第4話 修行

 本格的な修行が開始される。

 まずまどかは、黒雲に舞を教わることとなった。

 舞は巫女にとって最重要なことなのだと黒雲は言う。

 ぎこちなく体を動かすまどかたちを、遠目から晴明と康仁が見ている。

「黒雲の舞はいつ見ても美しいな。それに引きかえ、アイツときたら……」

 康仁の嫌味を、晴明は笑って受け流す。 

「皇子さまは、まどかどのが気になりますか?」

「気になる? まさか……」

 とは言いつつも、康仁の視線の全てはまどかに注がれている。先ほど黒雲を誉めていたときでさえ、まどかを見ていた。

「まどかどのは素直ゆえ、なかなか鈍い所もあります」

「確かに鈍いな」

「皇子さまは、少しはまどかどのを見習って、素直におなりになるとよいかと」

「俺はそんなにひねていない」

 晴明は「そうですか」と微笑むだけだった。

 

「うまくいかない!」

 黒雲に指南さてから約一時間、しかしまどかは一向にうまくならない。

 休憩がてら黒雲に愚痴を零せば、黒雲はうーん、とうなった。

「私も最初はそんなものでしたよ」

「一朝一夕にはいかないですよね」

「はい。ただ、晴明さまに助言をいただいたことを思い出しました」

 その言葉に、まどかは前のめりになる。黒雲の一言一句を聞き逃さんと、耳を傾けた。

「陰陽道は陰と陽の調和故、その力の流れを感じ取る……」

「陰と陽の調和……」

 スっと胸に染み込むようだ。

 まどかは目を閉じた。目を閉じたのに意味は無い。無いのだが、もしかすると本能で閉じたのかもしれない。

 余計な情報を除外して、耳でも目でもなく、感覚で――五感で陰と陽の気を感じ取る。

 ビリビリ。チリチリ。

 霊力の流れだ、きっとこれが、陰と陽の気に違いない。

 ばっと目を開ける。

「まどかさん……」

 先程までまるで出来なかった舞が形になっていく。

 気の流れに身を任せ、まどかは舞った。

 蝶のように、木の葉のように、風のように、空のように、凪いだ湖面のように。

「ほう……まどかどのは、もうコツを掴みましたね」

「ああ……」

 黒雲の舞とはまた違う、康仁はまどかの舞に釘付けである。

「まどかさん、きれい……」

 ほうっと黒雲が息を吐き出す。晴明はほほ笑み、康仁は惚けている。

 教わった一通りを舞うと、不思議とまどかの心は研ぎ澄まされた。今なら、どんなに遠くにいる九十九神でも感知できそうだ。

「黒雲さん、晴明さん、皇子さま……?」

 まどかを注視し固まる三人に、まどかは不安になる。なにか粗相でもあっただろうか。

「まどかどの。さすがは特別な巫女ですね」

 晴明が立ち上がり、まどかの元へと歩く。そして自身の懐から呪符を取り出し、式神を顕現させると、

「では、次の段階です。式神を使って実践に移りましょう」

 まどかもまた、スマホを取り出すと、式神を顕現した。

 まどかが顕現したのは風の九十九神の式神である。

 対して、晴明が出したのは馬のような、空を飛ぶ式神だ。

 空中戦には空中戦を。

「まどかどの、いきますよ」

「は、はい!」

 構える。

 まず先に、晴明の式神が風をきって走った。目にも止まらぬ速さでまどかの式神に体当たりをする。

 風の式神が後方に吹き飛ばされるも、空に舞い上がり、晴明の式神から逃れる。

「こ、攻撃を……」

「甘いですね」

 まどかの式神が空気を切り裂いてかまいたちを起こすも、それより先に晴明の式神の風の壁の防御が展開される。バリバリっとかまいたちが空中で霧散して、このときまどかは、ようやく自分の選択の間違いに気づいた。

「危なかった……」

 一歩間違えば、かまいたちはまどかのみならず、黒雲や康仁にまで及んでいたに違いない。

 式神を操るのは一筋縄ではいかない。

「どうすれば……」

 意識を集中させる。式神にまどかの意識を向けると、チリッと式神の霊力がまどかに流れる。

 そうだ。 

「集中……集中……」

 まどかの意識が徐々に徐々に式神のなかに溶けていく。

 ジリジリ。

 バンッ!

 弾けた視界の先は、果たして式神の『なか』である。

『うまくいった……?』

 式神のなかから自分の姿を見る。かくんと体が倒れ、それを晴明が支えている。

 今後は、式神と同調する場所を選んだほうがよさそうだ。下手をすれば、意識が抜け落ちたまどかの体は隙だらけになる。

『え、と』

「行きますよ。まどかどの」

 シンクロしているからといって、式神の力を使いこなせるとは限らない。だが、式神を介して敵を見れば、少なくとも味方を傷つけることはなくなる。

『かまいたち……いや、風の壁!』

 まどかに向かい来る晴明の式神を風の壁で防いで時間をかせぐ。さて、どう攻撃に繋げようか。

『かまいたちを……刀のように出来ないかな……』

 思考は形に、形は実践に。

 思ったことが形となって現れる。まどか――風の式神の右腕に、かまいたちの刃が出現する。そして、流れるように身体が動く。

 風のような滑らかな動きで、まどかは晴明の式神に切りかかる。

『う、わ』

 考えが動きになる。それは強みでもあり。

 傷つけるの? 晴明さんの式神を?

 迷いを見せた心に呼応するように、まどかの体は寸前で止まった。

 晴明の式神の首元に刃をピタリと当てて、まどかの体は動かなくなった。

「参りました」

 負けを認めたのは晴明である。パチン!、と指を鳴らすと、晴明の式神がふっと消えた。

 まどかの体から力が抜ける。

『どうやって戻るんだろ』

 一難去ってまた一難、まどかはどうしたらいいのかわからない。

 わからないながら、地面まで降りて、晴明に話しかける。

『晴明さん。どうすれば体に戻れますか?』

「念じればいいのです」

「おい、晴明。そなたはこれの言葉がわかるのか?」 

 傍にいた康仁も、黒雲でさえも驚いた様子で晴明を見ている。

「黒雲。そなたにもわかりませんか?」

「私……ですか……?」 

 黒雲はまどか――風の式神のほうを見る。いくらそのなかにまどかの精神があるからといって、その言葉を理解するなどというのは、晴明が並外れた陰陽師だからできることだ。

 黒雲はそう思ったのだが。

『黒雲さん……?』

「……え。まどかさん……?」

 聞こえた。今確かに、まどかの声が。しかしそれは、耳からというよりは、頭のなかに聞こえた。穏やかであたたかい、まどかの感情である。

「黒雲。そなたは気づいていないかも知れませんが」

 黒雲はほうっとまどか――風の式神を見ている。

「まどかどのと触れ合い、心通わせる事で、そなたの霊力も自ずと成長したのですよ」

 果たして、晴明の言葉が黒雲に届いたのかはわからない。

『集中、集中』

 そしてまどかは自分の体へ意識を集中する。ジリジリ、ジリ。チリチリっと音がして、やがてふわっと宙に浮く感覚。

「う、わっ!?」

「まどかさん!?」

 式神のなかにあったまどかの気配が消えたかと思えば、黒雲たちの傍で眠っていたまどかの本体が目を覚ます。

「あ。戻れた?」

「まどかどの。やはり貴女はすごいかたです」

 晴明が平伏し、まどかにこうべを垂れた。倣って、黒雲までもがそうするものだから、まどかは気が気じゃない。

「わ、私はそんな大層なものじゃ……」

「まったくだ。俺ならともかく、なぜコイツに平伏する?」

 今の今まで黙っていた康仁が、嫌味たっぷりに言う。そしてまどかを見ながら、

「俺はオマエに平伏なんかせん」

「あ、はい」

「オマエはオマエだ。単なる料理番で、一巫女にすぎん」

「……! はい!」

 特別扱いされない事が、妙に嬉しい。まどかはにっこりと康仁に笑顔を向けた。


 あのあと、何度か舞を舞って、そのまま夕餉の時間となった。

 まどかは厨に走り、正盛に頼んでいた鶏ガラのだしを味見する。

「まどか。俺たちの出入りを禁じて、なにしてたんだ?」

「え? えーと……」

 修行の場には、正盛はもちろん、家臣すら傍には置かない。晴明と康仁とまどかと黒雲、この四人だけでの修行に、家臣たちはいささか不信感を募らせているようだ。

「せ、晴明さんの式神が危ないので……」

「百歩譲って式神が存在するとして、なんでまどかまであそこに呼ばれるんだ?」

 鈍いようで鋭い。正盛の出自が明らかになっていない以上、まどかは自分が巫女であることは隠さねばならない。

 言い訳を考えていると、正盛がふうん、と納得したようにうなった。

「まどかは皇子さまのお気に入りなのか」

「まさか! むしろ嫌われてますよ」

「誰が誰を嫌うと?」

 正盛との会話と料理に夢中で、まどかは背後の気配に気づかなかった。康仁である。

 ぬっと現れて、鶏ガラのスープを見て顔をしかめた。

「これは、作り直せ」

「え?」

「わからんか。俺はオマエが作ったもの以外は信用ならぬ」

「で、でも。味見してもなんともないですし」

 あたふたと答えるまどかだが、康仁は頑として首を縦に振らない。

 仕方なく、鶏ガラスープは家臣たちに出すことにして、まどかは料理を再開する。

「今日はなにを作るのだ?」 

「はい。シチューを作ろうかと」

「シチュー?」

 鶏ガラのだしを取ったのはそのためであるが、この際間に合わせで作るしかない。

 鍋に油を敷き、小麦粉を加える。弱火で炒めて、サラサラの状態になったら、冷たい牛乳を注ぎ入れる。

 本当はバターで炒めたいところだが、時間の都合上油で代用した。

 牛乳は癖があるが、具材の野菜に香草を入れ、臭み消しにする。

「これが、シチューです」

 野菜たっぷりの、シチューの完成だ。

 鶏ガラの代わりに煎汁を使い、ひしおと味噌で味をつけた。

 付け合せはチキンソテーだ。シンプルに塩をつけて食べる。表面は多めの油でカリッと焼いてある。

「そうか。では、部屋まで運べ」

「はい」

「正盛。そなたは来るなよ?」

「分かってますって。皇子さまは本当にまどかが好きだなぁ」

 正盛のこの言葉に深い意味は無い。無いのだが、しかし当の本人たちは過剰に反応する。

「好きなわけなかろう!」

「で、ですよ! 正盛さんはなにを言うんですか!?」

 あわあわしながらまどかが膳を運ぶ。康仁は康仁で、ずかずかと歩いて先に部屋へと行ってしまう。

 正盛は首を傾げながらふたりを見送った。

 あんなに分かりやすく動揺して、気づかれないと思っているのだろうか。

 家臣たちの噂は目下、康仁とまどかのただならぬ仲だというのに。

 

 部屋について、まどかは康仁の前に膳を置いた。

「どうぞ」

「ああ」

 しかし、妙な気恥しさから会話がない。

 康仁がシチューを口に入れると、パッと顔が明るくなる。

「これは、うまいな!」

「はい。西洋のスープ――汁物です。スープにすることで、野菜の栄養が余すことなく摂れます」

 まどかのうんちくなどいまだ半分も理解できない。だが、まどかは料理について語るとき、なにより楽しそうにするものだから、康仁もその話を遮らない。

 もっとその顔を見たいとさえ思う。

「……っ!?」

 いまだまどかはシチューについて語っている。そのまどかを見て、康仁はひとつ、気付いてしまった。

 気づきたくなかった。なぜならまどかは単なる巫女だ。この平安の人間ではない。

「さがれ」

「え、っと、皇子さま?」

「下がれ。今日はひとりで食したい気分だ」

 厨までわざわざまどかの様子を見に行ったのだってそうだ。正盛に変なことをされていないか、不安で仕方がなかっただけだ。

 まどかの料理ならと信頼して、毒味をさせないのだって。 

 全部全部、まどかという人間を信頼し、そして――。

「誰が認めるか。好きなどと」

 康仁はすべてを持たない皇子である。いまさら、好いた人間が手に入らないと分かったところで、落ち込むとか、落胆するとか。そんな気持ちは微塵もない。

 そう、思っていた。思いたかった。

 首を傾げながら厨に戻ったまどかに、正盛が気付く。

「まどか! ちょうどよかった!」

 なにやらくりは忙しなく、正盛は厨に山積みにされた食材を指さし笑った。

「俺の発注間違いで、牛乳と卵がこんなに」

 悪びれる様子もなく言うあたり、もしかすると『わざと』なのかもしれないが、今のまどかはそこまで考えが及ばない。なにしろ、康仁の不機嫌の理由がいまだ見当たらない。 

「卵と牛乳……」

 何十個もの卵に、たらいいっぱいの牛乳。

「それじゃあ、プリンと茶碗蒸し、それから牛乳のくず餅にしましょう」

「ほう……聞いたことのない料理だな」

 すぐさまレシピを口にしたまどかに感心する正盛。 

 そんな正盛をよそにまどかは動く。

「ところでまどか。今日は皇子さまの部屋から追い出されたか?」

 忘れかけていたそれを言われ、まどかは苦笑するしかなかった。

「まあ、そんなところです」

「へえ。まどかでも追い出されることがあるんだな」

「まあ……基本的に嫌われてますから」

 あはは、と乾いた笑いを漏らすまどかに、正盛も笑った。

 嫌われてる。なにをどう勘違いしたらそうなるのか。

 明らかに康仁はまどかを信頼しているというのに。

「牛乳わらび餅は、牛乳と甘酒を混ぜて、わらび粉を混ぜたら火にかけて練ります」

「なるほど。これは俺にもわかるぞ」

 わらび餅は平安時代の天皇の好物だったことでも有名だ。

 わらび餅は水と砂糖を練って作るが、それを応用して牛乳で作る方法もある。

 未来ではくず粉は値が張るため、片栗粉で代用してわらび餅風のおやつをよく作ったものだ。

 蒸し器にはたくさんのプリンと茶碗蒸し。わらび餅は水に取って冷やしたものを器に盛った。

「温かいうちに、茶碗蒸しを皇子さまに届けてきます。わらび餅も」

「ああ。そうだ、まどか」

「なんです?」

 膳に茶碗蒸しとわらび餅を乗せて歩き出すまどかに正盛は、

「できるだけ笑顔でいけ」

「ええ。嫌われてるのに?」

「だからこそ、だ。不貞腐れてたら余計に嫌われるぞ?」

 一理あると思いつつ、まどかは苦笑を返すことしかできなかった。

 嫌われている人間に愛想良くするなど、まどかにはできない。なぜならまどかは、生来嘘をつけない性格である。

 

「なんだ、追加の料理だ?」

「はい。卵と牛乳が余ってしまい、急遽作ったのですが」

「余り物を食えと?」 

「あっ、違うんです……でも、そうですね。要らないのなら、皆さんでわけて食べてもらいます」

 おずおずと膳を下げようとするまどかの手を、康仁が掴んだ。

「食わんとは言ってない」

「あ、はい……」

「それで、これはなんだ?」 

 膳を康仁の前に置き、まどかは下座に座る。康仁が茶碗蒸しをほふる。わらび餅も。

「……うまいな……」

「お口にあってよかったです。明日にはプリンも食べ頃かと」

「ほう。プリンとはなんだ?」

「はい。卵と牛乳を……」

 なんのことはない、康仁はいつもの康仁に戻っていて、だからまどかも、普段通りに康仁に接することが出来た。

 追い出されたことなど忘れて、まどかは料理の説明を、嬉々とした表情でするのだった。

 

 一方、晴明と黒雲は康仁が夕食をとる間、御殿の結界を張り直していた。

「まどかさんは不思議なかたですね」

 黒雲が晴明に言う。晴明は結界を張りながら、

「そうですね。まるで悪意がない」

 結界の呪符を二重に貼って、そのうえからさらに呪文をかける。

 ぽうっと結界が薄青く光り、やがてその光は消えていく。

 黒雲は晴明に呪符を渡す。

「まどかどのの力は底がしれません」

「はい。私の星読みでも全く読めませんし」

 御殿の四隅と真ん中、それから門に呪符と呪文の結界を張り終え、黒雲はふっと息を吐き出した。

「九十九神のことは、いつお話しになるのですか?」

 まだ話していないことがある。まどかにも康仁にも話していないことだ。

「そうですね。いずれ――」

 晴明が言いかけたときである。

「晴明さん! 黒雲さん! 夕ご飯にしませんか?」

 まどかが遠くからふたりを呼んでいる。

 晴明は微笑み、黒雲は手を振り答えた。

「行きましょうか」

「……はい」

 すっと晴明の顔から笑みが消えた。黒雲はそれが妙に恐ろしくなって、今から向かうまどかの夕餉から逃げ出したくなった。

 

 見たこともない料理に、黒雲は興味を引かれた。だが、その料理について訊ねることはしなかった。いや、出来なかった。

「今なんて?」 

「はい。九十九神はその名前の通り九十九体存在します」

「九十九体も……」

 途方もない話だ。九十九神は九十九体も存在する。まどかが封印したのは、まだたった三体だ。

「ですがまどかどの。火の九十九神を討伐すれば話は別です」

「え……?」

 よく分からない。九十九神を討伐できるのはまどかだけだと晴明から説明を受けている。ならば、火の九十九神を討伐するとどうなるのだろうか。 

「九十九神の暴走は、まどかどのの存在も大きいですが」

 ごくり、まどかは喉を鳴らした。

「火の九十九神。あらゆる九十九神に影響を及ぼしているのは、それなのです」

「え、と。つまり?」

「はい。火の九十九神を討伐出来れば、残りの九十九神は自ずと力が弱まる、或いは消滅するでしょう」

「……! それって」

 つまりは、最終目標は火の九十九神だと晴明は言いたいようだ。

 火の九十九神さえ封印できれば、まどかは未来に帰れる。暗にそう言われている気がした。

「ですが。火の九十九神に対抗するには、まず水の九十九神を封印しなければなりません」 

「水の……」

 まどかは夕飯そっちのけで晴明の話に聞き入っている。黒雲もそうだ。まどかを案じて、食事どころではなかった。 

「まどかさん。私も手伝えることは手伝います。だから……」

「うん。目標が見えてきたね。火の九十九神か……」

 まどかの目には強い光が宿っている。

 火の九十九神が一筋縄で行かないことは、まどかが一番よく知っている。まどかは火の九十九神に対抗できない。力が入らなくなるのだ。

 それは、まどかがイザナミの生まれ変わりで、イザナミの死因が火の神によるものだからだと晴明は言っていたが、だが。

「なんとかして、方法を探さなきゃ」

「まどかさん……」

 晴明の顔は笑っていない。黒雲に至っては苦悩の表情だ。

 このあと黒雲と晴明は、同じ話を康仁にもしなければならない。そして、康仁にはまどかとは別に、もうひとつの事実を話す必要がある。

「それじゃあ、ちゃんと食べて元気出さなきゃですね!」

 まどかの笑顔は心からのものに違いない。だというのに、黒雲はその笑顔に答えることができなかった。

 

 そもそも初めから晴明はそこに出向かなければならないことを予知していたようで、まどかが霊力を扱えるようになるのを待っていたようだ。

「出雲にはよろずの神々が集まります」

「神々の始まりの地だな」

 康仁はシレッと言う。神々の始まり、つまり天皇家とも関わりが深い。

「九十九神は神の一種です。神を知りたくば神に。出雲なら、九十九神についてなにか分かるかもしれません」

 そこに行けば、イザナミとイザナギのこと、康仁のこと、まどかのこと。このすべての手がかりが掴めるかもしれない。

 まどかたちは一縷の望みをかけて、出雲へと足を進める。


 徒歩での旅は、一筋縄ではいきそうにない。

「皇子さまにこんなに体力があるとは思いませんでした」

「オマエは俺をなんだと思ってる?」

「いや。えーと」

 平安時代の貴族は運動不足だとよく文献には紹介されている。

 しかし、康仁は例外のようだ。康仁は皇子であって皇子ではない。呪いをその身に宿す康仁は、貴族とは程遠い生活を送ってきたに違いない。

「梅干し、正盛さんに任せて大丈夫かなぁ」

「まどかさんはこんな時でも料理の心配ですか」

 ふっと黒雲が笑う。場の空気が少しだけ和らぐ。

 歩いて休んで、また歩く。

「足が痛い」

「すみません。まどかどの。わたしの式神が使えたらよかったのですが」

 晴明の式神は、いざというときのために温存している。無論、まどかが式神と同調することも。

 徒歩での道のりはまだまだ長い。

「あちらで、今日は休んでいきましょう」

 丸一日、朝から晩まで歩いたのは、生まれて初めてかもしれない。

 まどかはそんなことを思いながら、宿の厨にたつ。

「まったく。こんな所でも私に作らせるなんて」

「まあそう仰らず」

 隣には黒雲もいる。

 まどかと黒雲で、料理を命じられたのだ。どこまでも用心深い康仁には、苦笑するしかない。

「それ程まどかさんを信頼してるということです」

「信頼……? まさか」

「まあ、信じないなら別に構いませんが」

 他人の家の厨は落ち着かない。どこになんの調味料があるのかもわからない。

 その上、食材も肉は無いため、まどかはどうしたものかと頭を捻る。

「豆腐はある。けど水切りしてる時間はないし」

 ならば、と考えたのは豆腐ハンバーグだ。

 豆腐はあらかじめ茹でて水を抜いて、つなぎでくず粉と山芋を入れた。具材にはヒジキや昆布、有り合わせの野菜を入れて、ごま油で焼きつける。

 ソースは和風の大根おろしを添えた。

「ほう。ハンバーグだな」 

「はい。以前は大豆ミートで作りましたが、今回は豆腐のハンバーグです」 

 出来たて熱々のハンバーグをほふる康仁。

 豆腐の甘みと大根おろしがよくあう。具材が食感のアクセントになり、風味も増す。

「うまいな」

「よかったです」

 康仁が食べ終わるのを見計らって、晴明と黒雲、まどかも食事にする。

「しかし、先刻のプリンは美味だったな」

 和気あいあいと食事するまどかたちに、康仁は言った。康仁は少しの寂しさを感じている。

 まどかたちはいつも、康仁と食事を共にはしない。だからこそ思う。みなで食べる食事は、どれほどうまいだろうか。楽しいだろうか。

 考え出すと、どうしても我慢できなくなる。

「明日から、俺も晴明、そなたたちと食卓を囲むからな」

「皇子さま、それはなりません」

「すると言ったらするからな」

 急な康仁のわがままに、まどかも黒雲も、なにも言えなかった。それはあまりにも康仁が譲らないためか、或いは康仁の悲しげな表情のせいか、まどかにもついぞ分からなかった。

 

 そこから一週間ほど歩き通して、まどかたちはようやく出雲に到着した。

 国境に足を踏みいれたその瞬間、まどかの眼前に火花が散った。

「……!?」

 バチバチっと爆ぜた火花と、体に走り抜ける電気――霊力に、まどかは地面に膝をついた。

「大丈夫ですか、まどかどの」

「はい……ちょっと目眩がしただけで」

 ふらつきながら立ち上がるまどかを、康仁はただ見ているだけだ。

 なにかがおかしい。

 康仁は、出雲に違和感を感じていた。

「今日は適当な宿を見つけて休みましょう」

「出雲大社はすぐそこなのに?」

 康仁は早く事を進めたいようだが、晴明は違う。まどかの体を第一に、焦らず事を進めたい。それがなによりの近道だと、晴明は知っている。

「皇子さま。まどかどのが万全でないのなら、出雲大社に行くべきではありません」

「なぜだ? ソイツがいなくとも、俺がいれば火の九十九神は――」

 それ以上は止められた。晴明に、黒雲に。

 三人には、なにかまどかに言えない秘密があるようだ。だとして、それがなんなのか、まどかにはわかりそうにない。それに、今は意識を保つだけで精一杯だ。

「まどかどの。歩けますか」

「な、なんと……か……」

 ばたり。

 まどかは倒れた。まどかは出雲の神々の霊力に当てられて、意識を保てなくなった。

「……っ、こんなことで火の九十九神を討伐出来るのか?」

「その為にここまで来ました」

 晴明の声音は、相も変わらず穏やかなものだった。

 

 時おり、不思議な体験をする。眠っているのに、晴明たちの会話が聞こえるのだ。

 まどかを布団に横たわらせ、そのかたわらで晴明と黒雲、康仁が話をしている。

「出雲は特別な国です。神々の始まりの地ゆえに、まどかどのにはあらゆるものが流れ込みます」

「九十九神以外になにが流れ込む?」

 黒雲は静かに目を瞑っている。晴明は微笑み、顔色ひとつ変えずに、

「言葉通り、神々の記憶です」

「……神だと?」

 イザナミと神は切ってもきれない関係だ。イザナミを生み出したのもまた、神である。

「だが、俺はなんともないぞ」

「そうでしょう。皇子さまはまどかどのほど前世に縛られていません」

 どうやらまどかは、自分で思うより重度に、イザナミの魂に影響を受けているようだ。 

「神話には続きがあります」

「続き……? 聞いたこともないが?」

 イザナミとイザナギは黄泉とうつしよでそれぞれに生きた。だが、いよいよイザナギに死が迫り、イザナギはイザナミの元へ行けることを喜んだのだ。 

 そして、黄泉で再会したイザナミと、今度こそは添い遂げると約束した。

「イザナミの罪を神は許さなかった。ゆえに、イザナミの生まれ変わりは代々九十九神の討伐の運命が与えられ」

「待て。それでは、イザナミとイザナギは、和解していたのか?」 

「そうなりますね。ゆえに、イザナギはイザナミに罰を与えた神に逆らいました」

 そこから、イザナギの生まれ変わりは代々短命の呪いにかかった。

 唯一、その呪いを解けるのはイザナミのみ。イザナミが九十九神を討伐せしめれば、すべての呪いも罰も終わる。

「皇子さま。顔色がすぐれませんが」

「ああ、アイツには言ったのか?」

「いえ、まだ」

「そうか。ならば言うな。アイツには」

 今さらそんな優しさを見せる康仁が、まどかにはわからない。分からないのだが、この話は聞かなかったことにしなければと思った。

 晴明や黒雲、康仁までもがまどかに秘密にせんとしてきたものを、無下に扱うことはできなかった。

 

 はたと目を覚ます。しかし、周りには誰もいない。

 まどかは不思議に思いながらも、起き上がり歩き出す。

 深夜二時といった頃合だろうか。辺りはしんと静まり返り、光も音も、なにも感じない。

「誰かいますか?」

 むろん、なんの気配もないのだが、まどかはそう、口にしていた 

『ぎゅむ』

 と、聞こえたのは鳴き声か、あるいは。

「誰?」

 ぼっぼ。

 聞き覚えのある音だ。火が爆ぜる様な独特の音。

 しかし、まどかの体から力が抜けることはない。

 そこで初めて、これが夢のなかだと、まどかは気づいた。

「泣いてるの?」

『ぎぃ』

 火の九十九神がまどかに走りよる。そしてぎゅっと足にしがみつくも、尋常ではない熱さから、まどかはその場に倒れた。

 しかし火の九十九神はまどかから離れない。まるで『お母さん』に甘えるかのように、まどかの足に体にしがみつき、離れようとしないのだ。

『ごめんなさい』

「え……」

 そうして火の九十九神の言葉が、頭のなかに流れ込む。ごめん、とは、イザナミに対するものだろうか。

『父上は母上を裏切った。わたしはそれが許せない』

 ぎゅうぎゅと鳴いているだけのそれが、まどかには理解できる。言葉として頭に響く。

『だからわたしがお守りします』 

 最後に大きく爆ぜて、火の九十九神は消え去った。 

「私、は……」

 火の九十九神を討伐することは、康仁を救うために必須である。しかし、火の九十九神はまどかを母親だと思っている。あまつさえ、まどかを守りたいだけなのだ。

「でも……」

 だが、まどかはイザナミではない。康仁もイザナギではない。

 生まれ変わりだからといって、まったく別の人生を歩んできたのだから、まどかも康仁も、それに囚われる必要はない。

 すうっと意識が消えていく。まどかは夢の世界から現実へと、意識を取り戻していくのだった。

 

 ハッと目を開けると晴明や黒雲、康仁までもが心配そうにまどかを覗き込んでいた。

「お目覚めですか」 

「晴明さん……私」 

「オマエはいつも大事な時に役に立たん」 

 憎まれ口を叩いてはいるが、康仁はまどかを心配している。それはまどかにも伝わったため、まどかは苦笑するしかなかった。

「まどかさん。うなされていましたが、大丈夫ですか?」 

「あ、うん……」

 まどかは康仁をちらりと見やる。夢のことを話すべきか迷って、まどかは話さない選択をした。

「大丈夫です。ちょっと嫌な夢を見て」

 まどかは嘘が下手だ。この場の誰もがそう思ったに違いない。目を泳がせ、いつもより早口に答えたまどかは、明らかに動揺している。

「……ならいいのですが」

 しかし、誰もそれに言及しない。それは、まどかを気遣いたかったからかもしれないし、単に新しい事実を知りたくなかっただけかもしれない。

 どちらにせよ、早く目的を済ませようと、四人は日の出と共に宿を出た。

 大きな鳥居が見えてきたのは、しばらく歩いた頃である。

 まどかも康仁も無言で足を止めた。

「あれが出雲大社……」

 思わずまどかが呟くと、康仁は再び足を進めた。晴明と黒雲はなにも言わずに康仁についていく。

 そうしてまどかもまた、大きな鳥居をくぐり抜ける。

 バリバリっとまどかの体に電気が走り、まどかは思わず目を閉じた。まどかだけではない、康仁も黒雲も、晴明までもがその衝撃に目を閉じ、やがてゆっくりと瞼を開けた。

「お待ちしていました」

 鳥居をくぐる前には、向こう側にひとなど見えなかった。だが、鳥居の真ん前に、その人物はいた。

 恰好から見るに、晴明と同じく陰陽師か、或いは単なる神主か。

「九十九神について、お聞きになりたいのでしょう?」

 神主が淡々と言葉にする。

「今は時期尚早。神無月にまた、いらしてください」

「神無月……?」

「はい。巫女さま。神無月には全国の神々が出雲に帰ります。ゆえに出雲では、神無月ではなく神在月といいますが」

 ふっと神主が笑う。かと思えば、すっとその姿を消して、まどかたちは呆けるしか出来なかった。

「晴明さん、あのかたは一体……」

「神々の遣い、といったところでしょうか」

「神々の?」 

 言われてみれば、晴明すら圧倒するなにかがあった。そもそも、人間は消えたりなどできない。

 晴明ですら不可能なのだ。

 とは言っても、普通の人間から見れば、晴明もあの神主も『異質』である。

 晴明の式神は一般人には見えない。ゆえに、晴明の屋敷の戸を開ける式神も見えなければ、馬のような空をかける式神も見えない。ただただ、『勝手に』戸が開いて、『ひとりでに』空を飛ぶ。それが一般人から見た晴明である。

「なんだか無駄足になっちゃいましたね」

 帰路は式神を使った。まだ昼間であるため、九十九神の出現の確率も低い。

「皇子さま。怒ってます?」

「別に。怒ってなどない」

 分かりやすいとまどかは思った。康仁は喜怒哀楽が読みやすい。とはいえ、最近はよくわからない行動や言動も増えた。

「まどかどの。帰ったらゆっくりおやすみください」

「ありがとうございます……」 

 神無月。十月のことだ。

 あと三ヶ月、どう過ごそうかと、まどかはぼんやりとそんなことを考えた。

 

 康仁の御殿に帰っても、まどかは寝付けない。

 そもそも、あんなにあっさりと帰ってきてよかったのだろうか。

「九十九神……神無月……」

 あの場でもう少しなにかを探せば、手がかりが見つかったのではないだろうか。

「出雲では神在月……」

 そもそも、晴明はすべてを理解しているような、そんな雰囲気すらあった。

 神々の遣い、あの神主は何者なのだろうか。

「消えた神主……」

 消えた、どこに?

「出雲大社は……神々の国と繋がってる……?」 

 考えれば考えるほど分からなくなる。分からないのだが、考えずにはいられない。

 十月には全てが明らかになるのだろうか。

「なにか……ヒントは……」

 神在月には出雲に神々が集まる。つまり九十九神も。

 そこを一網打尽にする、というのがあの神職の言わんとしたところであろうか。

「はー。眠れない」

 呟いても、誰が返事をするわけでもない。だがまどかは、一晩中考えた。考えていないと、どうにも落ち着きそうになかったのだ。

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