第16話 誰ガ為ノ送別

 「本当に行くんだな」


ジグルドの十二回目の最終確認に、イージスは苦笑いをしながら答える。


「行くよ」


荷物をまとめ、いよいよ出発となると、


「え〜ん、またお兄ちゃんと離れ離れだよぉ」


サラは、すんすんと泣きながら(嘘泣き)兄に抱きつく。


「こら、イージスを困らせるな」

「……十二回もイージスお兄ちゃんの足止めをしたお父さんには言われたくないんだけど」

「私がいつイージスの足止めをしたんだ」

「え、無自覚? 怖っ……」


相変わらずの家族の姿に、イージスの足は重くなる。このまま彼らと……なんて、ワガママが芽生えてしまう。だから。


「きっと、また会えるよ。次は、戦争のない、平和な世界で」


イージスはそう言うと、サラの額にキスを落とした。と、それを見たジョーカーはドン引き、ヴィオラは真っ赤になった顔を両手で隠す。


「お前……重度のシスコンじゃねぇか……」

「えっ、普通じゃないの? 兄さんも姉さんもよくやってくれたけどな……」


ジョーカーの指摘に、目を丸くするイージス。おわかりいただけただろうか。アルタナヴィア兄妹の距離感の『普通』はこれである。


「普通だよ。……ね?」


サラから恐ろしい笑みが向けられる。父に似たのか、圧が凄い。


「普通かぁ〜!」


ジョーカーは考えるのをやめた。


 風が強く吹いている。青空に浮かぶ真っ白な雲が、流れるように揺れている。


 ジグルドはサラをイージスから引き剥がすと


「サウラシスに行くなら、我が友・トーマスによろしく言っておいてくれ。ウェスティーニは今まで通り、平和主義を貫く。お前に全面協力するから、何かあったら頼ってくれ」


そう言って、微笑んだ。そして


「それから、これだけは忘れないで欲しい」


イージスを強く抱きしめ、この言葉を捧げる。


「私はお前を愛している。お前は、私の大切な息子だ。何があろうと、それは揺るがない」


念を押すように言われた言葉に、イージスは、ふと、心の荷が下りたような気がした。今まで不安だったことが、父の言葉と行動によって、晴らされる。


「ありがとう」


素直に紡がれた感謝の言葉。もう、父と話す時に苦しそうな表情を見せることはなかった。昔と同じ、仲の良い家族に戻っている。


 旅立つイージスと、その横を歩く二人を眺めながら、ジグルドは


「……成長したなぁ」


そんなことを呟いた。


「イージスお兄ちゃん、昔は家族以外、誰にも心を開かなかったからね」


人見知りが激しい子だった。いつもアグネスの後ろに隠れていたような子だ。頭が良すぎるが故に、友人も少なかった。だからこそ家族との時間が手放せないような、そんな子。


「それが今じゃ、セントラシルドの救世主で、相棒とガールフレンドと共に旅立つの戦士か。子どもの成長は早いな」


イージスの成長を、妻・アイリスにも、見せてやりたかった。なんて、しみじみと思う。


 もしも、アイリスが今のイージスを見たら、どんな反応をするのだろうか。


『あなた。私のことは許さなくていい。むしろ許さないで欲しい。でも子どもたちは……この子たちだけは……どうか、何があっても許してあげて。いつまでも愛してあげて。お願い』


記憶の中で、涙と微笑みを同時に浮かべながらアイリスが哀願する。サラと同じ美しい金色の長髪が雨に打たれ、イージスと同じ黄緑色の瞳が雫に滲んでいる。


『約束しよう。私は何があっても、子どもたちを許す。私は何があっても、子どもたちを愛す』


ずぶ濡れになった妻を抱きしめ、彼女に誓いを立てたあの日。あの日から、ジグルドは家族を責めたことはない。サラが危険なことをした時や、アグネスが黙ってノースィスに行った時、パトリックが裏切った時でさえ、誰一人責めることはなかった。もちろん、イージスが無茶な旅に出ると言った、今だって。

 できることなら、彼女に、イージスの成長を見せてやりたかった。武闘派のパトリックや、頭脳派のアグネスの影に隠れていたイージス。加えて無能力ということを気にして卑屈な性格を拗らせていたイージス。アイリスが最も将来を心配していた息子・イージス。それが今ではどうだ。アグネスに並ぶ頭脳と、パトリックに劣らずの勇気を持ち、世界を変えようと動いている。この成長は、昔の姿からは想定できないものである。

 もし、アイリスが生きていたのなら。もし、アグネスが生きていたのなら。愛する家族を、もし、自分が守れていたのなら。今頃は、六人揃って、笑えていたのだろうか。兄妹四人で力を合わせて、世界は変わっていたのだろうか。未来は、より輝いていたのだろうか。


 ジグルドは拳を強く握った。突然、握られたその拳にサラはぎょっとする。が、すぐに事情を悟ると


「今度こそ、私たち、大丈夫だよ」


父の手を取り、そんなことを言った。最愛の姉を失いながらも、前を向いた、強い娘の笑みを見ると、そんな気がした。


「あぁ。私たちは常に一つだ。離れていても、一人ではない」


ジグルドはサラの手を優しく握ると、大きな空を見上げて言う。


 青く澄んだ空には、ふわふわと雲が浮かび、太陽の光が街を照らしている。小鳥の囀りと、賑やかな笑い声。平和を絵に描いたような街。

 昨日、二人もの人間が殺されたというのに、そんなことは、始めからなかったかのように、知らなかったように、街は微笑んでいる。


 きっと、昨日も今日も、明日も変わらない。戦争で誰かが死ぬなんて当たり前。だからこそ諦める。失ったものは仕方ない。還らないものを求めたり、それに対して嘆いたりするのは、無駄である。ただ、それだけの話。


 ジグルドが、ギロリと茂みに目を向ければ、ドサリと音を立てて何者かが倒れた。


「容赦ないねぇ」


サラの笑い混じりの一言に応えることもなく、彼は音のした方へと歩み寄る。


「害虫にかける情けはないだろう?」


毒草で口を塞がれ、蔦で首を絞められた男性の頭が、鷲掴みにされる。ジグルドは、静かに、男に炎を纏わせた。


「締め殺したでしょう。いつから能力を使っていたの?」

「イージスに『愛している』と伝えたあたり、だったかな」

「うわっ、信じられない! 最低!」

「いや、我が息子の旅立ちを邪魔しようとしたコイツが悪いだろ」

「お兄ちゃんに『愛している』って言いながら人を殺したのが問題なの! せめて、『愛している』と伝えた後に殺してよ、穢らわしい! あとそのタイミングで襲って来ていたのなら、殺し方が甘い! 万死、万死ッ!」

「派手に殺したらイージスにバレるだろうが。あの子の前では、良き父親でいさせてくれ」

「はぁ? 私の前では良いの?」

「私とお前は同類だろう?」

「……それもそうね。いろんな意味でね」


パチパチと音を立てながら、静かに男が燃えていく。燃えて、燃えて、燃えて……跡形もなくなるまで。


 今日もまた、どこかで命が散っている。闇に紛れた愚かな害獣が、密かに駆逐されていく。真に闇に生きる彼らが、何食わぬ顔で、害獣を葬っていく。

 こうして、この国は沈黙を続けていく。涙を隠し、偽りの平和を纏いながら、永遠に。


 ジグルドは思う。確かに、イージスはこの国に似合わない。知らない方が幸せなことを、「それでも知りたい」と追及して、解決しようとする彼には。となれば、旅に出て真の平和を求めるのは必然であり、正解だったのかもしれない。

 だからこそ、意地でも止めたくなる心を必死に抑え込み、彼を行かせた。子どもの成長を、可能性を、潰してはいけないと。

 そうして彼もまた、沈黙を続けていく。涙を隠し、偽りの真実を纏いながら、笑顔で。




         -沈黙のウェスティーニ-

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