007 なんでもするって言ったよねぇ?
「ん、どうした? 知り合いでもいたかよ」
「ううん、なんでも。……人違いだった」
峰岸は上手く誤魔化されてくれたみたいで、「そういえば観てえ映画あってよ」とこの後のプランを語り始めた。僕は、それに相槌を打ちながら、種ヶ崎さんたちの会話に耳をそばだてた。
「いやでも……ウチらはあんたをかってるんだよ? これ、スカウトだよ? しかも、自分らで言うのもなんだけど、ウチ、一応インターハイ出場の実績もあるし」
低めの女子の声だった。だから、種ヶ崎さんではないことはすぐに分かった。
「何度誘われても無理です。私には、ほかにやりたいことがあるので」
今度は種ヶ崎さんの声だ。
誘うだの誘われるだの、なんだかタイムリーな話題だなと思った。どうやら、種ヶ崎さんは勧誘を受けているらしい。床のソフトケースを見るに、相手はテニス部なのだろう。
しかしまあ、先輩方もずいぶん熱心に勧誘するものだ。種ヶ崎さんって、そこまで凄い選手なのだろうか。
どうやらそうらしい、と知ったのは、先輩の次の発言だった。
「それって何? あ、ほかの運動部に誘われてんの? バスケ? バレー?」
いったん、混乱。
どういうことなのだろう。まるで種ヶ崎さんはオールラウンダーで、種目問わず活躍できる人材だと言っているみたいだ。
「いいえ」
「じゃあ、アーチェリー? やめときなよ。種ヶ崎ちゃんにはどこももったいないよ。絶対、ウチ来た方がいいって」
「アーチェリーは去年たまたま地区大会抜けただけだし。てかね、そもそも人口が少ないから、県大会行って当然みたいに言われてんだよ?」
いよいよ球技以外の種目まで登場して、もうワケが分からない。まさかそれぞれ好きなスポーツを発表しているだけじゃなかろうな? という冗談が頭に浮かんだ。当然そうじゃないことは、先輩たちの必死な声色を聞けば分かる。
「バド部もやめな? 主力メンツが去年ごっそり卒業しちゃったし──」
「すみませんが」食い気味で、種ヶ崎さんが言った。「私、高校でスポーツをやる気はないんです」
直後、ギギギ、とイスを引く音が聞こえた。
「それでは、失礼します」
「あ、ちょっと待って! 種ヶ崎ちゃん!」
彼女の足音が近づいてくるのが聴こえて、僕は思わず顔を逸らした。
「ん、どしたー?
峰岸の呼びかけを無視して、足音と逆の方向を向いた。その音は背後を通り過ぎ、だんだんと遠のいていく。カフェの自動ドアが開く音が聞こえて、おそるおそる出入り口を見る。種ヶ崎さんの姿はもう店内になかった。
「おーい。マジでどした? やっぱ知り合いいたのか? いま出てったヤツ?」
ご名答だよ、峰岸。でも説明がめんどいので嘘をつかせてもらうことにした。
「ん、違くて。目の前を、ハエが」
嘘が下手くそなのは重々承知だ。んなの、この場を乗り切れればなんでもいい、と全身から察しろオーラを出したとき、後ろから「はぁ~」という大きな溜息が聞こえた。
「欲しかったなあ、種ヶ崎ちゃん」
「ね。……あの子、ほとんどの部活から勧誘受けてるらしいよ」
「だろうねえ。中学時代からあんだけ評判だったら、どこも欲しいさ」
「そん時から手回ししてた部活もあるみたい。女バスとか、まさにそう」
「中学の時から? 高校入ったらウチに来ないか、って? そーゆーのマジであんだなあ」
先輩たちの会話が、また耳に入ってくる。と同時に目の前では、
「見てくれ、新室。俺には、マドラーを五本使ってリアルなチンコを作る特技がある」
相席している峰岸には申し訳ないが、それどころじゃなかった。てかなんだよ、その特技。仮にこの状況じゃなくても興味示してねーよ。恥ずかしいからひっこめてほしい。
「あーあー」
と先輩がこぼした溜息と、峰岸に呆れていた僕の溜息が、シンクロした。
「今からどうにかならないもんかねー」
「もう無理くなーい? あの子、マジで興味なさそうだったよ」
「なんか恩とか売っときゃよかったね~」
「恩、ってなにさ」
たとえばさー、と女子テニス部の一員が、声を発して、
「購買のコスパ良いパン教えたりとか、昼休みを過ごすのに絶好のスポット教えたりとか。そーゆー先輩ならではの恩の売り方、っていうか、あるじゃない?」
「あーねー」
「あとは、課題手伝ってやったりとか、」
盗み聞きは趣味じゃない、本当だ。野次馬根性がまったくないかと訊かれたら、自信を持って否定することはできないけれど、自分と関わりがない諸問題に端から耳を傾けるほど品性を棄てた覚えもない。しかしこの場合、聞こえてきてしまったのだから仕方ない。
そう、あくまで僕の意思ではない。なんなら、いますぐ峰岸を連れて店を出ようとさえ思っていたところだ。まさか、諜報員さながら、有益な情報を得てやろうと張り込んでいたわけじゃない。
だから、つまりだ。
「テストの過去問を横流ししてやるとかさー」
僕の耳に『突破口』が飛び込んできたのも、単なる奇跡にすぎない。
◇
翌日。月曜日の朝。
いつもより早く登校し、隣のクラスの扉を叩いた。彼女はまだ教室にいなかった。
その足で昇降口へ向かい、待ち伏せること十五分。
「おはよう、種ヶ崎さん」
「新室くんだ。……君の方からコンタクト取ってくるとは思わなかったよ」
種ヶ崎さんは上履きに履き替えながら、
「それで? やる気になってくれたの?」
これにはまだ、肯かない。僕は、種ヶ崎さんの目をじっと見て、
「
「うん、そうだね」
「どんなお願いでも呑む。そう言ったよね?」
「言ったけど……なに」
それから僕は、
「じゃあさ、種ヶ崎さん。さっそくだけど、」深呼吸をひとつ挟んで、言う。「テニス部に入ってくれない?」
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