第23話

「言っている場合か!」

「構わない……。構わないわ。もう何も見たくない。もう、ここでわたしは終わる……。皆終わるの……。それでいい……!」

「うぉっ!」


 体をくねらせ方向転換した蛇を慌てて隆虎りゅうこが追い、その進行方向へ神気を宿した剣閃を閃かせ、動きを阻む。

 狗候くこうが抜けたせいで、隆虎が全てを対応しなければならなくなっている。

 図体が巨大なせいもあって、進路を阻むために必要な移動距離が長い。急ぐ必要がある。


「しっかりしろ、馬鹿者!」

「……」


 声をかけても、最早反応はない。見れば逢鈴あいりんの身体はいつの間にか蛇の中に半分ほど沈み込み、繋がっていた。さらに這い上がり、全身を飲み込もうとする蛇を神気で押さえつつ、狗侯は逢鈴を揺さぶった。


「よく聞け、愚か者が! 俺たちはここで、確実にこの蛇を滅して見せるだろう!」

「……だか、ら……?」

「飲み込まれて、死して――何も残さず、本当にいいのか!」

「……」

「仙界を恨むのなら、一矢報いて見せろ! 生きて、己の正しさを証明するがいい!」

「正しさ……。証明……?」


 薄く、逢鈴の瞼が押し上げられる。


「このままではお前は愚かな罪人として終わる! 己の正しさを信じるなら貫け! 仙界にこそ、その声を届けるがいい!」

「――……!」


 逢鈴の目が、開かれた。考えてもいなかった答えを与えられたかのように。


「貴様は声を上げる方法を間違えた。だが我等が主、煌天君こうてんくんは暗君ではない。その声に一考の価値があれば、一仙女でしかない者の言葉にも、耳を傾けてくださるだろう」

「……でも。もう……」

「そうだ。お前の愛した時間はもう戻らない」


 本当に望んだものは、もう戻ってこない。


「だからこそ、世に刻み付けろ! そしてお前が正しければ、お前に救われる者がお前を認め、その想いは連綿と受け継がれていくだろう!」

「あぁ……」


 その未来を思い描けたのか、逢鈴の声に柔らかな渇望が宿る。


「お前に救われた者は、お前に感謝するだろう!」

「ええ……。ええ、そうね。わたしの時間は戻らない。できるのは、お前たちが間違っているのだと世に刻み付けることだけ。そして――未来にわたしと同じ想いを生まないことだけ……」

「そうだ。そしてそれができる可能性があるのは、知ったお前だけだ!」


 その傷を訴えることができるのは、経験した者だけだから。


「わたしは――あぅっ!」


 目に生気を取り戻した逢鈴は、苦痛の悲鳴を上げて身を捩った。同化しかけていた邪気から抜け出そうとする意思が伝わり、取り込もうとしている邪気が抗っているのだ。


「貴様の咎だ、耐えろ!」


 逢鈴と蛇が繋がっている境目に手を置き、狗侯は己の神気を流し込む。


「ああぁぁっ!!」


 悲鳴を上げて仰け反る逢鈴の身体を、ずるずると片手で引き上げていく。不快な力に晒されて、下で蛇が鳴き喚き、身をうねらせる。


「大兄! 結界は張り終えた!」

「上々だ。こちらもすぐに片付ける!」


 力強く言い切ると同時に、ずるり、と逢鈴の爪先までが、ついに蛇の中から抜け出した。


「隆虎、犬寿けんじゅ!」

「おう!」

「はッ!」


 呼びかけた狗侯に応え、二人は各々の得物を白光させ、構えた。


「悪しき邪念の塊よ。その想いは、害成すために宿るものではない。――今は滅せよ!」


 ドッ!


 狗侯の剣が逢鈴の抜けた傷口を抉り、隆虎の大剣が腹を裂き、犬寿の鋼糸が暴れる蛇を絡め取る。

 最後の足掻きに体を波打たせながら――蛇はボロボロとその体をただの土塊へと変えていった。

 ややあって、最後の一塊になった土塊と共に、逢鈴を抱えた狗侯が落ちてくる。


「よー、兄貴。お疲れ」

「ああ。隆虎、犬寿、良くやった」

「己の始末に等しいことです。大兄の手まで煩わせて、申し訳ありません」


 労った狗侯へと、犬寿は深く頭を下げた。


「で、これからどうすんの」

「町の始末はここに住む者たちがやるだろう。俺たちの領域ではない」


 邪気は結界の内側にすべて留めたし、先程の一撃で綺麗に浄化した。今すぐ人が入って来ても問題がないぐらいだ。


「まーね。こっちはそうなんだけどね。何かこの国、迷走しそうだなあって思ってさ」

「……そうだな」


 時の王は、お世辞にも賢君とは言えなかった。翠蓮を失い、これからどう動いていくか。今の段階では予想が付かない。

 そして――


「……公主、様に」


 狗侯の腕の中で、逢鈴が掠れた声で訴える。


貴晶きしょう様に……ご挨拶を、させてください。あの方の心を、病ませてしまったのは、わたし……です、から」

「ああ。貴様にはその責任がある」

「会ってどうにかなるのかねえ」


 隆虎の冷やかな言葉には、誰もすぐには言葉を返さなかった。

 長い時をかけて、都合よく心に闇を育まれてきた貴晶だ。育んだ当人とはいえ、逢鈴の言葉に耳を貸すだろうか。


「どうにかする責任がある、と言った」

「兄貴……」

「罰と贖罪は別の問題だろう。救われるべき者を救うことは必要だ」


 罰は牢獄の中で受けるべきだが、贖罪を行うのには必ずしも牢の中である必要はない。


「他者への償いを心から望むのであれば。己の贖罪を果たす機会は与えて良いはずだ」

「甘い考えだけどな。俺ならてめーを傷付けた奴が心を救う機会なんて、与えられてるだけでムカつくわ。一生罪悪感にのたうち回ってろってのが精々じゃね?」

「……否定はしない」


 隆虎の感情は自然だろう。

 そして被害者こそを優先するべきだという意見にも否はない。

 それでも、望んでしまうというだけで。


(赦されなければ、世界は負に満ちるのみ)


 だからと言って必ず赦せというのは、あまりに酷だ。

 何を正しいとするべきなのか。おそらく型には当て嵌められない問題なのだろう。


「まあ今回は俺の問題じゃねえからね。兄貴がそうしたいって言えば、仙女崩れ一人の案件ぐらい煌天君も断らねえだろうし。貴晶が許せばいいんじゃね」

「何を言っている。煌様は誰か一人を特別扱いするような方ではない。誰が申し上げたとしても、それが考慮すべき案件であれば考えてくださる」

「あー。煌天君にとって考慮すべき価値がありゃあね」

「その通りだ」


 隆虎との感覚の乖離に気付かないまま、狗侯はうなずく。


「……他の誰かが言ったら、『下らん。適切に処せ』って言って終わるだけだと思うけどな……」

「一度もそう扱われたことのない大兄に、それを分かれというのは酷だ」


 息をつく隆虎に、犬寿の慰めが入る。


「何をしている、お前たち。戻るぞ」

「へーい」

「承知しました」


 促す狗侯に、隆虎と犬寿もそれぞれ応じて歩き出す。

 夜は、明けようとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る