013 ウルトラC級の密着、先輩の感触
校舎内には、たくさんの学生がいた。窓の向こう、新校舎の方から、ワイワイガヤガヤと学生たちの声が聞こえる。緊張感のない雑踏。あるいは緊張をほぐすための談笑か。
打って変わって、旧校舎は静まり返っている。授業に使われる教室がほぼないから、学生も先生もほとんどいない。普段は文科系の部員が朝練に使うこともあるらしいが、さすがに今朝は練習がなかったらしい。
「いよいよ、本番だね。天才クン」
壁掛け時計に目をやる。一時間目が始まるまで、あと十分を切っている。
「準備は万全?」
「ええ。
「自信そこそこ、やる気は充分。そんな感じかな」
僕らは向かい合って立ち、互いの士気を確かめあった。
「っても結局、あなた頼りなんだけどね」
月曜日の朝、中間テスト初日。その日が、いよいよやってきたのだ。
「さあ、まもなくだね。ぼちぼち、心の準備も始めよっか」
晴乃井先輩が言った。僕は黙って肯いた。
僕と晴乃井先輩がいるこの場所は、いつかの空き教室だった。出会いの日の放課後、
身体の隠し場所、あたしにも考えさせて。そう、晴乃井先輩は言っていた。そしていま僕らがこの教室にいるということはつまり、この空き教室が先輩の回答だということだ。仮死状態の身体を放置しても問題がなく、かつテスト会場に近い場所。
どうやら、これから僕らはここでインストするらしい。
晴乃井先輩が、おもむろに背を向けて歩き出した。
その先にあるのは黒板と教卓だ。もともと授業用として使われていたのか、あるいは現在もなのかは定かじゃないが、授業を行うための最低限の設備がある。
とにかく何の変哲もない教室だ。しいていえば、他の教室よりも机の数が少なく、開けた空間だった。身を隠す場所なんて一見なさそうだが、先輩は自信満々にここを提案してきた。昨日の夜のこと、土壇場で思いついた策らしかった。
木を隠すなら森のなか的な、ウルトラC級のカラクリが部屋のどこかにあるのだろうか……。と考えているうちに、時計の針は進んでいた。テスト開始まであと五分。
黒板の前で先輩は立ち止り、教卓に左手を着いた。そして、
「さ、おいで」と僕を手招いた。「ここ、絶好の隠れ場だよ」
まさか、と思う。嫌な予感がよぎりながらも、先輩に近づく。黒板の前まで来て、晴乃井先輩の視線を目でなぞった。彼女は、教卓の裏側を覗き込んでいた。
そこには、たしかに空間があった。人がひとり、ギリギリ入れそうなスペースが。
それから、晴乃井先輩は胸を張って、
「ここならバレないでしょ」
同時に、僕の頬は引きつった。
ふむ、なるほど。杜撰すぎやしないか。
はたして大丈夫なのだろうか、ここで。たしかに隠れ場所たりうる。ここは空き教室だし、テスト中に誰かがやってきて、わざわざ教卓の裏を覗き込むとは考えにくい。しかし、リスクはゼロじゃない。それに──
と頭を悩ませている隙に、晴乃井先輩は身体を折りたたんで教卓の裏に入り込んだ。その中から、僕を手招く。
教卓の裏のスペースは、もう充分埋まり切っている。
反射的に頬が引きつった理由の最たるものはそれだ。どう考えても、二人で入れるスペースじゃない。マジで入るんすか、そこに? 二人で?
「時間ないよ。早く、早く」
とはいえ時間はない。し、晴乃井先輩が僕を急かす。
「……ッし、しかたないっ!」
僕は覚悟を決めて、その空間に身体をうずめた。
が、狭い。どう考えても、二人用のスペースじゃない。
晴乃井先輩と僕の足が触れ合っている。てか、それ以外の部分も密着していて、
「さ、やろう」
という声で視線を上げると、鼻と鼻とが触れそうな距離に、先輩の顔があった。
「……っ!」
思わず、声にならない声が出た。そしてすぐさま、次の衝撃が僕の身を襲った。晴乃井先輩に抱き着かれたのだ。高鳴る心臓を落ち着かせるように目をつむり、呪文のように「知ってる、知ってる」と心のなかで唱えた。
これはインストの発動条件だ。変なことを考えるな。必死で、自分に言い聞かせた。
直後、こつんと、おでこに何かが触れた。すぐに、それが晴乃井先輩のおでこだって理解した。これもインスト発動のためのプロセス。前と一緒だろ、緊張するなよ……もう一度、自分に言い聞かせる。
「よし。いいよ、深呼吸して」
「……は、はい」
返事をしてから、閉じた瞼にギュッと力を入れて、意識を集中させようとした。
けど、なぜだろう。僕の心臓はやけに高鳴っていて、なんだかうまくできなかった。
前みたいに、晴乃井先輩の身体に意識が吸い込まれていく感覚にならなかった。
焦りだけが加速する。テストが始まるまでにインストを完了させなくちゃ、替魂受験計画は水泡に帰す。はやく入れ、心臓よ落ち着け、はやく……と頭の中でループする。
それでも、なかなか上手くできない。まずい。焦りの気持ちが頂点に達した。
そのときだった。
「ありがと」
ハッとして、目が開く。晴乃井先輩と、視線が交わった。
「ここまでしてくれて」
先輩はそう続けた。
すると急に、自分の心臓の鼓動を感じなくなった。たぶん僕の意識が、美しい瞳の中に吸い込まれてしまったんだろう。
なにか返事をしなきゃ、と思った。
「絶対に、」言葉を紡ぎながら、もう一度、僕は目を閉じた。「成功させますから」
そのあと晴乃井先輩が言った言葉を、僕は覚えていない。
なぜならば、目を閉じてすぐ。
僕の意識は、プツン、と途切れた。
次に意識を取り戻した時の僕は、晴乃井るるだった。
腕の中に、抜け殻の僕がいた。そいつをそっと地面に置き、教卓の裏の隙間に収める。
壁掛け時計を見る。テスト開始まで、あと三分。廊下へと飛び出し、僕は走る。二階まで下りて、渡り廊下を抜け、旧校舎から新校舎へ。先輩の教室を見つけた。
扉を開ける。生徒はみな席についており、すでに先生も来ていた。全員の視線が僕に集中した。
「遅いぞ、晴乃井。席につけ」
先生に頭を下げ、空いている晴乃井るるの席へと向かう。
その道中で視界に入り込んだのは、いつかの金髪の女子生徒だった。
女子テニス部の先輩、晴乃井るるの悪口を言っていた人、だ。
その女子生徒が隣の女子になにやら耳打ちしている。内容は聞こえなかったが、言い終わると、二人そろってクスクス笑い出した。
たぶん、晴乃井先輩のことを笑っているんだ。そう思うと、腹が立った。
『美人だなんだ担ぎ上げられて、学校一のビジュだって持て囃されて……どうしてか、内面まで学校一だって期待される──それがあたしには、結構しんどい』
晴乃井るるのその葛藤を、彼女たちは知らない。
『あなたたちの協力に、めいいっぱい応えたい。応えるから、あたし』
晴乃井るるのその姿勢を、知らない。
『ありがと──ここまでしてくれて』
晴乃井るるの思いを、知らない。
だから、知ってほしい。本当の晴乃井るるを、知ってもらいたい。
席に着く。問題用紙が裏向きで配られる。
チャイムが鳴った。テストが始まる。
今日を迎えるまでに準備してきたこと、晴乃井先輩が本気で向き合ってきたこと。が、いい結果に結びつきますように。いいや、僕の力で、そうしてあげられますように。
強い覚悟と願いを胸に抱いて、問題用紙を表にした。
問題を、最初から最後まで、一通り見る。
そして僕は────驚愕した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます