006 現状、青春とは消化試合である

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 学校一の美人と学年一(推定)の悪女に勧誘を受けてから、三日が経った。

 あれほど非日常的な経験をしても、平穏な日常は巡りくるものだ。


 日曜日。大いに賑わう鈴鳴すずなり駅前で、僕は峰岸みねぎしを待っていた。なんてことはない、遊びに誘われただけだ。どうやら、先日のゴールデンウィーク期間ではかなり暇を持て余したらしく、そのせいで予定を埋めなくては気が済まない休日恐怖症に罹患してしまったらしい。


 まがいなりにもクラスのムードメーカーたる峰岸が、その体たらくでいいのかね、と思わずにはいられないが、


「ありがとな、新室にいむろ。持つべきは帰宅部仲間だ」


 到着するなり峰岸は腰に手を当てて、言い訳じみた感謝の言葉を吐いた。


 そうだな、みんな部活動で忙しいもんな。休日に予定が無いのは、帰宅部の僕と君ぐらいだよな。


「それで、これから何する?」


 というわけで集まったのはいいが、ノープランだった。なので、峰岸にそう尋ねた。


「ん、決めてねえけど。時間はたっぷりあることだし、Ad●見つけるまで帰れない遊びでもすっか」

「おー。生涯帰宅できないことが決定した」

「バカ言え。お前、Ad●がなんで青いバラを胸につけてるか知ってっか? 青いバラってのはよ、もともと科学的にも作り出せねぇ、ってのが通説でよ、花言葉も『不可能』だったんだ。だが技術が進歩してな、いつしか実現可能になった。それで、花言葉も『夢かなう』に変わったんだぜ。つまり彼女は、どんな困難な道でも諦めなければ『夢かなう』、っつー願いを胸につけてんだ」

「へぇ……。それは良い話だね」

「だろ? つまりな、そういうことなんだよ」


 どういうことなんだよ。


   ◇

 

 さすがに、顔出しもしてない有名シンガーを探すため、行き交う人の顔をジロジロ見るわけにもいかなかった僕らは、駅前の商業ビルに行くことにした。


 『スズナリモール』という名前のそのビルは七階建てで、カフェ、ゲーセン、映画館、ブティック、雑貨屋やらなんやらと、なんでもござれな施設だ。この辺りの学生は、暇つぶしとあれば大抵ここに足を運ぶものだ。


 ウィンドウショッピングをひと通りこなして歩き疲れたころ、峰岸が「お茶でもしようや」と言ったので、一階のカフェに立ち寄ることにした。


 カウンターでカフェオレを注文。すると後ろに立つ峰岸が、店外をぼーっと見つめ、


「来年にはお互い、隣を歩くのは女子にしてぇもんだな。そう思わんか?」


 と言った。見れば、同い年くらいの男女が歩いていくのが見えた。恋人同士だろうか。仲睦まじく腕を組んで、談笑していた。


「峰岸ってホント、欲求に忠実というかなんというか」

「なんだよそれ。自分には関係ありませんみたいな風だけどよ、お前も高校生なんだぜ? もっと青春楽しもー、的な雰囲気纏っていけよ」


 注文したカフェオレを受け取って席に着いても、峰岸のアツい青春論は止まらなかった。


「青春は一度きり、なんて月並みな表現だが、本当にそうだぜ。しかも質が悪いことに、青春が終わっても人生は続くんだ。その先の人生を、『ああ、あの時期にこうしていればよかったなあ』とか後悔する期間に充てたかねーだろ。青春を楽しむってのはな、晴れやかな人生を送るっつーことと同義なんだよ」


 おお。峰岸にしては、なかなか良いことを言う。


 峰岸がコーヒーカップに口をつける。そのあとで、「あちッ」と声を出した。直前の名言が霞む不器用さに、僕は笑ってしまった。このカッコつかない感じが魅力だよなあ、と僕は思う。


 峰岸とは同じ中学出身だった。とはいえ、幼馴染とか親友とかいう仲ではない。話すようになったのは、中学生最後の半年間のことだ。自習室で勉強しているときに知り合って話すようになり、同じ高校を目指しているということを知った。そこからの関係性だった。


「で、だ。新室、お前はなんかねーのかよ。やりたいこととか、頑張りたいこととか」


 思いつく気もしなかったが少し考えて、首を振った。


「まあ、いまはそれでいい。けどな、どうせお前は見つけちまう」

「なんだそれ。陳腐な預言なら勘弁してほしいな」


 僕の言葉に、峰岸はカップを置いた。


「だって、俺は知ってんだ。どうしてお前が鈴鳴高校を選んだのかを」


 そして口にしたのは、突拍子もないセリフだった。


「この辺だとそれなりの進学校だから、とか、晴乃井はれのいるるがいるから、とかじゃねえ。もちろん、理由は俺でもねえ。そうだろ?」

「…………」

「それが根拠だ。お前は、そういうやつなんだ」


 峰岸の発言が難解なのはいまに始まったことじゃない。が、その流れはいくらなんでも、無茶苦茶なんじゃないか。僕の受験生活と、高校生活の目標との間には接点がない。


 ただ、しいていえば、


「どう解釈してくれてもいいんだけどさ。そのへんはぜんぶ合格発表の日に終わってるんだよ。だからもう、高校生活にしたいことなんてひとつもない」


 峰岸の問いそのものが、反論材料にはなる。


「これ以上は消化試合ってか?」

「うん、そうだね」

「そうかよ。……それでも俺は、お前が現在と未来に生きてくれることを願うよ」


 現在と未来に生きる、ねえ。僕はそうしているつもりだけど、どうも峰岸にはそう見えないらしい。主観と客観は違うってのは分かっているが、こうも齟齬が大きいものかね。


 目標がなければ現在を生きることにならないのだろうか。未来を迎えてはいけないのだろうか。だとするならば、人生はハードモードすぎるな。もっとのんべんだらりと生きていける世界線を望むよ。


 とはいえ、峰岸の思想を否定するつもりもサラサラない。彼がそう思うなら肯定したいし、応援するつもりだ。手伝えることがあれば、まあ、手を貸してやらんこともない。そして「彼の夢が成就すること」を「暫定・僕の目標」に設定してしまえたら都合いいし。


 と、そこまで考えてふと頭をよぎったのは、


『できることなら楽しい青春を送りたい』

『新室くんの頭脳を活かして、いざ青春攻略、ってことだよ』


 皮肉なことに、非日常的なあの日のことだった。


 バカげてる。それにはさすがに待ったをかけたい。誰にでも協力するってわけじゃないし、晴乃井先輩に協力することを暫定目標に設定だなんて、ナシだ。ナシ。関係値は低いし、手段は褒められたものじゃないし、それにだいいち……


 カフェオレを口にする。ミルクの味が口いっぱいに広がって、なんだか心が落ち着いた。


 そこで僕の記憶は、三日前に遡る。




 るる先輩と別れて、ひとりで帰ろうとした種ヶ崎たねがさきさんを、呼び止めたあとのことだ。


「待って、種ヶ崎さんッ!」

「……あ、新室くん。ありがとね、引き受けてくれて」


 引き受けたつもりは無い。けど、彼女のなかではそういうことになっているらしい。


「ハッキリ言うけど、手伝えないよ」


 だから、断言しておいた方がいいと思った。種ヶ崎さんは口を半分開けて、首を傾げた。


「え、なんで。晴乃井さんのお願いなのに?」


 たしかにその部分は魅力的だ。だが、


「君にされたこと……その、僕は、とても、なんだろうな……困惑した」

「……ああ、キス?」


 改めて明言されると、顔が火照る。けれど、種ヶ崎さんの方はまったくもって動揺を見せず、淡々と言葉を継いだ。


「ねえ、誤解しないで。あれ、新室くんにしたわけじゃないから。それに、言ったでしょ? 証明だって」

「証明だろうがなんだろうが……関係なくて、」

「じゃあ、ごめんね。謝る。それと、もう二度としないって誓うから」


 これこそまさに『ごめんで済むなら警察はいらねー案件』だ、覆水盆に返らずだ。その謝罪にも誓いにも価値はない。


「まあでも、そうだね。新室くんは仲間なんだし、嫌がることはしないように努める。こういう約束なら、手伝ってくれる?」


 僕は、即座に首を振った。


「じゃあ、どうすればいい? 私、なんでもするよ。どんなお願いでも呑むよ」

「そういうことじゃなくて、」

「なら、なに?」

「二年生のテストで高得点を取るなんて、無理に決まってる」


 晴乃井るる。彼女は二年生で、先輩だ。

 ともすれば当然、テスト範囲は二年生のそれ。僕が学校で学ぶのはまだ先のことだ。


 仮に替受験を実行に移して、僕がテストを受けたところで、高得点が取れるとは思えない。なんなら、普段の先輩の得点よりも低くなる可能性が高い。


「つまり新室くんは、勝算が無いから引き受けない、って言ってるの?」


 ああ。ハッキリ言えば、そうだった。関係値の低さも、褒められた手段じゃないことも、もちろん断る理由たりうる。しかし、それ以上に懸念しているのは成功確率の低さだ。


 かなり妥当な反論だ、と思った。しかし、


「なるほどね。じゃあ突破口さえ見つかれば、手伝ってくれるんだ?」


 種ヶ崎さんは、折れなかった。


「良いヒントをもらった。いいよ、またこんど。もういちど口説きに行く」




 なにはどうあれ、種ヶ崎さんは僕を計画に引き入れないと気が済まないらしい。天才だと誤解され、利用価値がかなり高く見積もられたんだろう。困ったものだ。


 あれから気は変わっていない。拒否するつもりだ。その方法を考えることが、目下急務だった。また口説きに行く、と宣言されてしまった以上、彼女はまた僕の前に現れる。


 それまでに、彼女の納得がいく言い分を繕わなくてはならないな──とまあ、そういうことを考えていた時だった。


「……ですが、お受けできません」


 回想のなかと同じ声が背後から鳴って、僕は咄嗟に振り向いてしまった。


 まったく、こういう偶然ってのは心臓に悪いね。振り向いたはいいが、途端に身体が震えだすんだから。ああ、さすがに待ち伏せされたとかそういうんじゃなく、純然たる偶然だと思う。なぜならば、彼女はひとりじゃなかったからだ。


 奥のソファ席。両サイドを女生徒に囲まれて座る、種ヶ崎さんがそこにいた

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