獣神将演義

長月遥

第1話

 澄んだ晴天から降り注ぐ陽光が、巨大な石碑を輝かせる秘石の間。

 円形の造りをした部屋には十二の扉があり、それぞれに金糸で端を縁取られた赤い絨毯が伸びていた。


 その中の一つ、犬の姿が刻印された扉が開き、青年が一人姿を見せる。

 年の頃は二十一、二。深い藍を溶かし込んだ黒髪に、灰に近い銀の瞳。顔立ちは端正で佇まいにも品がある。

 ただし隙のない鋭い眼差しは、他者を委縮させる威圧に満ちていた。

 その年頃の男性にしては、若干背は低い。しかし堂々たる所作が、彼を矮小には見せずにいる。


 青年は絨毯の上を進み、中央の巨石の前に佇む男性の前で膝を突き、頭を下げた。右手の平に拳を当てた礼を取り、口を開く。


獣神将じゅうしんしょうが一将、狗候くこう。お召しにより参上仕りました」


 金で縁取られた青色の上着と、薄い紗を重ね合わせた内着。太めの胴帯を締めるのは、赤と白の組紐。上着と揃いの青の脚衣の先で全体の色合いを引き締める、黒の靴。

 装いも上質で貴族的な雰囲気が漂う。しかし人がそれらに目を向けるのは、初見の衝撃が去った後だろう。

 さらりと流れる細めの髪を割って、頭部からは犬の耳が、尾骨からは尻尾が伸び、絨毯の上にふさりと広がっている。


「うむ」


 名乗りを受け鷹揚にうなずいたのは、狗候よりもやや年上に見える男性だった。

 夜の闇を集めてより合わせた黒髪に、人心を捉えて離さない、神秘の紫に輝く瞳。白皙の美貌は怜悧で、狗候とはまた違った近寄り難さがある。

 感情の見えない無表情が狗候を見下ろして僅かに緩み、ようやく彼に血の流れがある事を伝えてくる。


「狗候。私の隣に」

「はッ!」


 促した主に応じて立ち上がり、隣に並ぶ。

 一切の瑕疵のない美丈夫である主――煌天君こうてんくんの隣に並ぶと、己の身長を若干気にしている狗候には自尊心が疼く部分がある。

 だが勿論、主君の前で己の詰まらない葛藤などはおくびにも出さない。


「見ろ。地上に気の乱れが生じている」


 言って煌天君は傷一つない、滑らかな岩肌に手の平を当てた。

 表面に水鏡のような波紋が広がり、どこかの景色を映し出す。

 整えられた街並みに、人々が賑やかに行き交う。よく栄えた大都市のようだ。


「今はそうと名乗っている、大陸の中程にある都だ。気が乱れ、邪妖じゃようの存在さえ見て取れる。この地に降り立ち、世を乱す邪気の原因を突き止め、祓ってこい」

「承知いたしました」


 やり取りは短い。主君の命に狗侯は即座に頭を下げ、受諾する。

 その様子にむしろためらいを見せたのは主の方だ。愛想のなかった無表情に、眉間のしわが追加される。


「念のために隆虎りゅうこを同行させるがいい」

「隆虎を、ですか? おそれながら煌様。邪妖ごときこの狗侯一人で十分です」

「邪妖はお前の言う通りだろう。しかし一人では手の回らぬ事もある。後輩を鍛えるのも先達の務めとして、隆虎を供に付けよ」


 一応狗侯の言葉にはうなずいて見せたものの、煌天君は己の意見を譲らなかった。表情はまだ凪いでいるが、同じ意見を差し挟めるのは一度きりだと狗侯はよく分かっていた。

 煌天君とは長い付き合いだ。それこそ、いくつもの時代を超える程に。

 心から納得したわけではなかったが、それでも主の命令だ。ならば否などないと従順に頭を下げる。


「承知いたしました」


 だがその不服は漏れ出ていたのだろう。臣下の様子を見た煌天君はふ、と短く息を吐く。そして幾分か柔らかい口調で名を呼んだ。


「狗侯よ」

「はッ」

「何も、お前の実力を疑っている訳ではない。お前はこの私自らが選び、欲して招いた武人なのだから。だからこそ、私はお前を易々と失いたくはないのだ。分かるな?」

「――はッ!!」


 狗侯は感激に肩を震わせ、勢い良く頭を下げた。

 幾千幾万の配下を抱える主から特別だと求められて、高揚を覚えないはずはない。ましてそれが敬愛する主君であればなおのこと。


「この狗侯、身命の全てを以って、煌様にお仕えいたします!」

「期待している。行け」

「はッ!」

 最後にもう一度深々と頭を下げ、狗侯は謁見室を後にした。

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