第7話

「いいけど……。んー……」

「何だ?」


 方向性自体に否はない様子だが、素直な同意は返ってこない。

 迷うように腕を組んで考える隆虎りゅうこに、狗候くこうは言葉で話すよう促した。


「公主の方は俺に任せて、明日兄貴はぐるっと町周ってきてくんない? あ、迷わないよう神官つけて」

「迷うか! 大体、何だ見回りというのは。見るからに怪しい奴を放ってまでやるべきことではないだろうが」


 もし町にも何事かの異変が生じている、というのがはっきりしていればまた別なのだが。


「いや、色々考えたんだけどさぁ。兄貴の時代、しょうっつったじゃん?」

「それがどうした」


 時代が流れていることは理解している。その間に常識が移り変わっていることも。

 付いていけなくなることもしばしばだが、任務をこなすための能力に関しては問題ないはずだ。


「それからずっと獣神将の席が空いてなかった訳じゃないだろ?」

「ああ」


 その話が今何の関係があるのか分からないまま、狗侯はうなずく。事実だからだ。

 狗候が認めると、隆虎はがっくりと首を垂れた。胡坐をかいた膝に手を置いて僅かに震えてさえいる。


「だーよーなー! 分かった。俺なんか色々分かったわ。それならそれで一言ほしかったけど! あー、帰ったら煌天君こうてんくんに怒られる気ィする!」

「なぜお前が怒られねばならんのだ」


 軽薄な態度以外、今のところ隆虎に失点はない。

 そして狗候は獣神将の品位として気にするが、煌天君はそこまで重視しない気もしている。

 勿論、限度はあるだろうが。


「いいの兄貴は知らなくて! バレてんだよなぁ。似てるもんなあ、俺と煌天君」

「おい、それは思い上がりも甚だしいだろう」


 一歩間違えれば不敬ともとれる隆虎の言葉を、狗侯は眉間に皺を寄せて諌めた。


「あー、分かってる分かってる。そういう意味じゃねーから安心しろ」

「ならどういう意味だ?」

「俺も煌天君も兄貴が可愛いってことだよ」

「はぁ!?」


 隆虎の台詞に、狗侯は思いきり顔を歪めた。不可解だ。


「煌様からの信任を『可愛がる』と言うのなら、そうだとうなずいてやっていい。しかし、なぜ俺よりはるかに年若い貴様にまで可愛いなどと言われねばならんのだ。不遜極まる。訂正しろ」

「いや無理。可愛げって年で生まれたり消えたりするものじゃねーし」

「ほう。いい度胸だ。二度と下らん物言いができないよう、貴様は今ここで躾ておく必要があるようだな」


 額に青筋を浮かべ、狗侯は腰の刀の柄に手をかける。

 重ねた年齢は変わろうとも、獣神将同士に地位の差はない。意見具申は自由だ。しかし侮辱は別である。


「待て待て待て! だってしょうがねーじゃん! 兄貴馬鹿だし!」

「ぐっ……。そっちに戻るのか」


 先程の、貴晶とのやり取りは間違いなく失敗だった。

 狗侯にも自責の念があるので突かれると痛い。その件に関しては愚かと言われても反論できないのだ。


「つまり俺が馬鹿で足手まといだから、余所へ行っていろと、そういうことか?」

「まあ、平たく言うとそう。それだけじゃねーけど」

「……」


 諸々の柔らかい表現を取り払った隆虎に認められた内容は、屈辱ではあった。だがいっそそうと言ってもらった方が狗候としても納得できる。


(煌様は……俺を気遣ってあのような言い回しをされたのだろうか)


 始めから狗侯一人では心許ないと思って、策謀の機微のある隆虎を付けたのだろうか――と考える。

 そうであるならば。


「分かった」

「分かってくれた?」

「ああ」


 ほっとしたように言った隆虎に、生真面目にうなずいて。


「口出しは一切せん。だから、側で学ばせてくれ」

「はッ!?」


 予想外の言葉を聞いたとばかりに、隆虎が動揺の声を上げる。


「煌様がお前を選んだのは、その才を認めているからだろう。ならば俺も煌様に相応しい武将となるため、その技術を身に付けなければならない」

「待て待て待て! いいの兄貴は、んなもん学ばなくて!」


 慌てて首を大きく左右に振り、隆虎は狗侯の決意を押し留めようとする。


「必要があって学ばずに良いことなどあるものか。俺は愚か者で居続けるつもりはない」


 煌天君の望む世を成すために、狗候は誘いに応えて仙界に居を移した。現世のあらゆるものを置き去りにして。

 それだけの価値を煌天君の道に見出したからだ。

 だからこそ、役目を果たせる将であらなければならない。自身の誇りのためにも、自分を見送ってくれた親しい者たちのためにも。


「今回の件を収めるのに、煌様はお前の手腕に期待している。それは否定せんな?」

「いや、そうかもしんねーけど……」


 だか煌天君が狗侯に『それ』を望んでいるとは、隆虎にはどうしても思えなかった。

 もしそのつもりがあれば、狗候が未だに触れてさえいないことの説明がつかない。当人に学ぶつもりがあるのだからなおのこと。

 それが意味する答えなど、一つではないだろうか。

 要は狗候が触れなくてもいいように、隆虎を付けた。触れずに済むようにする立ち回りも要求されていたかもしれない。


「頼む」

「待って待って! 頭下げないでマジで俺首刎ねられそう!」


 狗候に悪意はない。むしろ誠意しかない。だが今の隆虎にはそれこそが恐ろしい。

 滅多にないほど血の気が引いているのが自分でも分かる。


「?」

「……あぁああ……!」


 天井を仰いで、隆虎は深々と息をつく。


「分かった、分かったよ。一緒に行動しよう。ここで兄貴を一人にする方がヤバい気がしてきた」

「そうか!」


 折れて同行を認めた隆虎に、狗侯は顔を輝かせる。その素直さに、あ、ホントに犬だ、とかぼんやり考えてしまう。現実逃避だ。


「そうだよなぁ。兄貴は基本馬鹿だけどそれって馬鹿正直なだけで、誤魔化されてくれるような本当の馬鹿じゃねーんだよなあ。煌天君も分かってるはずだけど」


 狗候が愚かであるのは、知る機会が与えられなかったせいだ。

 それが意図的なものだと分かるからこそ、隆虎は迷う。


「どうなんだろコレ。いいのかな、ホントいいのかな。俺マジで煌天君の考えが分かんなくなってきたんだけど」


 避けさせたいならこれまで通り、箱庭の中に囲っておけばいいだけだ。

 今さら狗候を外に出したその意図が、隆虎には理解できない。

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