第14話
翠蓮は生前、不必要な華美を嫌っていた。威厳を損なうことはしなかったが、過剰に金のかかる贅を望んだことはない。
その意思を汲むことを、暗黙のうちに皆が同意していた結果だ。彼女の葬儀は厳粛で荘厳ではあったが、粛々とした静かなものとなった。
人の行事なので、
(それと
準備中も宮殿内で見かけた犬寿の姿を思い出しつつ、狗候は眼下の様子を眺める。
「……うーん。ありゃ本気かね」
「本気? 何がだ?」
窓枠に肘を乗せつつ言った隆虎に、狗侯は何の事だかが分からずに聞き返す。
「犬寿の方だよ」
「どうかしたか」
「いやだからね、犬寿は本気で翠蓮に惚れてたんかもなーって」
裏切りの理由として最も濃厚だと考えていたのはそうだ。だがここにきて確信めいた言い様になったのは気になった。
「なぜそんなことが分かる? ろくに話してもいないというのに」
「だって逃げるには最後の機会だもんよ。でもあいつ逃げようともしねえから。むしろ最後の時間を大切にするのに全力だから」
「それは……そうだな」
犬寿が献身的に尽くしているのは見れば分かる。
(大切だからか)
そうと言われれば理解できた。
「しかしまさか、本当に女に迷って獣神将の役割を放り棄てた、などということは、まさか……」
まさかと思いたいが、気持ちが本当であると見せつけられればもしやとも思う。
「さあね。本当に犬寿が翠蓮に惚れてたんだとしても、出てったのが先か会ったのが先かなんて分かんねーしさ」
別の理由である可能性も残っている。
「ま、上手くいきゃすぐ分かるさ。つーかそうなってほしい」
「すぐ? なぜだ」
「犬寿がここにいる理由が翠蓮なら、もう理由がねえからさ」
「ああ、そうか」
さすがに、死者よりは誇りある役目を優先するだろう。元は役目に忠実である人間しか選ばれないのだから。
そう思うのは、狗候の願いが入っているからでもある。
獣神将を選ぶのは、仙界の主である煌天君だ。狗侯は己の主である煌天君の目を疑っていないし、過去の犬寿が役目に忠実であった頃も知っている。
狗候にとって獣神将の役目には、あらゆることより優先するべき大義がある。だからこそそれを軽んじ続ける真似をしてもらいたくない。
かつて同じものを見て、同じ意志を共有した同志だからこそ、尚更。
「ま、それでも死者を優先する可能性がない訳じゃねーけどな」
「もういない者をか? 獣神将とまでなった者が、そこまで己の役目を蔑ろにするというのか」
「んー。そこんところは兄貴も分かるんじゃね? 煌天君が死んで、別の仙界から声かけられても、兄貴だってホイホイ乗ったりとか――うぉっ!」
気付けば喉元に剣の切っ先を突きつけられていて、隆虎はぎょっとして飛び退いた。
「貴様……。今、自分がどれだけ不敬なことを口にしたか理解しているか?」
「もしも! もしもの例え話な! 俺だって自分の命の前に主に手ェ出させるようなことしねーから!」
「ふん」
本気の怒りを湛えた狗侯の瞳に冷や汗を流しつつ、隆虎はそう弁解した。
「だ、だからな? それぐらい忠誠誓ってたら、相手が死んだからってすぐ意識の切り替えはしないだろって話」
「……」
無言で、狗侯は考えてみた。
考えるだけで不快ではあったが、確かに――
「そうだな」
その通りだと、うなずいた。
「だろ?」
「しかし、獣神将が人間にそこまでの忠誠心を抱くとは考え難いが」
「いやそれも人によると思うけど。今回的にはそこを愛に置き換えるんだって」
前半の言葉に一瞬むっとしたが、続く言葉に意識を切り替えて思いを馳せてみる。
「……愛か」
「そう、愛」
「……良く分からん」
「結局そこに戻ってきちゃうわけね」
狗侯に否定はできなかった。何しろ本当に自分の知らないものだ。否定のしようがない。
理解できない悔しい気持ちが生まれる。
「んじゃ、俺に愛されてみる?」
「はぁ?」
隆虎の提案に、狗候はまま意味が分からない、といった声を上げた。
まじまじと顔を見詰めてみても、意図の読めない人をくった笑みのまま崩れない。
「自分がやられてみれば分かるかもしれねーぜ?」
(要は、振りで感覚を掴めと言いたいのか?)
自分から持ち掛けた以上、隆虎には演じ通す自信があるのだろう。
少し考えて、首を横に振った。
「止めておこう。知ったところで、犬寿の心の内が分かるわけではない」
今よりは近付けるのかもしれないが、所詮は紛い物。一体どれ程のものか。
「ま、そーだな」
狗候が断れば、無理に固執することはしなかった。ただし、少し残念そうではあったが。
「お前は時々、奇妙なことを言うな」
「そーかあ?」
「俺など口説いても、お前は楽しくもないだろうに」
何となくだが、任務の為のみの提案ではなかったように感じた。
隆虎も認めたように、それは犬寿の想いに正しく近付く手段ではないからだ。
「……まあ、楽しくはない」
「そうだろう」
「ただ、俺には悪くねー手段かなって……。いや、何でもね。ちょっとどうかしてるわ」
はあと息を付き、緩く首を振って自分の思考を振り払う。
「それより今は、犬寿のこと、だよな」
「直接話を聞くしかないのだろう。できれば向こうから来てもらいたいものだ」
「そうだな。上手く行けば公主たちを相手にするまでもなく、トントン拍子で事が済むさ」
「そう願いたいものだな」
狗侯は獣神将であることに、強い誇りを抱いている。
犬寿の裏切りは心底腹立たしい。だからこそ裏切りの内容は一つでも少なくしてもらいたかった。
(無論、脱走の事実は変わらん。どのような理由だろうと今さら許されることではないが)
忠誠を誓ったはずの主を捨て、大義を裏切った行いが狗候には理解できないし、許せない。
再度胸に憤りの炎を滾らせたところで、静かに扉が叩かれて人の訪れが告げられた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます