第15話

「ん。客か」

「はいはい、どちらさん」


 獣神将である二人の元を訪れるのは、基本的に神官だけだ。なので隆虎りゅうこは相手を確かめる前に扉を開けた。

 何が出てきてもどうとでもできる、という自信の表れでもある。


「……私です」


 誰何もなくあっさりと扉が開かれたことに少し驚きながら、犬寿けんじゅはそう言って一礼した。


「犬寿!?」

「あれ。まだ葬儀中だけど。ここにいていいのか?」

「魂は無事に送れましたので。あとは残された者のための儀式です。私自身にはもう思い残すことはありません」


 驚きと警戒をもって相対する狗侯くこうと隆虎に、犬寿は真正面から静かにそう答えた。


「狗侯大兄。挨拶が遅れて、申し訳ありませんでした」


 犬寿が来る前から煌天君こうてんくんに仕えていた狗侯は、犬寿にとっても兄貴分にあたる。


「犬寿。どういうことか聞かせてもらおう」

「はい」

「ま、とりあえず入って入って。見つかるとウルセーのもいるだろ?」

「そうですね。では、失礼します」


 手招きつつ言った隆虎の言葉も否定しない。『見つかると煩い』相手と決別する覚悟をして訪れているということだ。

 犬寿を招き入れて、扉を閉じる。念のために防音の結界を敷いてから、狗侯はすぐさま本題へと入った。


「犬寿、貴様、この地で一体何をしていた」

「薬師をしていました。それに間違いはありません」

「仙界の秘術を用いてか」

「……はい」


 口調をきつくして確認をした狗候に、僅かな間を空けてから犬寿はうなずく。


「そいつは随分な名医だと、さぞかし重用されただろうなァ?」

「はい。皇太后、翠蓮すいれんの侍医になれるほどに」


 隆虎の皮肉に犬寿は微かに目を伏せて認める。

 その表情からも窺い知れた。犬寿は仙界の秘術を人間に施したことに、罪悪感を抱いていないわけではない、と。


「なぜ、そのような真似をした?」

「……彼女を、愛しておりました」

「うっ……」


 予想した通りの答えだと言える。しかし感情をこめて伝えられたその言葉は、馴染みのない狗候をうろたえさせるのに十分だった。


「大兄?」

「なっ、何でもない。……やはり、愛なのか」

「はい」

「そ、そうか」


 やや視線を泳がせつつ言った狗侯に、犬寿はくす、と小さく笑った。


「貴方は変わりませんね。人の世界にいると……貴方の純粋さが、とても懐かしく思えます」

「降りたのは貴様の意志なのだろう」

「はい」

「ならば今更泣き言を言うな。馬鹿者」


 思っていなかった部分を指摘されて、犬寿は目を見開く。

 仙界を裏切った事には心の底からの怒りを感じつつ、それでも純粋に犬寿の迷いを叱った。

 自分で選んだ道だろう、と。


「……はい」


 それが嬉しくて、つい、犬寿の表情は緩む。


「まったく、貴様等は揃いも揃ってヘラヘラと……。己の立場を分かっているのか?」

「分かってるだろうから大丈夫っしょ、多分。それとこれとは別なんだよなー。俺も兄貴に怒られんのは好きだから、ニヤける気持ちはよく分かる」

「俺は喜ばせるために叱っているのではないぞ。というか、怒られるのが好きだとは、どういうことだ……!?」

「違う違う、そうじゃねーって!」


 慄いた声を上げて身を引いた狗侯に、隆虎は慌てて否定した。


「本気で他人のことを想って叱ってくれる相手には、そうそう巡り合えないのですよ、大兄。私には親もいなかったので尚更でした。貴方が私のことを心配して怒ってくれるのが、とても嬉しかった」

「そうそう、俺もそう! たまに独善的すぎて『や、ソレ違げーし』」って時は聞き流してっけど。叱られっとやっぱイラっとすっけど、後になるとありがたかったりなあ」

「子どもか貴様等!」


 境遇に思うところがないわけではない。しかし年齢を考えればもう少し取り繕うことを覚えろと狗候としては言いたい。


「ままま、しょうの時代から生きてる兄貴から比べりゃ、俺らなんてまだまだガキっしょ」

「都合のいい時だけ未熟者になるな!」


 叱り飛ばしても、やはり効果はない。それが見るだけで分かる。溜め息をついて狗侯は諦めた。


「まあ、いい。話を戻すぞ。犬寿」

「はい」

「今この都に邪妖が跋扈しているのは、貴様が要因か?」

「……はい」


 今度の質問への肯定へは、少し間が空いた。しかし間違いなく、誤魔化すこともせず、犬寿は肯定した。

 想定はしていた。だが落胆せずにはいられない。


「申し訳ありません」

「それで済むと思っているのか」

「いいえ。時が来れば、どのような罰でも受けるつもりでした」


 許されることなど始めから考えていない。それでも薬師としてここにいたかったのだと、そう告げる。


「ま、覚悟の上のテメーはそれでいいんだろうけどよ。想い人の方はとんだ災難だな。テメーの知らないところで、邪術によって作られた霊薬を使われてたなんて。知らないまま逝けたのだけが幸いか」

「いえ。邪法を施した薬は渡していません」

「は?」

「どういうことだ?」


 犬寿は邪妖が跋扈している原因を、自分であると認めた。

 翠蓮の様子を含めて邪法が施されていたというのは意外ではあったが、理由は彼女以外に存在しない。

 そう考えていた狗侯と隆虎だが、犬寿からの否定に戸惑いの声を上げる。


「私が翠蓮に施したのは、生薬にて身体の気を整える物だけです。私自身の呪力による強化はいたしましたが、邪術の類は行っておりません」

「はァ!?」


 目を瞬いた狗侯の隣で、隆虎は更に遠慮のない声を上げた。


「だってお前、それじゃあ、ほとんどただの痛み止めじゃねーか!」


 獣神将という名誉ある役目を捨ててまで走った相手のためにしたことが、痛み止めの処方とは隆虎には信じられなかった。もっと強い効力のある霊薬が、いくらでもあるのを知っていたからこそ。


「人界の理に則った処置をと思っていました。その方が、彼女には相応しい」


 瞳を和ませ、ただ愛しい者の姿を瞼の上に描いて、犬寿は笑った。懐かしい、優しい思い出に浸りながら。


「人と違う特別を求める女性ではありませんでしたから」

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