第5話

「分かった。――邪気が溢れ、今は時に人心が不安定となろう。後の事は俺達が引き受ける。道官と神官には、まず何よりも民の安全を護るように伝えよ」

「ははッ!」

「席に座せ」

「はっ」


 一度も顔を上げぬまま、更に深く腰を折り、可瑛かえいは己の席に戻る。


「我が主、煌天君こうてんくんは蒼国の現状を非常に嘆いている。このような時にこそ、上に立つ者の真価が問われるというもの。各々、己の役目を誠実に努め上げる事を望む」

「ははッ!」


 王を含めた階下に控える全員が、拱手をして頭を下げる。狗侯くこうが右手を上げて話の終わりを告げると、奥に控えていた女官たちが盆を持って食事を運んできた。


「兄貴ってさー……」

「お前は、公式の場での口の聞き方をいい加減覚えろ」


 隆虎りゅうこの言葉を遮り、狗候はまず注意をする。

 体裁は大切だ。実態がどうであるかを見定めるのは時間がかかるからこそ、人は印象値に頼るのだから。


「そゆトコとか、慣れてるよな。人に命令すんのとか」

「お前もそうではないのか? 将であれば己の言葉を迷わず伝えるのは必須の技能だろう」

「俺ただの兵士だもん」


 さらりと否定してきた隆虎の言葉は、狗候にとって意外なものだった。


「英雄、だろう?」

「英雄は地位には繋がらんのよ、俺の時代だと。せいぜい報奨金が出るぐらい」

「……そうなのか」


 少し、狗侯は微妙な気分になった。狗侯の時代では、優秀な兵は将となり、各国の太守が競って値を吊り上げ、雇ったものである。

 ゆえに狗候に隆虎の感覚を理解するのは難しかった。さらに言うのであれば、狗候は雇われる側でもなかったのだ。


「兄貴、良い所の出だろ」

「まあ、そうだな」


 雇う側の人間である。狗候は軍に所属したその瞬間から将だった。


「俺、貧民だったんよ。ま、武人としちゃ獣神将になれるぐらい超優秀だったから、ずっと兵士でいて食いっぱぐれはしなかったけどな。ぎりぎり隊長にはなったし。……だから別に、飯が食えりゃそれで良かったんだけどさ」


 運ばれてきた牛の厚切り肉にかぶりつきつつ、隆虎は階下に目を向ける。つられて目を向けて、狗侯もはっと気がつく。

 彼らの視線の先にいるのは一人の少女。まるでそこだけ光輝くかのように華やいでいる。

 何をしているわけではない。ただそこに存在するだけで人を惹きつける、力のある美貌の持ち主だった。


「一回だけ、望みの報奨は? って聞かれた事があるんだけどよ。そん時、俺の国にはすっげえ美人の公主がいたの。で、直接声をかけていただきたいっつったら、『下賤の者に掛ける言葉などありません』ってお言葉をいただいてな」

「は?」


 隆虎の言葉に、狗候は唖然とした。


「何だ、そいつは。正気か? 功を挙げた者を称えずして、誰が懸命に努めるというのだ。そも、国のために働く民に対して下賤の者とはどういう事だ」

「変な風に偉い人意識ができちゃってんの。まァそーゆー時代だったわけよ、俺ん時は」

「……よく、世が乱れなかったな?」

「や、乱れてた乱れてた。だから食いっぱぐれなくて英傑んなったんだし」


 戦がなければ、武人に出る幕などない。

 武才を高める人生を送ったということは、そういう事だ。


(俺は。武人である己に誇りを持っている。必要であったから迷ったこともない)


 だが、戦などない方がいい、とは思っている。

 その時はおそらく、武人の役目は鹿や猪から畑を護ることのみになる。そんな世の中の方がどれだけ良いだろうか。

 しかし残念ながら、人類が武人を真に不要とした時代は現代にいたるまで存在していない。


「それ以来、俺はどーっも王族、貴族ってのが嫌いでさ」

「分からなくはないが。お前を侮辱した相手とは無関係だろう」

「まあ無関係だけど。でもあの公主がまま悪い奴で、ブッた斬れたらスカっとすんなー、とは思ってる」


 こちらの視線に気付いたのだろう。許されるのを察して公主は自分の席を立った。

 にこりと愛想笑いを浮かべて近付いてくる公主へと親しげに笑い返しながら、隆虎はそんな物騒なことを隣の狗侯には言ってのける。


 ――彼女からは、死臭がした。


「はじめまして、獣神将様。わたくしは蒼国が三の公主、蒼貴晶きしょうと申します」


 膝を着き、拱手をして頭を下げたのは十六、七ほどの少女。濡れ鳩羽の黒髪に、深い黒曜石の輝きを彷彿とさせる瞳。唇は控えめな桜色。可憐な彼女にはよく似合っていた。

 貴晶は美しかった。絶世の、と付けてもいいほどだ。彼女の美しさを否定する者は、どこを探してもいないだろう。

 そして彼女自身、己の美しさを十分に理解していた。様、と敬称を付けていても、男を侮る色がその瞳から隠し切れていない。


「蒼貴晶、貴様は――」

「やあさすが! 噂通りの超美人! な、兄貴!」


 不快を感じて諌めようとした狗候が口を開くと、わざとらしく隣から隆虎が口を挟み、言葉を上書きされる。


「は? い、いや、そうかもしれんが――」


 先程狗侯に見せた嫌悪など一切感じさせない軽薄な調子で、隆虎はいきなり貴晶の美貌を褒め称えた。


(噂通りとは何だ。存在を知ったのは今さっきだろう)


 しかし間違いなく美人ではある。その点においては否定しない。戸惑いつつ狗侯は勢いに押されてうなずいてしまう。

 その二人の様子を見た貴晶は、始め驚いた様子を演じて目を見開く。そして何度か瞬きをしてから表情を戻して楽しそうに微笑んだ。

 その笑顔は主に隆虎に向けられている。与しやすいほうを選んだのだ。


「ありがとうございます。光栄ですわ」


 はにかむ様子は、形だけなら可愛らしい。だがそこに実はない。あるのはこちらを篭絡しようという悪意だけだ。

 狗候からすれば醜悪でしかない。


「おい、隆虎。貴様は何を」


 だからこそ自分と同じように、もしくは自分よりも明確に理解しているだろう隆虎の応対に戸惑う。

 真意を問おうとするが、質問さえ許されない。


「まあいいじゃんいいじゃん。美人は正義よ、兄貴」

「お前……っ」


 いっそ狗候には発言させないようにしようという意図さえ感じる。


「いやー、本っ当美人だねー。俺、君のためなら何でもできそう」

「まあ……」


 空々しい言葉を吐きながら、隆虎は馴れ馴れしく貴晶の手を握る。

 己の容姿を褒め称えた隆虎に、貴晶は先程と違って驚きも戸惑いも見せない。そちらの方が彼女の真実なのだろう。

 相手が己を求めて触れようとしてくるのを、当然と捉えているのだ。逆に、触れるのを許してやったという高慢さは感じ取れる。

 そこには当然、打算があった。

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