第8話

「当然だ。こう様の深慮に余人が容易く踏み込めると思うな。先程も言ったが、それは思い上がりというものだ」


 再度天井を仰いだ隆虎りゅうこに、むしろ満足気に狗侯くこうはうなずく。


「はいはい、そーですね」

「貴様、何だその態度は!」

「そーゆーすぐムキになるところも本当は駄目なんだけど、そこはからかい甲斐があって可愛いから良いような気もして、どうしていいか分かんねー今日この頃」

「貴様の忠告の仕方は、本当に一々腹が立つな! だからなんだ可愛いというのは! それも挑発か?」


 わざと感情を逆撫でようと言うなら、隆虎の言動は間違っていない。


(敵にやられる前に耐性を付けろということか)


 自分なりに解釈をして、とりあえずは納得をする。


(俺の時代とは、挑発の仕方がまた随分変わったものだ)


 可愛いというのは弱き者、儚き者を愛でる言葉であって、武人が言われればそのまま侮辱になる。

 敵対していても滅多なことでは使われない表現だ。


「いや、今のは本心だけど」

「ほう。俺がそこまで弱々しく見えるか。その思い違いぐらいは正してやるべきだろうな!」


 知略知慮に乏しい、というのとはまた別の屈辱である。むしろ狗候にとってはより認めがたい。


「まあそれはともかく、兄貴」

「自分で振っておいて、下手な誤魔化しが利くと思うな」

「明日からは公主を探るってことで」

「……」


 狗候が止めにくい、仕事の話で逸らしてきた。

 目論見通りなのだろう、狗候が沈黙するとにやりと笑って話を続ける。


「ただ、公主本人とはちょっと距離置いた方がいいと思う訳よ。今めっちゃ警戒されてるだろうし、周りから調べてみよう」

「そうか」


 うなずいてから、狗侯は少し考えて。


「公主は一体、貴様に何を頼むつもりだったのだろうな」

「ん? あ、そういやそうか」


 まず貴晶きしょうに近付くことを優先したので、隆虎の思考は貴晶の目的を探るのに遅れた。

 後からすぐに知れると軽視していたのもあるし、そもそも何の情報もない状態。相手の申告がなければ想像も難しい。


「まあ、大したことじゃないんじゃね? あの手の女の考えてることなんて」

「相手を侮るのは危険ではないのか?」


 本当ならもっと強い言葉で諌めたいところだ。しかし口出しはしないと言った以上、狗侯としては強く出られない。

 その狗侯に、隆虎はひらひらと手を振って。


「平気平気。ああやってヘラヘラ近付いてきて、男はテメーの美貌で何とでもなると思ってる手合いだぜ? んであの自信満々な態度からしても、実際今までそれで上手くいってきちゃってんだろーし」

「……そうかもしれんが」


 貴晶の態度に隆虎の馴れ馴れしさを疑う気配はなかった。当然だと感じていたため、という見解に狗候も否はない。

 だが意外でもあった。

 欲をむき出しにしたものではあったが、隆虎の発言はここまで女性に対してどちらかと言えば好意的と言えたはず。なのに色香を武器に篭絡しにかかってきた貴晶の行いを、酷く冷ややかに見下した。


「相手を軽んじてる奴は、敵が自分の思い通りにならないなんて当然のことさえ想像しねえ。きちんと考える頭を持ってる奴がいるなら――」

「っ」


 急に空気を鋭くした隆虎に、狗侯は小さく息を詰めてその視線の先を追った。


「周りの奴だろ」


 隆虎の視線の先では、貴晶が側仕えらしい女性に宥められているのが見えた。


(周り、か……)


 確かに貴晶本人には、誰かを謀り自分の思惑を成し遂げるだけの胆力も才覚も感じなかった。その辺りの見極めには、狗侯にも自信がある。

 武人にしろ官人にしろ、相応の才と強さを持った者は、そういう匂いがするものなのだ。


 今も人目をはばからず侍女に縋る貴晶だ。自ら獣神将に接触をして、何事かを成そうなどという大それた意思があるとは考え難い。

 では誰が彼女を狗候たちの元へと促したのか。

 何かしら表情を変えた者はいないかと、改めて階下を見下ろすと。


「!?」


 見知った後ろ姿を見付けた気がして、思わず狗侯は腰を浮かせた。


「兄貴? どうした?」

「い、いや」


 見かけたと思った後ろ姿はすぐに見失ってしまった。注意深く見渡しても、会場のどこにも見当たらない。退出したのか、見間違いだったのか。


「何でもない。見間違いだ、おそらく」


 そして狗候は自分でも自信のない、希望を込めた結論を口にする。

 ただ、同行者である隆虎は信じたくがないために導き出した狗候の答えを許さなかった。


「それ、見間違いじゃなかったらどーすんの。何見付けた?」


 容赦はないが、もっともな追求だ。

 万が一見間違いでなければ、その真意を問いたださなくてはならない相手である。


(俺の見間違いであれば、相当の侮辱。しかし……)


 覚悟を決めて狗候は相手の名を口にする。


犬寿けんじゅだった」

「誰よ?」

「そうか、お前が知るわけはないか。俺の前の犬の獣神将だ。唐突に出奔して、仙界から姿をくらましていた。獣神の証が戻ってきたので、死んだとみなされ捜索も打ち切られている」


 獣神将がいきなり消息を絶ったのだ。何事が起ったのかと、当時は大きく騒ぎになった。

 結局、その要因になりそうな事件は認められなかったが。


「なるほど、そりゃ見間違いだわ。まあ、よく似た人間だったんだろ」


 自分の犬の耳に触れて証を確かめる狗侯に、隆虎はうなずく。


「そう思う」


 獣神の証が戻ってくる時は、宿した本人が死したときのみとなっている。

 長い時を煌天君の側で生きてきた狗侯だが、実際、それ以外の理由で証が宿主を離れることはなかった。


「ま、何にしてもさ」

「?」

「ちゃっちゃと片付けちまおうぜ。邪妖が生じてる時点で起こってることはろくでもねーって決まってるんだし」


 後に同様の悲劇を生まないために、全ての要因の解明は必要だ。

 だが最も重要なのは、今まさに苦しみ、不安に怯えている者たちの救済だろう。


「ああ。一番害を被るのは、いつも民草だ。早く心安らかに暮らせるようにしてやらねばな」

「……へー」

「何だ? その気の抜けた言い様は」


 疑う、と言う程強い感覚ではないが、類似した気配は感じる。


「いや、そうじゃねえけど。煌天君のためじゃねえんだなと思って」

「同義だ」


 支配地域が荒れる事を、煌天君とて望みはしない。

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