第10話
「姫様は伏せっておいでです。お会いすることはできません。お引き取り下さい」
翌日
貴晶の側仕えである
一瞬唖然として、それからきつく眉を吊り上げる。
「貴様、自分が何をしているのか分かっているのか」
仙界から遣わされた使者の訪問をたかが一国の公主が断ろうとは、随分な思い上がりだ。
しかもそれが嘘偽りともなれば、誠実さの欠片もない。
苛立ちと怒りで多分に脅しも入った狗候の文句に、逢鈴は深々と頭を下げる。しかしその表情も対応も変わらなかった。
逢鈴は仙界を畏れていないし、敬意を持ってもいない。
「無論にございます。公主に仕える侍女として、主をお護り申し上げているだけのこと」
狗候からすれば、その時点で優先順位がおかしい。しかし逢鈴は自らの行いにまったく疑いがない。
不敬を恥じるどころか、呆れたような眼差しさえ送ってくる。
「何も、お会いしないと言っているわけではありません。本日は体調が思わしくなく、お会いできないと申しております。徳高き獣神将様が、まさか、体調を崩した女人にそのような無体をなさることはないでしょう?」
「この……!」
それが事実ならば、狗候とて一考する。
だが逢鈴は空々しい嘘であることさえ隠そうとせず、断っている。いくら待とうが会えることはないだろう。
勝手はしないと言ったことを思い出し、狗候はどうにか怒鳴りつけるのを留まった。そして隣の
少し思案する様子で逢鈴を見詰め、それから口を開こうとしたところで。
背後に人の気配を感じて振り返る。その視界の先では、動揺を露わにして目を見開き動きを止めた
「貴様!」
貴晶たちへの働きかけはともかく、顕寿への追及はまた別件だ。
(やはり、
近くで見えて確信する。
なぜ人界にいるのかを問い質そうと、狗候が口を開く前に。その気配を察して顕寿の方が先に動いた。
「これは――獣神将様」
こちらも実に空々しく、犬寿は深々と一礼をする。先程の動揺は予期せぬ尊い相手と会ってしまったからだと主張するように。
「下らない真似はやめろ、犬寿」
しかし一方の狗侯は、間近で見た姿にすでに確信をしている。
間違いなく前任の犬の獣神将である、犬寿であると。
「貴様、こんな所で何をしている」
「蒼国の薬師をしております」
答えてから、微かに首を傾げ。
「それとも、公主様の部屋の前で、という意味でしたか?」
どちらも違う。
あくまでもしらを切ろうという犬寿の答えに、狗侯が怒鳴るよりも早く。
「姫様の診察のために、顕寿殿をお呼びしたのです。さあ、中にどうぞ、顕寿殿。獣神将様方は、どうぞお引き取り下さい」
真実なのか犬寿を庇うためなのか、もしくは狗候たちを一刻も早く追い払いたいのか。
言った逢鈴にうなずいて、犬寿も部屋へと退避しようとする。
「何を……!」
「兄貴、いいよ、引こう」
「隆虎」
つい一歩踏み出してしまった狗候の肩を掴んで物理的にも止めながら、隆虎は引き下がることを選択した。
「それでいいのか」
「そうだね、今はね」
「分かった」
隆虎の判断に従うことは前日に決めている。狗候も大人しく引き下がった。
「お騒がせしましたー。んじゃ逢鈴殿、公主によろしく。すぐにまた来るんで」
「……そうお伝えしておきましょう」
ひらりと手を振った隆虎へと、逢鈴は狗候に対するものより慎重な警戒を覗かせて応じる。二人へ丁寧に一礼すると、自分と犬寿のために部屋の扉を開いた。
「さあ、顕寿殿。どうぞ中へ」
「ああ」
促され、犬寿は扉の奥へと歩みを進める。訪れ慣れている気配があった。
その様子に狗侯は再び物問いたげに口を開きかけたが、結局、何も言わずに隆虎についてその場を立ち去った。
「どうするつもりだ。あの様子では時間を置いても無駄だぞ」
こちらを軽視する対応からして、ずっと体調不良を貫くだろう。別の言い訳を用意する手間さえ惜しむ様子がありありと想像できる。
「だろうなー」
「いっそ力尽くで踏み込んでもいいのではないか」
今も邪妖に脅かされている民のことを考えれば、むしろ踏み込むべきだと狗候は思う。
「それも無しじゃねーけど。あんま横暴な印象が横行すると後々面倒だからなー。適度は有りだけど」
事実仙界は人界の理では動かない。必要と思えば、横暴であろうとも暴力を使ってでも事を成す。
畏れはいい。しかし単純な悪印象だけが積もると困るのだ。後の干渉に支障をきたすという意味で。
「出来れば協力関係にあるまま地上の均衡を護りたいというのは、俺も同様だ。ではどうする」
「んー。とりあえず、王に面会の許可を貰うってのはどうだ? テメーの上からの命令なら従うだろ」
隆虎の言葉に、狗侯は不快気に眉を寄せた。
薄々感じてはいたが、言葉にすると不快感が増す。
「我等獣神将よりも、人間の王の方が上だと?」
「そりゃ、俺たち敵だもんよ。敵からの感情なんて大して気にしゃしねーだろ」
狗候は腹の底からの不快感を口にしたが、隆虎の方はさらりとしたもの。
「それは……そうかもしれん。しかし、本気なのか? 人はいつからそれほど愚かになった」
出来る限り人間に関わらないようにしてきたのは、仙界側の配慮だ。
その気になれば国の一つや二つ一昼夜で滅ぼせるし、必要があれば実行する。
しかし抗えない暴力が常に首根っこを押さえていては心休まるときもないだろう。ゆえに、基本的には人界には立ち入らない。
人の世は人の規則で動かすべきでもある。
仙界がかかわるのは、生者の世界の理のみで十分なのだ。
しかし理だからこそ、己を含む全ての人々を護るために従ってもらわねば困る。
「ま、仙界はずっと上手くやってたから。ここしばらく人間界と派手に関わるような事態も起きてない。忘れられても無理ないんじゃね」
人間には寿命がある。世代を経るたび、忘れてはならない歴史も薄らいでいってしまうのだ。
それを防ぐために記録があるはずだが、完全に機能しているとは言い難い。
「……納得いかん」
不機嫌な声で唸った狗侯に、隆虎もにやりとやや意地の悪い笑みを浮かべた。
「思い出してもらう時期としちゃ丁度いいんじゃね?」
「忘れる方が奇妙だと思うが、どうしても忘れて思い出さねばならないというなら、正に今すぐ必要だろうな」
事は現在起こっているのだから。
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