第4話

「俺もだ。考えていた事は私事だ。真面目になれといった俺がそれでは話にならんな。済まなかった」


 惑わせようとは思っていないので、はっきりと否定しておく。


「いや、謝られる程のこっちゃねーけど……」


 真正直に、かつ堅苦しく答えた狗侯くこう隆虎りゅうこはむしろ呆れたように呟く。それから後ろ頭をわしゃわしゃと掻いた。


「兄貴は本っ当真面目だなァ」

「良く言われていた」


 それは懐かしい言われようだった。言い方が似ていたのもあるだろう。つい口元が綻ぶ。


「へ?」

「弟にも、よくそう言われていた。お前に少し似ていた。調子に乗りやすくて軽薄で、女に弱い」

「……兄貴から見た俺ってそんな感じ?」


 どう聞いても褒めていない内容に、隆虎は顔を引きつらせる。


「ああ。俺には出来ないやり方で兵の心を鼓舞し、空気を読み、人心を解すのが得意な――自慢の弟だった」


 狗候の性格からすれば、全面的に好ましいとは言えないはずだった。しかしそれでも、弟もまた優れた将であったと断言できる。

 懐かしく、愛しい記憶を思い出して狗候の表情も柔らかくなる。


「え。自慢。そう?」

「言っておくが、お前がそうだとは言っていない」


 少し照れくさそうな表情でにやけた隆虎は、続く冷ややかな一言に一気に機嫌を降下させた。


「へいへい。分かってますよー。兄貴が人を褒めて伸ばせるとか、全っ然期待してねーから」

「俺は褒めるべき相手はちゃんと褒める。お前に褒め所がないだけだ」

「あるから! 全然あるから! 兄貴の目が節穴なだけだから!」

「何だと!? 若輩の分際で、俺を愚弄するか!」

「上司の欠点を命がけで忠告してやってんの! あぁ、俺ってなんて良い後輩!」

「自分で言うな! まったく……」


 息をつきつつ、狗侯はつい反射的に掴んでしまった剣の柄から手を離す。

 かつて人間の武将であった時の狗侯であれば、棒打ちぐらいはしていたかもしれない。適当な棒がなければ鞘を使うことも珍しくはなかった。

 上官への侮辱は厳罰を持って処されるのが常だ。戦場での規律のために。

 しかし長い年月の間に、罰の在り様も変化したのも分かっている。


(それに、こいつは一応、獣神将なのだから……)


 煌天君のための大切な盾であり、剣だ。無論、狗侯は己の事も同様に思っている。

 育てるという意味で、隆虎の言にも一理ある。

 暴力は支配には有効だが、人は委縮して育たない。それでは共に来た意味がないというもの。


「とにかく、明日は朝から歓待の宴が催されるはずだ。この国を動かす者達が顔を揃える。よくよく目を凝らし、頭を動かしきちんと覚えろ」

「え、全員!?」

「当り前だ」


 隆虎が動揺しつつしてきた確認に、容赦なく応じる。

 しかし幸いだろう。狗候の容赦のなさ同様、隆虎もまた己の意見を訴えるのをためらわない。


「無理無理。無理だってェ。好みの女の子ならともかく、おっさんの顔なんて十人覚えらんねーから」

「なら、これだと思う十人を覚えろ」

「へ?」


 いきなり緩くなった内容に、隆虎は目を瞬かせる。浮かんだ表情がそのまま拍子抜けを伝えて来ていた。


「十人覚えられないのなら、まず十人を覚えるよう努力しろ。その数を挙げたのは近い数までなら記憶できそうだという認識でいるからだろう?」


 努力の放棄は認めない。だが出来ないことは出来ないのだ。本当に無理なことを要求しようとは、狗候も思っていなかった。


「……えっと。それでいいんだ?」

「今回は俺がいるから、問題ない」


 きっぱりと言い切った狗侯に隆虎は何とも言えない、微妙な表情で後ろ頭を掻いた。

 必要だと思って身に着けた技能。だから同じく獣神将である隆虎にも求めるのだ。

 その地位についているならば出来なくてはならないから。


「うん、まあ……できる限り、努力するわ」


 残念ながら、隆虎の獣神将への姿勢は狗候とは違う。他の手段があると言えばそう。だが出来て悪い事も勿論ない。

 だから隆虎も素直にうなずいた。言葉通り、努力をするつもりで。


「あぁ。そうしろ」


 そしてその意思は狗候にも通じた。隆虎の意識の変化を喜び、認め、柔らかく微笑む。

 自身の意思が認められれば、悪い気はしないものだ。


「兄貴は本当、こういう所がずるい……」


 肩を落としつつ、隆虎はぼそりと口の中でだけ呟いた。




 部屋の端に設えられた、大きな銅鑼の音が響く。今日の宴の主役二人、狗侯と隆虎の入場が告げられたのだ。

 音を合図に大広間に集まった貴人達は一斉に膝を着き、拱手をして頭を下げる。

 蒼国の貴色である青の絨毯の中央を、狗侯と隆虎は堂々と歩く。縁を金糸で飾られた、毛足の揃った見事な品だ。下界の決まり事で言うのなら、皇帝のみが歩く事を許された道である。


 しかし仙界からの使徒である獣神将が滞在する間は、全てが変わる。

 王路は獣神将の物であり、王族はその脇に敷かれた、一段色の薄い絨毯の上を歩く事になる。その他の貴族は、更にその脇に敷かれた黒の絨毯の上を歩いて入場する事になっている。


 参加者がすでに居並んでいる以上、決まり通りの入場であったかは狗候たちには分からない。

 少なくとも、この場に揃った人間たちはそう高をくくっているようだ。

 舐められたものだ、と狗候は呆れる。


「うーん。踏まれてるなー」

「そのようだな」


 今は獣神将しか通ることが許されないはずの絨毯に、つい直前、人が歩いた気配があった。

 権威そのものに拘りがあるわけではないが、規律のためには重要だ。早速規則が護られていない様を知って、狗候の眉間にしわが寄る。

 階段の上に設えられた玉座は、来訪人数に合わせて二人分。


(感情を知った後では、張りぼてにしか見えんな)


 席に狗侯と隆虎が座ると、恭しく頭を下げつつ壮年の男が一人進み出て来た。


「ようこそ、お出で下さいました」

「貴殿が蒼国の王か?」

「はっ。蒼国を預からせて頂いております、蒼可瑛かえい、と申します」

「ご苦労。どうやら、貴殿の治世は安定しているようだ。以後も民のため、尽くすが良い」

「はっ。ありがたきお言葉」


 何を言われるのかと警戒し、強張っているのが傍目からでも見て取れた可瑛の肩から僅かに力が抜けた。周囲からも少しほっとした空気が流れる。


「貴殿の治世に問題はなさそうだが、変事が起きているのは心得ているだろう」

「は……ッ。道官や神官達が、原因究明にあたっております」


 蒼国において、道官とは法術を以って邪を誅する役目を持つ官人の事で、こちらは国に属する。

 対して神官とは、仙界に仕える神職者達の事だ。神託を受け取り、こうして有事の際に降りてくる神仙達をもてなすのが仕事となる。道官の有能な者から抜擢される事が多い。


「では、未だ目星も付けられていないと」

「申し訳ありません……」


 可瑛は言い訳も誤魔化しもしなかった。不手際を責められることを恐れ、一度緩みかけた空気が再び鋭くなる。

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