第22話

「……」


 人界にて呪力を得た者もまた、仙界へと連れて来られる。

 例外はない。

 個人の事情が鑑みられることもなかった。それは確かに、非情だと言える部分があるだろう。

 憐憫を覚えなくはない。しかしそれでも狗候くこうは、仙界の正義を疑わなかった。


「己を律することのできなかった貴様が普通に生きたかっただけだなどと言ったところで、誰も信じはせん。やはり仙界での管理が必要だと言われるだけだろう」


 情に揺らぐことなく、断言する。


「お前たちのせいよ!」

「果たしてそうか!?」


 逢鈴あいりんを傷付けた、『今』の原因はそうかもしれない。


「では貴様は、もし人として生きていたとして。身近な者に何かしらの不幸が降りかかったとき、人としてただ受け止めることができたのか!」

「!」


 思いもよらない指摘だったのか、逢鈴ははっとして目を見開いた。


「他人によってもたらされた害なら、人ならざる呪力を使って復讐を考えはしなかったか! 事故であれば、何とかして不運を覆し、取り戻そうと考えたのではないか!?」

「そ、れは……」

「考えるのは当然のことだ。しかし、してはならぬことなのだ!」


 それは、人の常識からあまりに逸脱した力だから。人の生活の中に持ち込んではならない。

 だが人である以上、大切なものをどうして諦めることができようか。


「そんな、こと……」


 自分はやらない――とは、逢鈴は言わなかった。

 それがどうした――とも、言わなかった。

 人ならざる力が手に届く場所にあって混乱をもたらさないはずがないと、逢鈴も分かっていたからだ。


「っ……」


 だがぎゅっと唇を噛み締めただけで、認める言葉も吐かなかった。


「もう……遅いわ……!」


 そして自棄になったかのように、掠れた声で叫ぶ。


「呪われてしまえ! わたしに悲劇を与えた運命共々!」


 逢鈴の叫びに応えるように、土蛇が金切り声を上げる。


「っと――」


 うるさそうに片耳を手の平で塞ぎつつ、隆虎りゅうこは若干の共感を持った目で逢鈴を見上げる。


「兄貴の正しさは痛ェんだよな」

「ああ。まったく、耳が痛い」

「それはお前らが軟弱だからだ」

「だっから、耳が痛てーって!」


 勘弁しろと顔をしかめて言った隆虎の頭上に、影が掛かる。


「っと!」


 間延びした声を上げつつ、大きく下がる。隆虎が場所を空けるのと同時に、蛇の尾が地面に叩きつけられた。衝撃で大地が大きく鳴動する。


「下らん話は終いだ。隆虎、犬寿けんじゅ。始末するぞ」

「はっ!」

「サクッとやっちゃいますか!」


 犬寿は鋼糸を、隆虎は大剣を構えて己の神気を活性化させる。

 己への敵意を察したか、ほぼ同時に大蛇も己が溜め込んだ大量の瘴気を周囲に発し始めた。視覚には紫の靄として映ったそれを一瞥し、続いて蛇の背の上を睨む。


「犬寿、ここは良い。結界を張れ」

「分かりました」

「斬ったらドバーッていろいろ出てきそうだなー」

「だから結界だ」

「……つまり、それまでは斬るなってことな」


 所詮、半端な仙女崩れが生み出した邪妖。斬るだけならば獣神将たる狗侯や隆虎には容易いことだ。しかし溜め込んだ邪気が常識を超えていた。

 入れ物となっている土の大蛇を壊せば、瘴気が都中に広がってしまうだろう。

 それは歓迎できない。


「そう時間はかかるまい。凌げ!」

「了解!」


 応えた隆虎は一纏めに襲われないよう、狗侯から距離を取り始めた。

 一方の蛇がぐっと頭を反らし、何かを溜めるような様子を見せ――大きく開いた口から体内の瘴気を吐き出した。


「おっと」


 ぐるりと半円を描くように吐かれた瘴気を、隆虎と狗侯は神剣で斬り払う。触れる前から邪気は二人の神気に圧倒され、一瞬で浄化される。


「小出しで出してくれんなら歓迎すんぜー?」


 挑発するように手の平を上に向け、来来らいらい、と手招く。

 しかし生まれた以上蛇にも生存本能があるのか、怯えた様子でジリ、と後ろへ下がった。


「それ以上は下がるなよ」


 背後に回り込んだ狗侯が、軽く神気の波動を放って警告してやれば、急に熱いものに触れたときの様にびくりと体を跳ねさせ、身を捩った。

 拍子に、その背に乗っていた逢鈴の姿が目に入る。

 瘴気に当てられたのか。逢鈴はぐったりと蛇の背に倒れ込み、縋るように爪を立てていた。顔色も蒼白だ。

 彼女は罰されるべき罪人ではある。だが裁きも得ずに死してゆくのを見過ごそうとは思わなかった。

 己の意思によって行った暴挙による結末だ。同情の余地はない。


 ――しかし、哀れではある。


 彼女がなぜ暴挙に及んだか。

 悲しかったからだ。苦しかったからだ。

 許されるべきではない。しかし同時に、彼女の心もまた無碍にしていいものとは思わなかった。


「逢鈴!」


 名を呼び、狗侯は蛇の背へと飛び乗った。


「おい、兄貴!」


 下で隆虎が焦った声を上げたが、そちらの心配はしていない。自分の行動に合わせてくれるだろうという信頼もある。


(ちッ!)


 だがさすがに、瘴気の源に飛び込むのはきつかった。身に纏う神気と削り合って、じんわりと肌に汗が浮かぶ。蛇にも嫌なものが自分に張りついた感覚があるのか、大きく体をくねらせがむしゃらに暴れ出す。


「おい、兄貴! 勘弁しろよ!」

「少し一人で押さえておけ!」

「無茶苦茶すんなーッ!!」


 隆虎の叫びは無視し、狗侯は逢鈴の側に膝を付く。


(仙女崩れとはいえ、只人の身でよくこの場で息をしていたものだ……)


 もしくは元々、己自身も贄に捧げるつもりで覚悟をしていたのか。


「おい、逢鈴!」

「うっ……。く」


 抱き起せば、逢鈴は拒むように狗侯の胸を押しやろうとする。ただしその手には力がまったく入っていない。


「わたしに……触れるな」

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