8 王城前広場に現れた怖い人
灰白色の石畳が日差しに反射して少しばかり眩しい。王城前広場は、朝から多くの人々で活気を見せていた。王城の壮大な石壁と尖塔が広場の背後に
王城で働く職員たちがその忙しさを見せる一方で、陽光を受けて輝く美しい王城を見物しようと、集まる街の人々や観光客が広場に賑やかさを加えていた。
「マリン・スノー号」の設置場所は、広場の端の目立つ位置に決められていた。設置作業が終わり、商売の準備が整った後、まずは一息つく。周囲の喧騒を背に、空を見上げると、快晴の青が広がっている。
今日の空気はカラッとしており、風が心地よく吹き抜けていた。その青空と風が、心の中の不安を少しずつ洗い流していくように感じられ、自信が自然と湧き上がってきた。少しずつ集まってきた人々の姿が、商売を始めるための励みになる。
「さて、『ビアガーデン』王城前広場出張店、オープンじゃー!」
気持ちを引き締め、準備万端の「マリン・スノー号」の前に立ち、腹から声を出して呼びかける。
「いらっしゃいませ! 特別な『ビア』と、新メニューのグリルソーセージもご用意しています!」
声をかけると、初めは通り過ぎていく人々が少しずつ振り向き、メニューに目を向ける人が増えてきた。興味津々で近づいてくるお客さんたちの表情に、安心感が広がっていく。
「いやぁ、この日を楽しみに待ってたわよぉ」
まず現れたのは、喜色満面のおばあちゃん軍団だった。この前、公園でお水をサービスしたおばあさん──カルロッタさんが友人の方々と一緒に訪れてくれたのだ。おばあちゃんたちは、自分たちの好みを口々に話し始める。
「やっぱり私はビアよ!」
「それじゃ私はジンジャーエールにしようかねえ」
「シャンディガフっていうのを試してみようかしら?」
おばあちゃん軍団の宣伝効果は絶大で、あっという間に長蛇の列ができていった。人々が次々にやって来ては、興味深そうにメニューを眺めながら列を作っていく。
「お兄ちゃん、アップルジュースちょうだい!」
銅貨三枚をしっかりと握りしめてやってきたのは、公園で会った子供たちだった。
「はい、アップルジュースお待ちどう!」
もちろん、果汁100%のストレートジュースだ。
エリュシオ王国では冷涼な環境で育つリンゴが珍重されており、高級フルーツとして扱われている。日本で言う、高級マンゴーや高級メロンに相当する感覚らしい。これが銅貨三枚で手に入るというのは、実は少しお得すぎるかもしれない。しかも、ジュースの元手は聖女(笑)の力なので、実質タダである。
利益を追求しているわけではないけれど、無償で何かを提供することが他で商売する人たちに迷惑をかけることは理解しているので、代金はきちんといただくことにしていた。
◇
夕暮れが近づき、王城前広場は蜜色に染まっていった。広場の風景が徐々に変わり、王城の影が石畳に黒く長い影を落とし始める。忙しく行き交う人々の動きがより一層活発になっていた。
販売のかたわら、広場の片隅から人々の流れを見守っていると、デレクさんの姿が視界に入った。王都の騎士団員で、以前ビアを買ってくれた人だ。今日は仕事帰りなのか、軽やかな足取りでこちらに向かってきていた。
「スイ、出店してくれてありがとう。今日もビアを頼んでいいか?」
「もちろんです、デレクさん! はい、お疲れ様です」
軽く笑顔を浮かべながらビアを一杯注ぎ、デレクさんに手渡す。デレクさんは騎士らしく礼儀正しく受け取り、一口飲んで満足そうに微笑んだ。
「やっぱり、このビアは最高だな」
「ええ、デレクさんが出店を取り計らってくれたおかげですよ!」
「そりゃよかった! 広場での商売は慣れたか? 王城前ってだけで緊張するよな」
「少しだけですが。でも、ビアを楽しんでもらえるならそれだけで嬉しいです」
軽い雑談を交わしていると、ふとデレクさんの後ろに目立つ人物が現れた。その人物は他の人々よりも一段と背が高く、ミルクティーグレーの髪が夕陽に照らされて淡く煌めいていた。存在感が周囲の人混みの中でも際立っている。デレクさんもその人物に気づき、軽く頭を下げた。
「おっと、上司を待たせてしまったようだ。スイ、こっちの人もビアを欲しがっててな」
「上司?」
その上司さんがこちらに近づくと、冷ややかな青い目と右頬へと縦に走る鋭い傷跡が目に留まった。それとなく「ヤ」のつく怖そうな人を連想してしまう。圧倒的な存在感に、心の中で小さく身震いする。どう見ても怖い印象を受けたが、デレクさんの紹介だから悪い人ではないのだろう。上司さんの顔には疲れの色が浮かび、まるで戦いの後のような雰囲気を醸し出している。
「きみがこの『ビア』を売っているのか?」
よく通りそうな低い声だ。
「そうです。なんだかお疲れのようですね。冷たいビアをどうぞ」
手を震わせないように気をつけながらカウンター越しに冷たいビアを差し出すと、上司さんは黙って受け取り、少しだけ頭を下げた。パラソルの下に移動して一口飲んだ上司さんの表情が、厳めしいものから、ふっと柔らかく緩んだのが遠くから見えて、その変化に、ほっとした気持ちが広がった。
あれ……意外といい人かも?
ギャップに驚きつつも、上司さんがビアをじっくり味わっている姿は微笑ましく、意外に親しみやすさを感じる。しばらくすると、上司さんはまた律儀に列に並び直してくれた。その姿に、これまでの緊張が少し和らいだ気がする。
「これは、本当に……美味い。もう一杯、いいだろうか?」
「もちろんです、おかわりですね! グリルソーセージもありますが、一緒にいかがですか?」
「では、それもいただこう」
今度は少し落ち着いて注文を受け、ビアとソーセージを提供する。上司さんが豪快にソーセージをかぶりつく姿は、思っていたよりも親しみやすく、どこか安心させるものだった。
「……素晴らしい。これが毎日楽しめるなら、どれだけ救われるか」
「そう言っていただけると、こちらも嬉しいです。いつでもお越しください。お疲れの方には、すぐさま冷えたビアを提供いたしますから」
「ありがとう。同僚にも伝えておこう」
そう言って笑顔を見せる上司さんは、最初の印象とは違って、むしろ親切な人だと感じられる。
「お客様が満足してくださるなら、それが一番の喜びです。──どうぞ、『ビアガーデン』にまたお越しください」
ふと、この上司さんと友達になれるかもしれないと思ってしまうのは、気のせいだろうか。僕は他のお客さんに対応しながらも、上司さんの背中が広場の雑踏に溶け込んでいくまでを見届けるのだった。
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