伊能忠敬界隈とかいうわけ分からん界隈に所属していたらしい俺が転生してしまい、女神に異世界の地図、作らされてます
芳乃しう
第1話 伊能忠敬界隈って何?
死んだ。それはそれはあっけなく死んでしまった。21歳、大学の四回生である。就活もせず勉強もせず講義にも出ずゼミから追放され、死ぬつもりで飲んだ度数96%の酒に酔って平衡感覚を失い、池に落ちて本当に死んでしまった。名前のない猫もびっくりである。
享年:21
死因:自殺
未練はない。未来なんぞ見えてなかったしこれぐらいに死ぬのがちょうどよかったんだろう。っと、別に死ぬ事を軽々しく思ってるわけでもないし推奨してるわけでもないからそれだけは覚えておいてくれ。誰かが生きているから世界は美しいんだ。それに残された者の悲しみっていうのもあるからな。俺はたまたま天涯孤独で悲しむような相手もいなかったってだけだからさ。
「それは……ふわぁ……違います」
何だか眠たそうな声が聞こえてきた。そういう置物だと思っていたがどうやら違うらしい。
「何が違うんだよ」
真っ白な空間に俺はいた。あぐらをかいて座る俺の前に立っていたそれは、女神だった。女神。そう、『女神』と書かれたTシャツとショートパンツを履く女神が俺の前に立っていたのである。ボサボサだが神秘性を感じさせる透き通った水色の髪、黒縁メガネの奥に映る眠たそうな碧眼。女神はどうやら寝起きのようだった。
「……んっ……あなたの言葉です」
「眠いなら後でいいよ」
「眠くないです。ふわぁ……」
「眠いんだね」
「……これ」
敬語を使わなくなった女神は楕円形の物体を指差した。何の装飾もないそれは鏡のように見えた。
「夢界鏡、という神具よ。あなたの世界では浄玻璃の鏡に近い代物かしら」
女神はどこから出したか分からないビーズクッションに身体を埋め、そう言った。
「……」
鏡の中には俺が写っていた。否、これは遺影で、どうやら俺の弔いが行われているらしかった。棺に入る自分の死に顔を見るというのは、あまり気分のいいものでは無かった。
「本物なのか、この映像は」
「ええ、本物よ。私は思うのだけれど……何が天涯孤独なの? これだけあなたを愛してくれる人がいるのに」
女神は不機嫌そうに俺を睨みつけた。単に眠いだけなのかもしれないが。
「涼介……どうしてなの」
母さん
「親より早く逝くヤツがいるか! このっ……バカ息子が」
父さん
「お兄ちゃん……」
妹
「相談してくれよな全く。君が居ないのは私としても寂しいものなんだよ? ねぇ」
幼馴染
「競馬に使った借金返すって言ってたじゃん……今月ピンチなんだよ、生き返ってくれ」
大学の知り合い。
一様に、誰もが涙を浮かべていた。
「……俺を帰らせてくれ」
「無理に決まってるでしょ。。これは罪に対する罰。受け入れて、心いっぱいに泣きなさい」
女神はポンっと俺の頭を優しく叩いた。後悔なんてしないと思ってた。だが、頬に水っぽい何かが伝う。ハウスダストでも溜まってるんじゃないか。この部屋。
「この空間にゴミなんかあり得ないわ。総工費100センヌ量の金貨で作ったのよ。しっかり受け入れなさい。十分に泣いて、悔いて、そして世界地図を作るのよ」
胸が苦しい。今になって自殺を後悔している自分が、嫌になる。一言だけ、一言だけでも話したかった。話せば良かった。違う。それより前に、蓋をしてしまう前に話すべきだったんだ。ごめん、母さん。ごめん、父さん。葵、凛、ギャン依存の友人……って、ん?
「……世界地図って何?」
あまりにも自然に言われたそれは、意味が分からない一言であった。
「何? って罪に対する罰よ?」
「罰よ? じゃなくて。何? 俺の情緒をぐちゃぐちゃにする事が罰なの?」
「それも罰よ」
「それも罰なんだ」
当然でしょ? という反応を女神は取る。
「……」
「……」
なんか言えよ。
「はぁ……世界地図を作るのがあなたの使命なのよ。自殺という罪に対する罰ね」
女神はそう言って、気怠げに一枚の紙を俺に渡す。地形と方角は書かれているが、文字がそこにはなかった。
「あなた、伊能忠敬界隈の人間よね?」
「聞いた事ない界隈なんだけど」
「うーん……サミュエル・ディスティネス界隈の方が分かりやすいのかしら」
「サミュ、何? 何なの」
「うるさいわね。サミュエル・ディスティネスも知らないなんて教養不足よ、恥なさい」
「誰なの? 伊能忠敬は分かるよ。歩いて日本地図作ったっていう偉人だろ? サミュなんとかさんはどこの国の人何だよ、つーか誰だよ」
「ル・ケミアの偉人でしょ? 地理学にパラダイムシフトを起こした大陸最高の偉人の1人。初等部で習うはずよ」
「日本の公立小学校では習わなかったな」
「とにかく、作りなさい。歩くの好きでしょ? ずっと観察してたんだから。多摩川沿いを歩いていたのも、小金井公園で職質されてたのも、東海道線を東京から沼津まで歩いていたのも」
女神はそこで一呼吸おいた。
「全部、夜だったのが不可解だけど……この際それには目を瞑っておくわ。要は適性が高いのよ、あなたは。ああ、知らない土地が怖いならその心配は必要ないわ。私も視察がてら着いていくから」
そう言って女神はパチっと指を鳴らした。強い光に包まれ、視界が眩む。
「っ!」
思わず手で両目を覆う。瞼の内が明滅する。そして次に目を開けたときに写ったのは『冒険者』と印字された灰色のパーカーに身を包み、背中に大剣を担いだ女神の姿だった。
「……」
「……何か言いなさいよ」
「いや、ファッションセンス」
頬に衝撃が伝わった。こいつビンタしやがった。
「これでいいのよ。下手に女神だと悟られると面倒なの」
女神は頬を膨らませてぷいっとそっぽを向いてしまった。何その反応可愛い。じゃなくて
「説明! 何が何だか分からないんだって!」
「下に着いてから話すつもりだったのよ。これを読みなさい。あなたの知りたい事が書かれているわ」
女神は四つ折りにされた手紙らしき何かを俺に向かって放り投げた。
「わっ」
慌ててキャッチしようとする俺の両手は空を切った。手紙は空中で静止し、俺の眼前で機械のように折り目が開かれた。
『背景、暑い日が続きますね。こちらは水冷魔法がよく聞いたホワイトな職場で楽しくやらせてもらってます笑。いかがお過ごしでしょうか?笑』
「喋った……?」
「そういう魔法よ。慣れなさい」
「お、おう」
手紙は喋り続ける。
『さて、私の方ですが最近子育てで忙しくて中々時間が取れず、大変です。でも育休が貰えて本当にいい職場なの! 同僚も私の妊娠を喜んでくれたし。リューは相変わらず異世界課でニートの対応? 笑』
「なんかウザいなこいつ」
「アロウは昔からこうなのよ。気にしないで」
大企業に就職が決まって、会う度に要らないアドバイスをかけてくるゼミ仲間を俺は思い出した。元気かなあいつ。根は悪いやつじゃなかったんだが。それよりも
「リュー? っていうのがお前の名前なのか」
「それは彼女がつけたあだ名。正式にはノワール・コゼット・リュミエールよ。ノワールが名字でリュミエールが名前。コゼットは……説明するのが面倒だから通り名と思ってもらって結構よ。女神様、もしくは……まあ何でもいいわ。好きに呼びなさい」
好きに呼べ、か。俺はノワール・コゼット・リュミエールこと目の前のパーカー冒険者を再度見直す。身長は150くらいか。
「なあ、まな板」
「……それは私のどこを見てそう言ったの? ナンセンスね。クソ童貞」
「童貞じゃねぇ」
「夢界鏡ではあなたが自慰をしている映像しか無かったわ」
プライベートとかないんだね。
『ま、生きてるならそれでいいんだけどね。リュー……あなたに色々あったのは本当に可哀想なことだと思うわ。特にあの事件はあなただけが悪いわけじゃ無かった……。ってごめんなさいね。こんな話をしたい訳じゃないのに。暗い話はもう無しね。そうだ! たまには飲みにでも行きましょうよ! 私たち随分会ってないんだから。それに先生も寂しがってるわよ? リューは元気なの? 心配だわ、って』
コゼットは少しバツが悪そうに斜め下を見た。何か訳ありなのだろうか。
『話が逸れたわね。私の悪い癖。ここからが本題よ、リュー。管理課からの直接的な依頼だから、サボらないように。絶対よ! 今度サボったら流石にもう解雇だって所長がキレてたんだから。それに、あなたの為でもあるんだから……本当にしっかり、きっちり。報告書も随時あげるように』
「長いな」
「アロウは心配性なのよ。過去四回私が仕事でミスしただけなのに」
「どんなミスしたらここまで言われるんだよ」
「……直近だと戦禍に巻き込まれないよう依頼された農村が全焼したわ」
「怖い怖い」
「ちゃんと時空間魔法で元に戻したわよ。村民は時空ボケに苦しんでいたけど」
「……」
『それで、地図を作り直して欲しいの。大災害から100年経って、復興も随分進んでいるみたいだし。異世界から優秀な人材。ふふっ、そこにもういるのかしらね。こんにちは! アロウよ! ご機嫌いかが?』
美人に笑顔で語り掛けれるのは悪くないな。
「ニヤつかないで、クソ童貞」
どうやら顔に出ていたらしい。
『そこに気怠そうな、けれどとーっても可愛い水色の髪をした女神がいるでしょう? その子と世界を歩いてきて欲しいの。よろしくね、リュー。ちゃんとナビゲートするのよ? 所長が上から受けた大事な依頼なんだから。あ、そうそう。100センヌ量の金貨を振りこんでおいたわ。旅のために使いなさい。余ったら絶対返しなさいよ。私は莫大すぎる金額だと思うのだけれど、それぐらい上が重要視してるって事なんだから。うん、これで説明は終わりね! 仕事が終わったらまた会いましょう! 今からワインを熟成させておくわ。あなたの親友 アロウより』
俺もバカではない。つまりここが天界だとして、下界が別にあって、そこでは何かしらの文明や社会が発達していたのだろう。それが大災害、つまり地図が書き換わるぐらいの何かが起きて、しかし100年経ってある程度復興も進んだから天界的には新しい地図が欲しいわけだ。
「……それで俺に白羽の矢が立ったと」
「大体はそうね。待ってたのよ、伊能忠敬界隈の人間を」
「だから分かんないんだって」
「歩くのが狂気的に好きな人たちの事よ」
「……」
否定はできない。眠れない夜はずっと、外を歩いていた。月明かりと、静まり返った街。世界に自分だけがいるような感覚が好きで、そんな場所をいくつも求めていた。
「……これも何かの縁か」
「うん。一緒だと私としても助かるわ」
「随分弱気なんだな。神様なんだろ? それに、あんま分かんないけど100センヌ? って量の金貨は相当なものなんだろ?」
「そうね。日本円だと1億くらいかしら」
「1億?!」
「そうよ。今は、その、もう無いけど」
無い?
「……一応聞くけどなんで? おい、目を逸らすな」
「この手紙を貰った300年前は何かと入り用だったのよ」
「うん。……ん? 300年前っつたかお前」
「ええ、300年前よ。大災害が400年前。家とか欲しかったのよ、その頃は」
そう言ってコゼットは床を指差した。もしかしてこいつは
「地図作る資金で家を作ったのかお前は。アホか?」
「いいじゃない。大切よ? 家。異世界転生者を迎えるのにみすぼらしい牛舎とか嫌じゃない?」
「それは嫌だよ。けど外出るための補助金で家買うヤツがどこにいるんだよ!」
「ここにいるわ」
「……えいっ」
「ぐへぇ」
俺に頭を小突かれたコゼットは雑魚キャラみたいな声を出した。
「つまりあれか? 俺は今から一文無しでよく分からん異世界を旅して地図を作れっていうのか?」
「……そうね。その、適合者が少なかったっていう事情は汲んで欲しいわ。異世界課では4年に一度転生者を迎えるのだけれど、長く歩き続けるだけの精神力と、ある程度の魔法適性がないとキツイのよ」
「なるほど」
ということは俺も魔法が使えたりするのか。
「ええ。魔法自体は誰にでも使えるわ。この場合の魔法適性は、“魔法に耐えられる適性”に限られていたわけだけど」
頑丈なやつを探していたわけか。
「そう。それにね、伊能忠敬界わi」
「それはもういい」
「分かったわ。それじゃあ行きましょう。ようやく仕事をなす時が来たのよ」
コゼットはそう言って、何かぶつぶつと聞いた事のない言語を発した。するとどこからともなく扉が現れ、コゼットはその扉に鍵を差した。
「……はぁ」
考えたところで仕方ないのかもしれない。確かに歩くのは好きだ。一日に50キロ離れた場所に行ったこともある。この世界は魔法もあるみたいだしワクワクもする。どうでもいいことで悩むくらいなら、一歩踏み出してから悩む方がいいだろう。俺は自分を鼓舞するために頬を両手で叩いた。
「長い旅になるわ」
コゼットはそう言って夢界鏡を指差した。そして俺を正面から見据えた。透き通った碧眼が俺を捉える。心の内まで見透かされているようだった。
「何があっても、あなたはもう元の世界には戻れない。ここが最後。鏡は一度だけ、あなたと彼方を結ぶ。贖罪の旅、後悔の無いようにしておくと良いわ」
贖罪。コゼットはそう言った。恥の多い生涯だった。誰からも大事にされてない、全ては社会が悪いと決めつけていた。だが、それは。
「……」
俺は鏡の前に立った。もう、会えないのか。唐揚げが美味かったって伝えれば良かった。尊敬してたって、言えば良かった。頑張れって、頑張ったなって、声を掛ければ良かった。一緒にいて楽しかったって、そう言えば良かった。後悔が怒涛のように押し寄せて思考を、感情を、かき乱す。でも、言葉は決まった。嗚咽気味の喉を抑えて、涙の跡を、消すようにして擦る。ようやく俺は気づいたのだ。
「今までありがとう。いつまでも忘れないから」
旅が始まる。今までと違う世界での旅が、けれどそれは今までの全てを忘れることではない。
「行ってらっしゃい」
鏡から、そう聞こえた気がした。
「行きましょう」
コゼットが俺の前に手を差し出した。俺はそれを受け取る。さようならは言わない。
「行ってきます」
そして、俺の異世界生活は始まった。
伊能忠敬界隈とかいうわけ分からん界隈に所属していたらしい俺が転生してしまい、女神に異世界の地図、作らされてます 芳乃しう @hikagenon
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