第13話
「あー、良い女だったなー。あと五十、四十若けりゃときめいてたかもなー」
「お前はまた、ふざけた物言いを……。男か女かではない。年齢でもない。人柄の持つ魅力だろう」
「いやいや、性別は結構重要よ、俺の中では。んー、でもまあ」
ほぼ反射に近い速さで否定してから、途中で考え直したように言葉を濁す。
「本気ならそーかも」
「そうだろう」
「兄貴もそうなん?」
「何がだ」
「本当に魅力的な相手なら、性別は問題にしねーって」
「当然だ」
当然の問いに当然の答えを返したか如くの即答と断言だった。
「うわ、分かんねー……」
「だから何がだ」
「分かった上での答えかどうかってこと。例えば、
「はァ?」
たとえにしても、狗候の中では意識の外に過ぎた。
「たとえばだよ。兄貴は煌天君のこと好きだと思うけど」
「敬愛している。煌様のためならばこの狗候、いかなる労苦も惜しみはしない」
「知ってるー。で、それが敬愛だけじゃなくて愛情で、煌天君もそうだったら? ってこと」
「……『たとえば』だな?」
「そ。『たとえば』」
(他者を引き合いに出して求めるには、甚だ無礼な妄想だが)
己にとって最も特別なのが煌天君であるのは間違いない。だから隆虎も名を挙げたのだ。
(もし俺と煌様の間にあるのが、恋を含んだ愛情であるのなら)
少し考えて、すぐに答えを出した。
「問題ないな。愛しているならば自然、相手を欲するだろう」
「あ、そ、そーなんだ」
狗候が拒絶しなかったことに、隆虎はどことなくほっとした顔をする。
「何だ。今のはお前自身の話か? ならば俺相手に妙に気負うのは不要だ。己の心が真なら、堂々としていればいい。他者を愛する美しい想いを、否定する理由などあるものか」
そこにある形は何も変わりはしない、というのが狗候の考えだ。
「だが好まぬ者に認めろと要求するのは止めろよ。ただ互いに否定しなければいいだけのこと。推奨されていたわけではないが、珍しいことでもないだろう」
「え。兄貴の時代ってそーなん?」
「時代というか、戦場だな」
「あー……」
納得して、隆虎は何とも言えない声を出す。
「実は兄貴も結構誘われたんじゃね?」
「それなりには。俺の方に用はないから断ったが」
それが穏便な『話』だけで片付かない事態もあったのは、狗候が浮かべた獰猛な笑みで察せられた。
「ちなみに、煌天君からって……」
「ない。床を共にしたことはあるが、それだけだ」
「あ、それは分かる。護ったんだな、多分」
「そういう意図もあったかもしれんな。まったく、煌様は時々過保護に過ぎる」
苦笑をした狗候も否定はしない。分かった上で、煌天君の心配に配慮して甘んじていたのだろう。
おそらく、自身でどうとでもできるという自尊心を多少飲み込みながら。
「話が逸れたな。俺のことはどうでもいい。それより犬寿だ」
「ああ、そうだね。あれはさ、もしかしたらがあるかもと」
「お前と同じように、
規則を破り、仙界の霊薬を与える程に。
狗候の意識はすでに犬寿の思考へと移っていた。しかし引き合いに出された隆虎は焦った声を上げて否定する。
「待て待て。惚れてないよ。俺別に惚れてないからね、兄貴。大体、女に迷って獣神将辞めちゃうとか、どんだけよ」
「四、五十若くてもか?」
犬寿が仙界を離れたのは、それぐらいだったような気もする。
直前の言葉を借りて訊ねても、隆虎は冷笑を浮かべてきっぱりと否定してきた。
「ないね。俺、女は好きだけど迷うことはないよ。多分、嫌いでもあるから」
「……好き、なのに嫌い?」
「あー、兄貴は気にしなくていい。誰かに惚れたことなさそーな兄貴に分かるわけない」
苦笑して隆虎は首を振った。
「確かに俺はその、いわゆる恋、とか、そういうものを感じたことはないが……」
「うん無理しなくていいから。惚れたことない分、兄貴が惚れたらどうなるか想像つかねーけど。とりあえずないと仮定してだ。俺や兄貴がないからったって、犬寿がどうかとは全然別の話だから」
「それはそうだな」
『愛』という名前は同じでも、誰もが同じ行動で指し示すものではない。伝え方、示し方は人それぞれだ。
「つーか、何度も言うけど俺別に惚れてないからね。もっかい言っとくけど、惚れてないから」
「しつこい。分かった。大体俺に言い訳をする事でもないだろうが」
「仕事に支障が出ない限り、兄貴が気にしないのは分かってるよ。俺がしたいの」
隆虎の言う通り、個人の趣味嗜好の部分に言及するつもりは狗候にはない。
ただ、違うことを思い込まれているのが面白くない気持ちも分かる。
「分かったと言ってるだろ。お前が俺に嘘を付く理由もない」
「そりゃそうなんだけど。……まあいいか。信じてくれたんなら」
それはそれで複雑そうに溜め息をつく。
「……?」
他人だから当然ではあるのだが、隆虎の行動は狗候にとって不可解であることが少なくない。
しかしそれも任務に支障をきたさなければ問題がないので、深く考えはしなかった。
「そろそろ公主の部屋だぞ。気を引き締めろ」
「へいへい。んじゃ、改めまして、っと」
隆虎と狗侯が近付いていくと、用が済んだのか、丁度
「あ……」
「……」
犬寿はすぐに狗侯たちに気がつき、頭を下げる。犬寿の呟きを耳にして振り向いた逢鈴は、思いきり嫌そうな顔をして申し訳程度に頭を下げた。
「よー、数十分振り。話は行ってるはずだよな」
「……ええ。お聞きしました」
「じゃあ、通してくれんね?」
「翠蓮様のご命令とあれば、仕方ありません」
最早取り繕うこともせず、現世の権力を優先する台詞を逢鈴は口にする。王からしてそうだったのだから、もう驚くことはないが、不快ではある。
(ちっ)
苛立った気分で、舌打ちをする。
「じゃ、お邪魔します、っと」
ふざけた口調で隆虎が逢鈴の横をすり抜け、扉に手をかけたその時。
「――け、顕寿様! こちらにおられますか!?」
「?」
慌ただしく駆けてきた官吏の姿に、狗侯と隆虎も動きを止めて振り返る。
「私はここに。何があったのです?」
「すぐに来て下さい! 翠蓮様が倒れられたのです!」
官吏の言葉に犬寿は息を詰め、絶句した。言葉を発そうとした唇がわななき、しかし形にはならない。
狗候たちにも動揺がないわけではなかった。何しろ、つい先ほど会っていた相手だ。
到着とほとんど差がなかったということは、狗侯たちが去ってすぐに倒れたのだろう。
驚きはあるが、いつ起こってもおかしくなかったとも分かっている。つながりが薄いこともあって、狗候と隆虎の動揺は一瞬だった。
しかし隣でその報告を聞いた犬寿の反応は激しい。二人が冷静に返った後も、彼の動揺は収まらない。
「――分かり、ました。すぐに戻りましょう」
二呼吸程の間を置いて、震える声のまま絞り出すようにそう答えた。
「逢鈴様、貴晶様にもご同席頂けるよう、お願いいたします」
「分かりました。参りましょう」
続けて官吏に言われた言葉に、逢鈴は即座にうなずいた。ここで狗侯たちの尋問を受けるよりも、翠蓮の見舞いに行っていた方が良い、ということなのだろう。
「兄貴、親族が呼ばれるってことは……」
「ああ。おそらく」
隆虎は先を濁す。狗侯もその先は口にしなかった。
犬寿の動揺が全てを物語っている。専属で翠蓮の状態を診てきたのだろう犬寿が、その死期に気付かないはずがない。
覚悟はしていただろう。だがそれで心の痛みが和らぐわけではない。
「戻るぞ」
哀悼の儀を邪魔するような真似は、さすがにしたくなかった。親しい者が亡くなろうとしている今、そして亡くなった直後。悲しみに暮れる時間はあっていいはずだ。
誰であっても、その最期を冒涜してはならない。
「あァ」
同じ思いなのか隆虎も言葉少なにうなずいて、広い廊下を後にする。
――その日の夜、翠蓮は静かに息を引き取った。
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