎる。あの王太子、もう少し説明してくれてもよかったじゃないか。
「人間に有益な魔力を特別に区別して指す言葉だ。つまり、きみが持っている力のことだ。知らずに使っていたとは……少し驚きだな」
彼は一瞬呆れた様子を見せたが、すぐ真剣な顔つきに戻る。
「とにかく、このまま無理をしていれば、身体に取り返しのつかないダメージを負う。だが、解決策はある。──『従魔契約』だ」
「従魔契約?」
その言葉に、僕は警戒心を抱きつつも訊き返した。契約? 一体何をするんだ?
彼は少し息をつき、説明を始めた。
「簡単に言えば、俺が従魔としてきみと契約することで、きみの神聖力が安定し、力を制御できるようになる。そして、俺も自分の魔力の暴走を防ぐことができるようになる。一つの石で二羽の鳥を撃ち落とす、ということさ」
「……力の暴走?」
ますます混乱していた。彼がさらに説明を続ける。
「実は、俺はかつて邪竜と戦った。だが、その戦いで相討ちとなり、俺はすでに人間としては死んでいる。そして、邪竜の呪いによって、その
その話を聞いても、正直なところ実感が湧かない。ただ、彼が本気で話しているのは伝わってくる。彼の目には嘘偽りなどなかった。
「だから、俺の力は制御が難しい。……エールすら冷やせないくらいにな」
「突然、何を言い出すんですか?」
急に話が変わって、ついていけない。
「仮に俺がエールを冷やそうとすると、街全体が凍りつく」
なるほど。力の暴走というのは、そういうことなのか。
「でも、僕がその契約をして、本当に大丈夫なんですか?」
まだ不安は拭えなかった。そんな契約、うまくいくのだろうか?
「心配はいらない。俺が今まで街を凍らせずに済んでいるのは、ある程度の制御ができているからだ。ただ、きみと契約すれば、より確実にその力を抑えられる。そして、きみも神聖力を使いすぎることがなくなる」
その言葉には確信が感じられた。それもそうだが、このまま無理をし続ければ、自分の身体が持たないのも事実だ。
「……わかりました。やってみましょう」
僕は深い溜め息をつき、腹をくくった。
契約には特別な儀式が必要ないらしい。彼が従魔として契約する意思を固めた時点で、契約は成立するのだという。僕は心の中で彼との契約を受け入れた。
「そういえば、名前を聞いてませんでした」
僕はふと気づき、彼にたずねた。ずっと「デレクさんの上司」と呼んでいたが、ちゃんと名前を聞く機会がなかったからね。
「遅れてしまったが、クロードだ」
彼は穏やかに微笑み、手を差し出した。
「クロードさん、よろしくお願いします」
僕はその手をしっかりと握り返した。
すると、驚くほど身体が軽くなった。疲れが嘘のように消え失せ、逆に全身に力がみなぎってくる感覚すらある。
「どうだ、調子は?」
「悪くないです。……いや、むしろ最高かも」
僕は唇に笑みを浮かべながら答えた。クロードさんも満足したようにうなずいた。
「これで俺も魔力の制御が楽になる。街を凍らせる心配がなくなった」
「じゃあ、ちゃんとエールでも冷やしてみますか?」
僕が冗談めかして言うと、クロードさんはにやつきながらグラスを取った。
「今度はうまくやるさ」
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