第2話

 空に漂う雲が一つ、不自然に高度を下げてゆく。

 そこには仙界からの使命を帯び、地上に降りようとしている二人が乗っていた。


「下界かあ。すっげー久し振りな気ィするわ。あ、久し振りなのか。ざっくり十年ぐらい? 何なら蒼国になってからは、この辺に降りるの初か」


 胡坐をかいて雲に座り、指を折って何かを数えていた青年は、途中で苦笑して自らの感覚に得心がいった様子でうなずいた。

 年の頃は二十二、三。濃いめの金髪に、一房だけ黒く染まった部分がある。瞳は鈍めの琥珀色。頭部から突き出た、短毛に覆われた獣の耳は虎の物。

 服から突き出た縞模様の尻尾も、楽しげにうねうねと動いている。


「ちょっと楽しみかもなー。仙界はあんまり代わり映えしねえから。面白い娯楽が増えてると嬉しいけど」

「あまり浮かれた発言ばかりするなよ、隆虎りゅうこ。俺達は遊びに来ている訳ではないのだぞ」


 鼻歌まで出しそうな気配のある後輩に、狗候くこうは眉を寄せつつ注意を行う。


「分かってるって、兄貴。お役目はちゃんと果たすからさ」

「期待している」

「あ、それ期待してねえ感じしかしねえし。何、そんなに俺が信用できねー?」


 溜め息をつきつつ気の無い様子で言った狗侯に、隆虎は少しばかり拗ねた調子でそう言った。好戦的な猛獣を連想させる精悍な顔立ちが、表情一つでどことなく愛嬌のあるものに変わる。


「信を得たいなら、まず態度を改めろ」

「お役目はちゃんとやるから良いんですー。獣神将のままなのが証明だろ?」


 言って、自らの獣耳と尻尾を誇らしげに動かす。

 態度よりも実務の結果が重要だと、平然と言い放たれてしまった。

 全く同意できないわけではなかったから、狗候の方が言葉に詰まる。

 それでも態度がどうでもいいと割り切ることもできないので、自然と顔がしかめられた。


(これも時代差か。付いて行けん……)


 狗候からすれば結果を出すのは大前提で、普段の行動で礼節を重んじるのは常識であった。

 狗候が見せた素直過ぎる不快感の表明に、隆虎は楽しげに笑う。


「兄貴は頭固ったいなァ。もっと人を見る目を養わねーと」

「やかましい! 若輩の分際で生意気な!」

「へいへい。先輩に対して、尊敬の念はありますよー。勿論」

「嘘を付けッ!」


 その適当な隆虎の言い方は、たとえ狗侯でなくとも信用しなかったに違いない。

 残念ながら狗候自身、後輩からの尊敬を勝ち得るだけの成果を上げていない自覚もあった。


(俺の責任だけとは言えないはずだが……。いや、主の采配に否は言うまい。それはただの言い訳だ)


 恨みがましい気持ちが沸き上がりかけるのを、どうにか自制する。


「いや、マジで」


 しかし狗候の心情に反して、隆虎はきっぱりと否定する。


「!」


 急に真剣な様子で、がらりと声の質も変えて言ってきた隆虎に狗侯はぎくりとした。

 隆虎が本心で言ったのだと察したからだ。そして相手の心を、己が気後れしているがゆえに否定してしまったことへの罪悪感だ。


「兄貴の真面目な所も、煌天君への忠誠心も、他人以上に自分に厳しい所も尊敬してんぜ?」

「そ、そうか」


 正面きって褒められるのは気恥かしいが、嫌な感じはしない。照れながらうなずいた狗侯に、隆虎はにやりと笑って。


「そうそう。だから、俺がちゃーんと兄貴を尊敬してるって、兄貴も先輩らしく、しっかり見抜いてくれねーと。んなつまんねー言い掛かりつける前にさ」

「貴様、やっぱり嘘だろう!」

「最終判断は兄貴に任せるわ」

「くっ……」


 ひらひらと手を振って煙に巻いた隆虎に、狗侯は歯噛みをする。全く信用ならないが、真剣な様子は万が一を考えさせられて、断じるのはためらってしまう。

 そんな狗候の挙動をひとしきり楽しげに眺めたあとで、隆虎はふと表情を曇らせる。


「兄貴ってさぁ……」

「何だ」

「真面目だよなあ。一々、懸命っていうかさ」


 どことなく困った様子でそんなことを言う。


「何故、それを悪いように言われねばならんのだ。貴様のように不真面目なよりは数段マシだろうが」

「ハイハイ、そーですね」


 まったく同意していない同意に、狗侯がむっとして口を開きかけると、先手を取られた。


「さ、蒼国だぜ、兄貴」

「言われなくとも分かっている」


 先に告げておいた神託のおかげだろう。眼下に広がる壮麗な宮殿の一部では、賓客を出迎えるために並んだ蒼国の神官たちの姿が見える。

 人間の貴賓を迎えるときのように大仰ではないが、一定以上の位を持つ神官たちはずらりと勢揃いし、膝を着き、頭を垂れている。

 相手からもこちらの姿が見えていることだろう。そろそろ声が届いてしまうかもしれない。

 獣神将が仲間内で下らない言い合いをしている所を見せるつもりは狗侯にはなかった。


(いや、決して下らないことではないのだが!)


 しかし華仙界かせんかいを統べる主――煌天君こうてんくんの名を辱めるような行いは、彼の君の直属の配下である獣神将として、断じて出来ない。

 表情を引き締め、雲の上から地上へと降り立つ。

 狗侯と隆虎が降り立ったのは、神事にのみ使われる王宮の宮殿の一つ、華神殿だ。


「ようこそお出で下さいました。獣神将様」


 拱手をし、出迎えた神官が深々と腰を折り、頭を下げる。清められた白の神官服に、国の貴色である青で守護聖獣である龍が描かれていた。


「ご苦労」

「こちらにお部屋をご用意してございます。穢れの多い地上ゆえ、御身にはご負担もございましょうが、手を尽くし、浄室をご用意させていただきました。どうぞ、お寛ぎ下さいませ」


 それは貴賓に対するただの謙遜だっただろう。

 だが狗候はそれを謙遜とは受け取らなかった。事実でもあったからだ。


「確かに、ここしばらくの空気は大変に悪いようだな」

「はっ……」


 本題にさっくりと切り込んだ狗侯に、神官は平伏する。ただし空気で分かる。神官は狗候の直球な物言いに不満を感じた様子だった。


「真に、お恥ずかしい限りにございます……」

「その言葉が真実かどうかはすぐに知れる。案内しろ」

「ははっ」


 より深く腰を折った神官の後ろから、同じく神官衣に身を包んだ妙齢の女性二人が進み出てくる。

 彼女たちが案内役、ということらしい。


「お、中々」

「……!」


 果たして、相手側が篭絡を意図して見目好い女性神官をつけてきたかはともかく、それに易々と便乗する隆虎が狗候にとってはまず腹立たしい。

 品位が下がるような言葉をぽろりと口にした隆虎を睨む。狗候の視線を受けた隆虎は僅かに肩を竦めて、すぐに無表情を取り繕った。


「どうぞ、こちらへ」


 容姿から想像されるのを裏切らない美声で女性神官は二人を促し、先に立って歩き出す。その後ろを付いて歩きながら、狗侯は辺りの気配を探った。


(神殿は、清められている)

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