第9話

「そりゃそうなんだけど。でも」

「何だ」

「そこで『民が』が一番始めに出てくる兄貴が、やっぱ俺は好きだよ」


 生きている間に狗侯くこうのような上役に出会えていればもう少し人生楽しかっただろうに、と隆虎りゅうこは思う。煌天君こうてんくんに見い出されて、そこそこ楽しく獣神将もやっているのでそれはそれでいいのだが。

 しかし、万感の想いを込めた隆虎に、狗侯は疑わしそうに眉を寄せ。


「貴様の好意は、どうも俺が知るものと違う気がするぞ」

「え」


 指摘をされ、隆虎はうろたえた声を上げる。その様子はより狗候に確信を与えた。


「好意を持っている相手への物言いは、もっと誠意に満ちたものになるだろう」

「あ、あー、そういう意味でね。うん。それはちょっと、性格の違いって奴で」


 ほっとしたような、残念に思ったような。複雑な声音で隆虎は狗候の言を否定はせずとも肯定もしない。


「まあ確かに、俺の兄貴への好意は兄貴が知るものとは違うかもなー」

「……だが、好意なのか?」

「好意だよ。間違いなく。それは本当」


 いつもの腹に一物あるような人をくった様な笑みではなく、隆虎は柔らかく微笑んだ。

 それは狗候にも覚えがある表情だった。


「まあ、信じてやる」

「そりゃどーも。でも何で」

「今のお前が俺を見る表情は、煌様と似ていた」


 煌天君からの愛情を、狗候は疑わない。


「あ、納得した」


 そして隆虎も現実に引き戻された様子で苦笑しつつうなずく。


「うん。多分そう。兄貴が正しい。俺と煌天君の好意は一緒だよ。きっとな」

「それは不遜だ。改めろ」

「へーい」


 同じである確信があるからこそ、隆虎は否定しなかった。

 ただし、どこへ向けてかも曖昧なまま、僅かに苛立たしげに。




 宴の終わりと共に、隆虎は炊事場へと足を向ける。上の人間の口は利権をちらつかせて固く口止めできても、下の人間はそうはいかない。

 さらに言うなら上の人間が思うよりもはるかによく見ていて、様々なことを知っていたりするものなのだ。

 狗侯も隆虎に付いて後ろに控えてはいたが、先の約束通り口を出すつもりはなかった。


 そして現在感嘆させられている。

 炊事場の使用人たちは始め、獣神将の証である隠しようがない獣性に気後れしていた。だが今は大分滑らかに口が動いている。

 彼らの警戒をほぐしたのは隆虎の話術と表情、纏う空気感そのものだ。


(見事だ)


 端で見ていると、その一言に尽きた。

 認めざるを得ない。狗候一人では不可能だっただろう。


「へー。じゃあ公主と側仕えの侍女って、ちっちゃい頃からの付き合いなんだ」

「ええ。どこに行くにも、何をするにもご一緒だったわ」


 長く一緒にいるだけではない、親しさを証言される。役職以上の信頼関係が二人にはあると考えていい。


「最近、何か変わったことない?」

「変わったってほどじゃないけど、数ヶ月前から逢鈴あいりん様――あ、侍女の方だけど。逢鈴様が、薬師の顕寿けんじゅ様と懇意になさっているみたい」

「!」


 それを特別だとは思わず、下働きの娘がさらりと口にした名前に隆虎と狗侯は揃って息を飲んだ。


(顕寿、だと……?)


 それは前任の犬の獣神将と同じ響きを持つ名前だ。


(だが、まさか、しかし……)


 狗侯が見間違えるほどに似ていたあの男が、件の顕寿である確証はない。

 しかしもし彼が薬師の顕寿だとすれば、顔も名前の響きも同じ者が、そうそう存在するだろうか。


「あ、あの。何か……?」


 獣神将二人の激しい反応に、下働きの娘は顔を強張らせた。

 うっかり忘れかけていた、自分より上位の者への恐怖を思い出させてしまったらしい。


「ああいや、何でもない。昔の知り合いと似た名前だなあと思って」

「そ、そうなのですか」


 取り繕った隆虎に、使用人たちは硬さが抜けない表情ながらも罰されるようなことではなかったのだと、ほっとした様子を見せた。


「色々ありがとさん。また今度、個人的にお話ししよーな」


 軽い口調で言った隆虎に、言われた女性たちも当然冗談だと受け取る。くすくすと楽しげに笑って、『楽しみにしてますわ』などと口々に答えてきた。

 手を振って炊事場を後にし、神殿へと戻る。その道程にある庭を歩きつつ、隆虎は隣の狗候へと首を向けつつ口を開いた。


「特別に頻繁に会うって出てくるぐらいだ。薬師の顕寿とやらも調べた方が良さそうだな」

「そうだな。もし奴が犬寿であり仙界の知識を使っているのならば、罰さねばならない」


 仙界の知識を人界へ持ち込むことは強く禁じられている。理由は単純。強力すぎるためだ。

 誤った目的で誤った者が使えば、大惨事になる。その知識をさらに多くの者が知り、同様の力で対抗しようとすれば、さらに被害は拡大する。


 ゆえにその知識を持っている仙界の住人たちも、みだりに人の世に接触することを許されていない。

 それを誇りにしてもいる。自分たちはただ畏れられ、人々の道徳心を育てる助けになれば良いのだと。

 人の手に余る邪妖や、他の仙界などから干渉を受けた時には、今回のように人界に降りて対処を行うのだが。


「犬寿って、どういう人よ。そーゆーことやっちゃいそうな奴?」

「いいや。真面目で忠義心の熱い、信頼に足る将だった」

「兄貴に真面目って言われるって、どんだけ――」


 苦手な傾向の人物である予感がしたのだろう。あまり嬉しくはなさそうな、しかし然程本気でもない軽口を口にしていた隆虎は言葉の途中で口を噤む。


「兄貴」

「あぁ」


 うなずき、隆虎と狗侯は互いの死角を庇って背中合わせになるよう立ち位置を変え、周囲を見回す。

 二人の肌に突き刺さる、強い陰気。

 恨み、怒りといった、負の感情を強く感じた。


 おぉ、おおぉぉぉん……


 憤りか、苦悶か、嗚咽か。

 幾重にも重なって、低く鬱々とした声がこだまする。その声の主たちが、するり、ずるり、とそこかしこの物の影から這い出してきた。

 邪妖だ。


「話通りだなァ」

「しかし、妙だ。こいつ等はどこから現れた?」


 この邪妖たちが現れる直前まで、城内は実に平穏で、清浄だった。狗侯たちの目から見てもだ。邪気の溜まりやすい城内でここまで清浄な空気を保てるのかと、人間の道士にしてはなかなかだと、感心すらしていたほどだ。

 だが今は、それだけに留まらない。

 これほどの邪妖が蔓延っていながら、見事にその気配を隠して見せたのだ。


(これが人間技か? それともやはり、あれは犬寿か?)

「兄貴、考え事は後、後」

「そうだな。そうするか」


 低級な邪妖ごとき片手間に相手をしても十分だったが、少しでも早く影響をなくすべきだった。隆虎にうなずき、まずは駆逐に専念することにする。

 腰から剣を引き抜き、構える。狗侯の得物はやや細身の片刃剣。隆虎の手にあるのは曲線を描いて反り返った、幅広の大剣。刃の部分も分厚く、斬るというより叩き潰すための刀――青龍刀だ。


「はぁっ!」

「おっらァ! 行くぜ――!」


 互いに、正面に見据えた邪妖の群れへと飛び込んで行く。二人が剣閃を閃かせる度、黒い靄のようなものが集まって形作られていた邪妖は、四散・消失していく。

 澄んだ神気に呼応して破邪の銀色に輝く二人の刃は、弱い邪妖ならば光に当てられるだけで消し飛ぶ。

 そしてここに集まっている邪妖はまさにその『弱い』邪妖たちだった。実際に刃を当てたものさえろくにいないまま数を減らしていく。

 だが知能というものを持たない邪妖たちは、むしろ二人の美しい神気に酔ったように集まってきた。自分からは失われてしまった美しいものを、なおも求めるように。


(哀れな)


 この世に生じて最後に残すのが負の感情とは、あまりに惨い。


(正さねば)


 人が最後に残す想いは、幸福なものであるべきだ。それを成すためには、国を正さねばならない。

 だが己の無力が腹立たしいことに、狗候は己の理想を叶えられたことがない。だからと言って諦める選択肢もないが。

 邪妖を祓いながら、狗侯は苦悩に顔をしかめる。

 救いは、ここにあるのが恨みの残滓だけという点か。


「本体ある奴はいなかったなー」

「ああ」


 ややあって全ての邪妖を消失させたあと、背の鞘に青龍刀を収めつつの隆虎が拍子抜けしたように言う。

 数は多かったが苦もなく祓えたのは、邪妖達に本体――魂が存在していなかったためもある。


「思念だけって方が色々気にしなくていいからありがたいんだけどさ。あえて抜いた感じもするのがよく分かんねー。あった方が強いし手間もかからないだろうし、何でだろ」

「哀れに思ったから、ではないか?」

「はぁ?」


 感じたままを言った狗侯に、隆虎は不可解そうな声を上げる。


「哀れって……。邪妖を作り出してる奴が、哀れとか感じられるような真っ当な奴かね。間違いなく死臭はしたし。生者としての人生は終わってるぜ?」

「ああ。使われた者たちに関しては、俺も同じ見解だ」


 邪を生むのは、悪意だ。特に怨嗟の思いは強い。先程の邪妖に残っている思いは、間違いなく怨嗟だった。


「だからこそ、死してまで悪意に囚われることを哀れに思ったのではないか? ゆえに魂は使わなかったのではと――そう思っただけだ」


 利用するためだけであったとしても。悪意を引きはがされた魂は、いっそ安らかになれたかもしれない。

 それが当人にとって望ましいかは勿論別だ。

 どのようなものでも、強く宿った思いは当人の人生に影響を与えたことだろう。失うのを良しとするばかりではあるまい。

 たとえ、抱えるのが苦しいばかりであっても。


「ま、兄貴ならそうなんだろうけど。こーゆーことする奴が、んなこと考えるかねえ。そもそも兄貴みてえに人を想える奴は、邪妖に頼らねえだろうし」

「……」


 隆虎の口調はさほど強くはないものの、その内容は完全に否定したもの。

 そうだろう、と冷静な部分では狗侯も思うのだ。

 悪意を形にして悪事を成そうなど、悪党ぐらいしかやらないことだ。


(だがこの邪妖を作り出し、俺たちへと送り込んできた奴は相応の手練れだ)


 獣神将の目と鼻を欺き、接近させるまで気付かせない程に。

 なのにあえて、できただろうより強い邪妖を作り出す手段を取らなかった。


(利ではなく、情を取った。俺には、そう思えたのだ)


 そうであってほしいという願いからかもしれないが。


「さて、と。今日はさすがに遅くなっちまったなー」


 空を仰ぎ見つつ、隆虎は月を眺めて話を切り替える。


「そうだな」

「兄貴、今日はもう面倒なこと考えるのやめて、休もうぜ」


 本格的な行動が翌日からになるというのは分かっていた。

 隆虎がわざわざ考えるのもと口にしたのは、狗侯の曇った表情を見て取ってだろう。


(気でも遣っているつもりか)


 あまりにも見え透いている。

 しかしその心遣いは嬉しい。だから素直にうなずいた。


「そうしよう。久し振りの遠出だしな」

「そうそう! 俺超疲れたー」

「まったく、だらしのない」

「いーの。俺はそういう役割だから」


 軽口を叩き合いつつ、神殿への道を戻っていく。


(一晩寝れば、また頭も冴えるだろう)


 邪妖のこと、貴晶のこと、そして顕寿のこと。

 予想以上に絡みあった何かが大きく動いているような、そんな気がした。

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