第16話

「じゃ、じゃあお前、本当に痛み止めを処方するために、地上に降ったのか?」

「はい」


 隆虎りゅうこの確認に、犬寿けんじゅはうなずく。


「地上で大義なく呪力を使うのも十分な違反。許されぬことなのは分かっています。罰を受けて済む問題ではないことも。けれどそれ以外に私に償う術はなく、諦めることもできませんでした」


 許しを請う言葉を犬寿は口にしなかった。ただ静かに、詫びるためだけに頭を下げる。


「待て。邪術に手を出していないと言うのなら、邪妖の跋扈が貴様の責任とはどういうことだ?」


 人の世の薬草で、人の世の道具で、ただ可能な限りの知識を使ったというだけであれば、邪妖がはびこる道理はない。


「手を出していないわけではありません。そちらは翠蓮すいれんとは別件であったというだけのこと。あれを生み出したのも、間違いなく私です」

「何のためにだ」

貴晶きしょうのために」


 その名前を、ためらいなく犬寿は口にする。


(そうだ。元々、死臭を漂わせていたのは公主の方だった)

「惚れた翠蓮にならともかく、なんで公主に――ってのは、愚問か。脅されたか。翠蓮の側にいるために」

「……はい」


 己の意思でなく屈したことは、犬寿にとっても悔恨なのだろう。認めるのに一拍間が空いた。


「もうお分かりでしょうが、公主は現国王、可瑛かえいに大変可愛がられています。薬師一人の処遇ぐらいは、いかようにもできたでしょう」

「そのような感じだったな、確かに」


 為政者として、己よりも翠蓮の方が優れていることを可瑛は分かっていた。だからこそ彼女の判断には反感を覚えつつ従ってきたに違いない。貴晶の件についてもだ。

 だが面白くはなかった。その気配があの短い時間の接触でも察せられるぐらいに、可瑛の中では蓄積している。


「公主は己の美を維持し、さらに磨き上げるための霊薬を欲していました」

「美を維持って……。維持するような年齢じゃねーじゃん。まだまだ上り坂じゃん」


 呆れをそのまま声に宿して、隆虎は緩く首を左右に振った。しかし信じていないという様子ではない。

 狗侯くこうも同じだ。理解はできない。しかし、貴晶ならばあり得る気がしている。そう思わせる貪欲さが、彼女にはあった。


「理由をお見せしましょう」

「そうだな」


 もともと疑っていた相手だ。犬寿の証言だけでも十分ではあったが、万が一という事もある。自分の目で見て悪い事はない。

 仙界の法は人の世のそれとは違う。人へ裁きを下すのにいちいち証など必要としないし、誰に証明が必要なものではない。獣神将が必要だと思った、それで十分なのだ。

 仙界の裁きとは、人界にとっては神の裁きと等しいものなのだ。

 不要に力を使うことのない煌天君の指針のせいで、近頃は忘れ去られているようだが。


「今夜、桃晶宮とうしょうきゅうへとおいでください」

「桃晶宮というと、貴晶の宮殿だな?」

「はい。そちらの中庭にて、お待ちしております」

「んなことしなくても、今連れてきて、尋問させてくれりゃ片付くんだけど? お前ならどうとでも言い繕って連れてこられるだろ」


 脅していた理由である翠蓮の死は離反の疑いを与えるだろうが、すでに共犯の関係でもある。

 狗候たちの存在を使えば、一度ぐらいは信用させられるはずだ。


「なぜこの事態を招いたか。その原因を大兄には見ていただきたいのです」

「……まあな。それもあった方がいいっちゃそうだけどさ」


 相手に悟られていないからこそ見える本音もある。

 後々正しく裁くためにも、知って悪い真実などなにもない。それは隆虎も同意できる。

 ただ、あえて犬寿が望む理由は気になった。


「何。お前も見せたい感じなの。同情でもしてんの?」


 貴晶にか、それとも別の誰かにか。


「いえ、同情はしておりません。しかし大兄には見ていただきたい。煌天君の側に控える、貴方だからこそ」

「俺だからこそ……?」


 犬寿の言いように、狗侯は眉を寄せる。


「何か煌様に申し上げたいことでもあるのか」

「……いえ」

「何だ、その言い方は」


 歯切れの悪い犬寿の言い様に、狗侯は苛立つ。

 そもそも煌天君に対して思うところがあるような振りからして、狗侯には気に食わないのだ。

 臣下として苦言を呈するべきだと本気で思うならば、堂々とすればいい。

 煮え切らない犬寿の態度は、白と黒をきっちり分けたがる狗候の性格からすれば大層腹立たしい。


「私には分からなかったのです。だから、大兄に見ていただきたい」

「……?」


 だがどうにも、犬寿は本気で迷い、狗候に答えを求めているらしかった。


「大兄はきっと、間違わない。貴方は残酷に正しい。だから、見ていただきたい。煌天君もおそらくそのために、貴方をずっと傍らに置いておきたかったのでしょうから」

「……」


 犬寿の言葉に、狗候は無言で腕を組んだ。

 気に食わなかったからではない。分からなかったためだ。


(そうなのだろうか?)


 獣神将として招かれたはずなのに長く役目を与えられていなかったことは、狗侯の中で実は結構な不満であった。武人としての誇りを強く持っているからこそ、余計に。

 問いかけても煌天君は答えてくれなかった。だからずっと胸の内で納得できていない気持ちが燻り続けていた。それは否定できない。

 役目を与えられた今でもだ。


 犬寿の後を継いだのも、空席期間が大分長引いた後だ。仕方なしに、という印象が強かった。

 それでも煌天君が優れた主であることを疑ったことはなく、忠誠心にも変わりはないが――


(知りたい、とは思っている)


 行けば少しは、分かるのだろうか。

 犬寿は煌天君ではないので、彼の意図だけで煌天君の考えを決めつける気はない。ただ少しでも自分の納得できる答えが見つかればいい、とは思った。


「いいだろう。行こう」

「ありがとうございます。――では」


 己が伝えるべきことはすべて話したという様子で、犬寿は一つ、深々と頭を垂れて部屋を後にする。


「罠だったりして」


 犬寿が去った後。唇に意思の読めない曖昧な笑みを浮かべた隆虎が、不穏な言葉を口にする。ただしその口調も真剣さがなく、本気かどうかが判断しにくい。


「罠とは? 全てが作り話で、犬寿が俺たちを誘き寄せようとしているとでも?」

「じゃないといーな、つっただけだよ」


 振り返ってより明確な言い方で問いかけた狗候に、隆虎の答えはなおも誤魔化すものを含んでいた。

 実に煮え切らない。その態度に狗侯はむっとする。


「誤魔化すな」

「……まーね」


 狗侯の強い口調に、隆虎は諦めたように肩を竦め、適当な物言いを改めた。

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