6 商人ギルドの女帝カルロッタさんと聖水

 ここはエリュシオ王国商人ギルド「王都セリス本部」。


 広々とした建物の中は商人たちの慌ただしい足音で賑やかで、常に活気に満ちている。商談や取引の交渉が絶えず行われ、事務室の奥では今日も本部長ダニエルが日々の業務に追われていた。ダニエルは執務机に向かって山積みの書類を整理していたが、突然、古びた杖をついた一人のおばあさんが建物に入ってきた。


「ダニエル、いつもお疲れ様」


 その声に、ダニエルは驚きながらもすぐに笑顔を浮かべた。目の前の人物は他でもない、彼の母親であるカルロッタだ。


 彼女はこのセリス本部で最も尊敬される女帝のごとき存在で、白髪混じりの焦茶色の髪に、目元に皺は刻まれていても年齢を感じさせない鋭い瞳を持つ。商人ギルドの歴史と伝統を深く理解している彼女は、業界の中でも一目置かれる重要人物だった。


「おお、母さん。今日はどうしたんだ?」


 ダニエルは書類から目を離し、母親に向き直る。カルロッタはにこやかに息子に近づき、しばらくの間、まるで散歩をしているかのような落ち着いた表情で話を始めた。


「実はね、面白いことがあったのよぉ」


 カルロッタの声の調子は弾んでおり、その微笑みからも興奮が伝わってくる。ダニエルはますます興味を引かれ、椅子の角度を母親に向けるように調整し、耳を傾ける。


「面白いこと? 詳しく聞かせてくれ」


 ダニエルの質問に対して、カルロッタはうなずきながら話を続けた。


「あのねぇ、新しく商人ギルドに登録した異国の商人がいるのよ」


「異国の商人? どこの国から?」


 ダニエルは眉をひそめて疑問を口にする。カルロッタは首を横に振りながら語り始めた。


「さあ? わからないけれど、黒髪黒目の不思議な男の子よ。ギルドに登録しているのを見かけて、中央公園で出店したいって話を耳にしたものだから、散歩ついでに公園まで見に行ってみたの」


「そうか。それでどうだった?」


 ダニエルは興味津々で続きをうながす。カルロッタは話を続ける前に、目を細めて少しの間、思いに耽るような表情を見せた。


「お店は見たこともない屋台でね、なんと、鉄でできた馬車なのよぉ」


 年老いた母の目が楽しげに輝いているのを見て、ダニエルも興味深げに眉を跳ね上げた。


「鉄でできた馬車? ……それで、どんな商品を売っていたんだ?」


 カルロッタはさらに興奮しながら話を続けた。


「一番驚いたのは、氷みたいに冷えた水だったわ。しかも無料サービス!」


「無料で!?」


 ダニエルが驚愕の声を上げると、カルロッタは得意げに微笑んだ。


「その水、ただの水じゃないのよ。明らかに聖なる加護の付与された水──『聖水』だったわ」


 ダニエルは目を見開き、ますます驚きをあらわにした。


「聖水? それは珍しいな。聖なる加護がついているなんて、その商人は聖属性の魔導士なのか?」


 カルロッタはやや小首を傾げながら答えた。


「どうなのかしら。でもねぇ、実際に飲んだら驚くほどだったのよ」


「何が?」


「普通の水と違ってまろやかで、全身が軽くなったの。それに、急に杖を使わず歩けるようになったのよ」


 カルロッタは目を細めて話す。ダニエルは驚きのあまり、椅子に座りながら歓声を張り上げた。


「母さん、杖なしで歩けるようになったのか!?」


「そうなの。古傷の痛みもなくなって、まるで若返った気分よ」


「それは驚いた。じゃあ、その異国の新人に会いに行って、商品の詳細を聞いたり、仕入れたりするのはどうだ?」


 カルロッタは再びうなずき、にっこりと笑った。


「ええ、そうしようと思ってるわ。聖水の作成方法も気になるし、他の商品も見てみたい」


「いいアイデアだな。もしその新人が本当に聖なる加護の力を持っているなら、商人ギルドとしても協力できることがあるかもしれない」


「そうね。あと、あの子のお店にはお酒もあったわ。美味しそうだったから、次はそっちも試してみたいのよ」


 カルロッタは期待に満ちた顔で息子の考えに賛同した。


「酒も? ……どんな酒?」


 ダニエルはさらに関心を深める。


「あの子が言うには、『ビア』というエールに似た麦のお酒よ。暑いこの国にはぴったりだと思うわ」


 ダニエルは愉快そうに椅子を揺らし、満足そうにうなずいた


「面白そうだな。その新人と話してみるのもよさそうだ。もしかしたら、なにがしかのいい影響があるかもしれない」


「そうね。あの子がどれだけの力を持っているのかはわからないけれど、今のところ、その水が私にとんでもない影響を与えているのは間違いないわねぇ」


「了解した。また今後も何かあったら報告してくれ」


「はいよぉ」


 ダニエルとの会話を終えたカルロッタは、商人ギルドの建物を後にし、中央公園に向かうことにした。彼女の歩みは悠然としており、その目は決意と期待に満ちている。公園に到着すると、「鉄の馬車」の遠くにあるベンチに腰を下ろし、しばらくその様子を注意深く見守ることにした。


 公園には、楽しげな子供たちの声が響き、穏やかな日差しが降り注ぐ。広大な緑の空間には、くつろいだり、散歩を楽しんだりする人々が集っていた。その中で、カルロッタは鉄の馬車の周囲をじっと観察し、その商売の行方を楽しみにしているのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る