第12話

(馬鹿者め。仙道の秘薬を人に与えるとは、何事だ)

「兄貴」

「何だ」

「俺まだよく知んねーんだけどさ。もしそれを犬寿が作ってんなら……どんな作り方すんの」


 狗候くこうは規則を破った犬寿けんじゅに腹を立てたが、隆虎りゅうこの思考は一歩先にその次へと向けられた。


(作り方……)


 問う隆虎の口調で、彼が何を懸念しているかが狗候にも察せられた。

 霊薬にも様々な種類がある。仙界にしか存在しない薬草を使う物や――人の魂や肉体を使う邪法まで。

 犬寿が邪妖を作ったときに魂を抜いた理由がそこにある可能性を考えたのだ。

 薬そのものを見たわけではないから、もちろん断言はできない。だが狗候は半ば確信をもって首を横に振る。


「心配ない。人の命を使う類のものではなさそうだ」


 生命というのは強い力を持つ。

 それほどの対価を使った薬ならば、翠蓮すいれんはもっと健やかに過ごせているだろう。

 同時に清浄ではいられない。同族の命を喰らうというのはそれだけ罪深い行いでもある。


「そっか」


 狗侯の答えに、隆虎はほっとした表情を見せた。

 人の命を使った霊薬で他者を生きながらえさせる――という、何ともおぞましい事態に陥っていなかったという安堵だ。


「獣神将様……?」

「いや、何でもない」


 たとえ犬寿によって霊薬を与えられているとしても、知らなければ翠蓮に罪はない。本当に知らないかどうかは後で調べなくてはならないが、今は貴晶きしょうの方が先だ。


(この老女の気は、乱れてはいるが澄んでいる)


 獣神将の眼をもってすれば、体内を巡る気からその人となりを察せられる。

 心が歪めば気も歪む。翠蓮の身体を巡る気は融通が利かなさそうな真っ直ぐさはあるが、清廉でもある。


(おそらくそう言った人柄なのだろう)

「要件に入ろう。調べたい相手ができたのだ。ついては王たる貴殿から話を通してもらいたい」

「承知いたしました。して、その相手とは?」

「貴殿の娘である、公主貴晶だ」

「何と……?」


 狗侯の告げた名前に対する可瑛かえいの反応は、戸惑い、と言ったところだった。


「俺等から行っても仮病使われて出てこねーのがオチだからさ。国の王のあんたからの命令で頼むわ」

「そ、それは……。いえ、しかし、貴晶がとは。その、気のせいではありませんか?」

「何だと?」


 従順だった可瑛の突然の拒否に、狗侯は苛立つ。


「貴様は何を言っているのだ」

「貴晶は見ての通り、親の私が言うのもなんですが大変な器量良しで、獣神将様方が危惧されるような、恐ろしいことをするような娘ではありません」

「……」


 可瑛が貴晶を物凄く可愛がっていることだけは、よく分かった。

 同時にこれまでの態度が表面的なものだけでしかなかったことも。

 可瑛は狗候たちの言葉を信じていない。


「うーん……。仙界の権威は落ちも落ちたもんだなー。そろそろ手を打つ必要があるかもだ」


 可瑛の言葉に狗侯は顔をしかめて腕を組み、隆虎は苦笑いをする。


「貴晶は何もしておりません。私が保証します」

「邪妖の発生を止められていない貴様の保証など、何の価値もない」


 この分では娘にまとわりつく死臭にも気付いていないだろう。

 何に気付くこともできない者が、一体何の保証をしようというのか。


「……なんと、そのような……」


 容赦のない狗侯の断言に、可瑛は鼻白む。

 可瑛は一国の王だ。傅かれるのが通常の生活をしてきている。

 大して敬ってもいない仙界の使者にここまでへりくだった態度ができただけ、上等だったのかもしれない。

 だが少しでも自身の意思と反する点が生まれれば、すぐさまこうして露呈する。


「話にならんな」


 可瑛の表情を見て、狗侯は苛々と吐き捨てる。


「ま、仕方ねー感じだね。分かった、用件はそれだけだから、無理には頼まねーさ」


 穏便な方法を取ろうとしたのは、むしろ慈悲だ。叶わないのなら力尽くでも成し遂げる。

 それこそが仙界の存在意義であり、人界のためでもあるからだ。

 隆虎も早々に諦めて、席を立ちあがる。二人が腰を浮かしたかどうか、という瞬間に。


「お待ちください」


 声を上げて、狗候と隆虎を引き留める者がいた。

 初めの挨拶以降黙ってやり取りを見ていた翠蓮だ。いきなり声を出したせいだろう、小さく咳き込む。


「母上、無理は……」

「良いのです。そもそも、今わたくしに無理をさせたのはお前ですよ、可瑛」


 気遣おうとした可瑛を遮り、逆に叱りつける。


「国の主ともあろう者が、身内可愛さに走った愚答。お詫び申し上げます。貴晶にはわたくしから命じましょう。――使いの者を向かわせなさい。すぐに」


 翠蓮の視線は可瑛を素通りして、部屋の隅に待機していた侍従に向けられていた。


「はっ」


 自らが命じられたことを理解して、侍従は慌てて敬礼をすると部屋を出ていく。


「母上……」


 それに非難の声を上げたのは、可瑛だった。


「何もなければ、何もありませんよ」

「しかし、良い気持ちはしないでしょう。私は貴晶の憂い顔を見たくないのです。身に覚えのない罪で疑われるなど、あまりに理不尽ではありませんか」

「あー、もう完全に面の皮が剥がれて来たね」


 まだここに狗候たちがいるにもかかわらず、可瑛は本音を零し始めた。


(信じていないのもそうだし、隠しきることもできんとは。王としてもいかがなものか。どのようなときでも、煌天君が不要な悪意を相手に悟らせることなどなかった)


 まさか人界で見た愚かな王の姿に、主の英邁さを再確認することになるとは思っていなかった。


(優れた主を戴けた俺は、幸運だ。仕えるのを許していただけたことも)


 重用されていないことに不満を覚えた自分を恥じ、心を新たにすることを誓う。


「愚か者。娘可愛さに曇ったその眼では、何も見えません」


 息子が不満を抱いたその原因を、翠蓮は指摘して取り合わない。

 地位は翠蓮よりも可瑛が上だ。しかし可瑛は翠蓮の言葉に押し黙った。


(……ふむ)

「少し、思い違いをしていたか」

「だな。蒼国が安定してんのは、多分彼女のおかげだなー」


 為政者として可瑛は凡庸よりもやや劣る程度、と判断する。

 救い難いほど悪いとまでは言い切れないが、本来席に座れるだけの才覚は備わっていない。

 少し大きな国難に見舞われたときには、切りぬけるだけの力もないだろう。


「母上……」

「可瑛。お前が子らに愛情を注ぐのは、それだけわたくしがお前を寂しくさせたということでしょう。その点に関しては我が身の不徳を恥じるしかありません。ですが、お前は王です。子どもを愛するのは良い。けれどそれ以上に、民と国を愛しなさい」

「……承知しております」


 不満をありありと宿したまま、しかし可瑛は翠蓮に逆らわない。表面だけは。

 それが分かるのだろう。翠蓮も眉を下げて長く息を付く。


「わたくしは、お前が心配です」

「ご心配なく。母上はただ、体を労わってください」


 翠蓮の言葉には本気の気持ちが滲んでいたが、受け取った可瑛の言葉は空々しい。

 だからこそ、翠蓮も気掛かりなのだろう。

 ともあれ、目的は達した。狗候たちは今度こそ席を立つ。


「じゃ、俺たちはこれで」

「あまり無理をするなよ、皇后」


 もうそれで楽になったり寿命が僅かにでも伸びるような段階ではないと分かっていたが、それでも狗侯は自分を労わる様にと翠蓮に求める。

 この老女が、少しでも楽に、穏やかに逝ければ良いと思って。


「ありがとうございます、獣神将様」


 狗候が本心から自分を労わっているのを悟って、翠蓮は微笑みと共に頭を下げる。

 人の厚意への感謝を述べたその微笑は、とても美しかった。

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